☆大和さんの反日呆談第9回〜アホでマヌケな某合衆国大統領〜☆


 

 

 

 

「姉さ〜ん 姉さ〜ん 起きて下さ〜い」

「どうしたのよ。最近忙しいんだから。またロシアでテロ?それともKの国が核実験でもした?」

「・・・あのですね〜今日インディさんのいる真珠湾に行こうって言ったの姉さんじゃないですか。」

「・・・・そうだった。今何時何分?」

「・・・・・7時54分ですよ。」

「いっけな〜い!せっかく真珠湾攻撃の時間に合わせていこうと思ったのに・・・・・」

「やっぱり問題があったんですよ。色々と。」

「・・・色々?」

「姉さんは低血圧で滅多に早く起きられないし、それに論理的にも・・・」

「うっさい!とにかく行くわよ!」

「ってまってくださーい!」

 

 

 

 

 

 

エンデュアリング・フリーダム!

ひでぶ!

「あ、あ、あんたいったい私のインディになにしてんのよ!」

「なにって教養を付けるために本の朗読を・・・」

嘘付け!

「あのー姉さん・・・・」

「だいたい何なのよこのタイトル!「社会主義は船魂スキー」って思いっきりパクリじゃない!」

「これはウラニラ起源ニダ!」

「やめろよ!」

「あの・・・」

「あらーシナちゃんとミス・ヤマト、久しぶりね〜」

「何で私の時と態度がこうも違・・・」

うっさい!

「またなんか武蔵がやらかしたか?」

「実はかくかくしかじかで」

「まるまるのうまうまということか。よいしょっと」

「あのー姉さんなんで私の砲塔をつかんで」

どりゃああああああああああ!!!

ってうわあああああああああああああ!!!!!」(ものすごい勢いで投げられる)

どぽーん・・・・

だんちゃーく!

「・・・・・・」

「・・・・ご苦労様。」

「あの・・・姉さん・・・」

「なぁに?」

「私、続き読みたいんですけど・・・」

「・・・・」

「・・・・」

「・・・・ま、いっか」

 

 

「・・・まあ、寸劇おやくそくはココまでにして、本題にはいるわね。」

「むう、今回のテーマは」

合衆国大統領史上最大の ポン助、フランクリン・ルーズベルトの話よ。」

「一つ気になることがあるんですが。」

「何?」

「ルーズベルト大統領ってアメリカの中で結構人気がある人じゃないんですか?」

「まあね。1999年、「タイム」誌は20世紀最大の政治家にルーズベルトを選んだし、2000年にはアメリカの歴史家たちに、エイブラハム・リンカーンに次ぐアメリカで二番目に偉大な大統領に選ばれたわ。」

「へ〜え」

「まずはルーズベルト一族の歴史からね。アメリカでの始祖は1649年にオランダ本国からニューアルステルダムに移住した、クラエス・ローゼンベルトよ。」

「ニューアルステルダムって、聞いたこと無い町ですね。」

「今のニューヨークの事よ。当時はオランダの植民地だったの。でも1665年から1667年にかけての第二次英蘭戦争に負けたオランダ、えっと、当時はネーデルラント連邦共和国って言っていたのよね、が北米植民地ニューネーデルラント(現・ニューヨーク州)を英国に割譲されて、ニューヨークと名を変えたの。」

「ちなみにオランダと言えば朝鮮や中国ほどでないけど、かなりの反日国家よ。」

「ちなみにオランダ人はマンハッタン島を先住民からたった25ドル近いガラス玉と交換で手に入れたわ。」

「良い買い物ですね」

「さて、クラエス・ローゼンベルトの息子、ニコラスはアメリカ生まれだったので、名字を英語読みのルーズベルトに変えたわ。その息子の2人の息子は、それぞれニューヨークとハドソン川を少し上ったところに住んだの。この前者の息子の方を、NY家系、後の方をハドソン家系と呼んで行くわね。そしてNY家系の5代目が第26代大統領セオドア・ルーズベルト、そしてハドソン家系の5代目がフランクリン・デラノ・ルーズベルト、今回の主役にしてアメリカ大統領史上最大のポン助よ。

(ポン助っておい)

「彼は1882年1月30日にニューヨーク州ハイドパークで、資産家のジェームズ・ルーズベルトとサラ・ルーズベルト夫妻の一人息子として生まれたわ。ちなみに母親のサラは両親が中国で阿片で儲けたのよ。」

あ、あ、阿片〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

「南北戦争中は特に麻酔として注文が殺到してがっぽがっぽ儲けたのよ。さて、ルーズベルトはハーバード大学に入学したけど、ここでとある彼の人生を変える日本人と会ったのよ。」

