ソフィア先生の補習授業

 「いよいよ5時間目はドイツアフリカ軍団、通称DAKの活躍だ」

 「ロンメル閣下燃え〜っっ!!

 「・・・・・・そればっかね」

 「その前に戦争というものが20世紀に入ってから大きく変わったことについて少し述べておこう。

まず最初に言うことは、中世までは兵隊は傭兵がメインだったが、近世以降の兵隊は徴兵制がメインとなったことからだ」

 「なんで傭兵の時代は終わっちゃったのかしらね?」

 「その理由は簡単だ。

傭兵は役に立たないからだ」

 「なんで? だって傭兵って言えば戦いのプロでしょ? 戦うことにかけては右に出るものがいないのが傭兵なんじゃないの?」

 「それは日本人の持っている偏見だ。

戦いが面白いから戦場に行く、という変わり者がいることは確かだ。

だが、傭兵は戦うことを目的としているわけではない。

戦うことはあくまで二の次、傭兵の目的は金だ。

傭兵は金で動く。

だがその金も大概が前金だ。

だから、傭兵はいざというときは皆逃げてしまう

そんな連中を当てにしていたら当然のことながら戦争には勝てない。

戦争に負けるということは自分の家族や友人が敵国の奴隷とされてしまうことだから、これはまさに国家存亡の危機だ。

そこで欧州各国の指導者たちは役立たずの傭兵に代わる兵力として国民を選んだ。

国民の義務として兵役をつけ、これが国防軍の基礎となる」

 「つまり傭兵制が徴兵制に代わったのは傭兵が役に立たなかったからなの?」

 「その通り。傭兵の給料などたかが知れている。

どこの誰とも知らない連中のために命を賭けるほどの価値はないだろう。

それが勝てる戦いならばまだしも、勝ち目の薄い戦いなど誰もやろうとは思わない。

誰だって自分の命は大事だ。

絶対君主制の頃の国家は、国民は騎士や豪族、貴族ら戦いのプロに守ってもらう代わりに従っていた。

それが徴兵制になったことにより、「国民は皆平等」という考え方が生まれる。

自分たちが戦うことになった以上、貴族らに頭を下げてまで従う必要がなくなったのだからな。

つまり、徴兵制によって民主主義国家が生まれたというわけだ」

 「アメリカ独立戦争やフランス革命が起きたのは自明の理だったってことか」

 「そうだな。そして傭兵による防衛を激しく否定していたのが有名なマキャベリだ。

権力者が権力を失わない方法を自体的に示した本、「君主論」の中でマキャベリはこのようなことを言っている。

傭兵は役に立たない
自分で守ろう、自分の命

 「マジで?」

 「つまり、徴兵制を導入した近代国家を作らねば国が滅びると言いたかったのでしょうか?」

 「そうだ。マキャベリは、母国イタリアがドイツやフランスにいつもいつも虐められているのはなぜか?ということを傭兵制による国防が原因と知っていた。

ドイツやフランスの軍隊が来ても傭兵はすぐに逃げてしまい、イタリアは二国間の間で取引の道具とされてしまう歴史を辿ってきたからだ。

つまり、傭兵不用論は歴史が証明しているということだな。

実はこのマキャベリの言っていることは20世紀末期でも通用する。

1990年8月2日、サダム・フセイン率いるイラクがクウェートに侵攻したとき、クウェートの防衛は国防軍ではなく、中東の傭兵部隊に任せていた。

この傭兵部隊が結果的には負けたものの奮戦したというのならばまだ美談に聞こえる。

しかし、そんなエピソードは一つとしてない。

なぜか?

いざイラクが攻めて来たらクウェート傭兵は皆逃げ出してしまったからだ。

こうしてクウェートはほぼ無抵抗でイラクに征服されてしまうことになった」

 「要するに、自分たちの命は自分たちで守るしかないってことだ。

他人が当てにならないのは歴史が証明している。

徴兵制の導入の理由についてあーだこーだと言ってる連中がいるが、そんなことは二の次だ。

徴兵制導入の理由は一つ、傭兵が役に立たなかったからだ」

 「だがそれではおかしいぞ。

第二次大戦時のイタリアは傭兵制ではなく、徴兵制だった

 「そうよ。第二次大戦時のイタリアは憲法で徴兵制が定められていたわ」

 「それは簡単だ。イタリアの兵士は自分たちをイタリア人だと思っていないからだ」

 「はい?」

 「じゃあ連中は一体何人なんだ? イタリアで生まれ育ち、昔からそこに住んでいた人間の子孫ならばイタリア人だろう?」

 「違う。連中はイタリアには忠誠を誓っていない。

やつらが忠誠を誓っているのは自分の生まれ育った都市だけだ」

 「意味がわかんないんだけど・・・」

 「要するにな。

ナポリで生まれたらナポリ人、

フィレンツェで生まれたらフィレンツェ人、

ミラノで生まれたらミラノ人。

ベネチアで生まれたらベネチア人ってことなんだよ、連中にとってはな」

 「なんだそれ? それは東京で生まれたら東京人、大阪で生まれたら大阪人ってことじゃないか?」

 「東京でも大阪でも同じ日本人だろうに」

 「と、日本人は考えるだろうな。もちろんアメリカ人やドイツ人もだ。

だがイタリア人は違う。

連中は自分の生まれ育った都市以外は他国だと思っているんだ」

 「はい?」