「誰なんです?」

「明治の元老松方正義の6男、松方乙彦よ。ルーズベルトは彼から、「日本の百年計画」っていうことを聞いたのよ。」

「なんですかそれ?」

「中国との戦争(日清戦争、1894年・明治27年)、朝鮮半島の併合(日韓併合、1910年・明治43年)、ロシアとの防衛戦(1904年・明治37年 、満州を奪う(満州事変、1931年・昭和6年)、マレー半島のジョホール占領 、華北保護領化 、モンゴル、チベットへの勢力圏拡大、 ハワイを含む太平洋全諸島の占有 、オーストラリア、ニュージーランド占有ーとなり大東亜共栄圏の完成となる。という、10のステップを踏んで日本は世界の覇者になるって言う、ばかばかしいヨタ話よ。当時ルーズベルトは20歳、松方は22歳、とても本気で話すとは思えないわね。」

「でもルーズベルトは本気にしちゃったんですかね?」

「かもね〜さて、彼は民主党から政治活動に参加して、ウィルソン内閣で海軍次官を勤めたわ。この時海軍内に多くの人脈を作ったわ。真珠湾攻撃時の太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル、海軍作戦議長ハロルド・スターク、統合参謀長会議議長ウィリアム・リーヒなどの人物ね。そしてココで彼の人間的欠陥が発揮されるわ。」

「何ですか?」

「ルーズベルトは腹違いの兄がいたけど実質的に一人息子で、母親の溺愛を受け、使用人にかしずかれて育ったのよ。だから彼は自分の気に入る事を言う人は好きだけど、考えの違う人は大嫌いだったの。例えば大東亜戦争時のアジア艦隊司令長官トーマス・ハートがそうね。彼が魚雷関係の仕事をしていたときの事よ。」

「ハートが魚雷工廠長だったとき、ルーズベルトは労働組合に甘い政策をとったから、ハートはルーズベルトを嫌っていたのよ。そして後にルーズベルトが大統領になって主要人事案を見たとき、次期合衆国艦隊司令長官がハートになっていたのを見て、

「この名前をリストから消せ!」

と言ったの。後にハートは日記に、

「ルーズベルトは私の上官であるが、個人的には忠実になり得ない。これでは宮廷政治だ」

と書いたの。ちなみにこの人事を持ってきたリチャードソン航海局長は、合衆国艦隊司令長官になったとき、太平洋艦隊の真珠湾駐留に反対して、即刻首になってるわ。そのほかにも、ルーズベルトに嫌われて出世競争に敗れたり、駆逐艦の艦名になれなかったりした人たちもいたわ。プラット作戦部長は

「この男が海軍士官の頃から知っている。好感は持っていたが決して信頼は置かなかった。・・・・決して偉大な男ではなく、信頼の出来ない男で・・・・自分の思い通りに行かないといらいらする男だ」

といったの。」

「う〜ん、何というか・・・」

「独裁者というか・・・・」

「火病持ちというか・・・・」

「海軍次官の後、1920年の大統領選で、ルーズベルトは民主党大統領候補ジェームズ・コックスの副大統領候補になったけど落選、その後ニューヨークで弁護士になったけど、ハイドパークの別荘で小児麻痺にかかって死にかかったわ。」

「ここで死んでれば、世界は遙かにまともになったでしょうに・・・・」

「しかし回復したルーズベルトは、後遺症により、下半身が不自由になって車いすを常用はしたけど、1929年にニューヨーク知事に当選、そして1932年の大統領選挙戦では共和党のハーバード・フーバーに勝って大統領となったわ。ちなみに勝利後の1933年2月15日に、フロリダ州マイアミで暗殺されそうになったの。でも弾ははずれてシカゴ市長アントン・サーマクに当たったの。」

「ここで死んでれば(ry」

「そのころ日本は国連を脱退、ドイツではアドルフ・ヒトラーが首相に就任したわ」

「まさに『二つの世界大戦』に「つきぬけ」ていったわけね。」

パクリキタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!

「・・・・」

「・・・さ、さてルーズベルトは大恐慌への対策として、「ニューディール政策」と呼ばれる、政府による経済政策への介入・団体交渉権保障などによる労働者の地位向上・テネシー渓谷開発公社(TVA)などの大規模公共事業による失業者対策・社会保障の充実などの政策を行って克服を図ったわ。でも成果は上がらず、それどころか政権内にソ連のスパイがたくさん入って来るようになったの。景気が明らかに回復したのは第二次世界大戦参戦後よ。」

「ほお」

「就任後の第2回閣僚会議の時、早くも日本との戦争について、「日本人が(マレー半島の)ジョホールから中国の万里の長城まであふれるだろう」っていったわ。「日本の百年計画」や有名な「田中上奏文」に影響された典型的なアメリカ人だったのね。」

「田中上奏文?」

「田中義一総理が天皇に上奏したという

「世界を征服しようと欲するなら、まず中国を征服せねばならない。中国を征服しようと思うなら、まず満州と蒙古を征服しなければならない。 我が国は満州と蒙古の利権を手に入れ、そこを拠点に貿易などをよそおって全中国を服従させ、全中国の資源を奪うだろう。 中国の資源をすべて征服すればインド、南洋諸島、中小アジア諸国そして欧州までが我が国の威風になびくだろう。」

っていう内容の、シナ人のねつ造文書よ。」

シナ人ねつ造キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!

「さらに日本を封じ込めるためとして、中国に目を向けていったルーズベルトは、様々な親中派アメリカ人と知り合いになるわ。例えば、保養地の警護官をしていて情報将校として中国大陸に行ったエバンス・カールソンね。彼の報告書は、驚くほど親中派よ。

「これに刺激されてルーズベルトが行ったのが、37年10月5日の「クオレンティン(隔離)演説」よ」

「なんですかそれ?」

「日本を病原菌にたとえてした演説よ。」

「カールソンはその後、中共の八路軍をモデルとして「カールソン襲撃隊」を編成、ルーズベルトの長男、ジェームズ・ルーズベルトを副官として、日本兵を残忍な手口で殺す事になるけど、これはまた後の話ね。」

「他にも親中派のアメリカ人はたくさんいるのよね。」

「そうね、例えば「タイム」や「ライフ」といったアメリカの有名雑誌の経営者、ヘンリー・ルースがそうね、彼は中国で育った事から親中派軒時を多く乗せることになったわ。親中派ジャーナリストについての本、「チャイナハンズ」によると、当時のアメリカの親中派報道について、

と言っているわ。「タイム」は38年新年号で、蒋介石夫妻を前年もっとも注目された人に送られる「マン・オブ・ザ・イヤー」を送ったわ。41年にルースが設置した中国への民間支援団体、「ユナイテッド・チャイナ・リリーフ」は5000万ドルの義捐金を集めたわ。この親中反日報道は戦後まで尾を引いているようで、「タイム」の初代重慶特派員、セオドア・ホワイトは戦後の日米貿易摩擦においての、ジャパン・バッシングの急先鋒となっているわ。

「何コイツ、何様のつもり?」

「「歴史は繰り返す」ね・・・(西村慎吾の声で)「おもしろい、やったろうやないか」」

「イタリア人抜きですけどね☆」

「さ、さて、親中派の映画もアメリカで一世風靡したわ。陸軍省政策、フランク・キャプラ監督の「バトル・オブ・チャイナ」は「田中メモリアル」にそって、日本が中国やオーストラリアを征服し、最後にアメリカに魔の手を伸ばすという宣伝映画だったわ。これは今でも中共のプロパガンダとして使われているの。
反日ジャーナリスト、エドガー・スノーの「中国の赤い星」は毛沢東の中国を「「フロンティア・スピリット」によく似た不屈の精神」と書いたの。
 「ワシントン・ポスト」は「もし一般のアメリカ人が一般の中国人と同じように自由を愛しそのために戦い危険をおかし働き犠牲をいとわないなら将来のことを気遣う必要はない」、「シカゴデイリーニュース」は「東洋における我々の希望」と書いたわ。」

「ほめ殺しみたいですね」

「シャルル・ド・ゴールが「自分の物質的な力に浮かれ、もはや自分の精力の十分なはけ口が十分の中にないと感じ、どこかで屈従のみにある者を助けたいと思い、支配欲を潜ませた、あの干渉趣味」と言ったのも納得ね。」

「そのド・ゴールもアメリカ無しではフランスを奪還できなかったんですけどね」

「その後、1943年2月18日、蒋介石の婦人、宋美齢がアメリカの議会へ演説にやってきたわ。彼女は大人気で、国民の中国びいきは一層高まったわ。でも・・・」

「でも?」

「この女はとんでもないポン子で、ホワイトハウスの手配した警護グループを買い物係にするわ、ホワイトハウスの絹のシーツを一日に4回も交換させるわ、終いにはヘンリー・ルースの設立した「ユナイテッド・チャイナ・リリーフ」の寄付金で毛皮や宝石を買ったりホテルの代金にしたりしていたことが分かったの。親中派のセオドア・ホワイトでさえ、「冷淡でいわゆる愛人タイプの女性だった」と言ったわ。大統領の次男、エリオット・ルーズベルトは宋美齢について、 「蒋介石夫人は男の歓心を得ることばかりに長く従事したので、今やそれが第二の性格のようになった印象を受けた。本来の性格は多分に恐ろしい者のように見え、正直言って怖かった。」と言ったわ。まあ、韓流とやらにだまされている日本人も同じ様な者だけど・・・・・」

「そうね、そしてこの勘違い大統領によって、戦火は拡大していくのよ。」

「それは次回、「大和さんの反日呆談第10回〜華氏128〜」の予定です。」

「最後に参考資料を載せておきますね。」

参考資料
「ルーズベルト秘録」上下 産経新聞「ルーズベルト秘録」取材班
「米軍提督と太平洋戦争」 谷光太郎

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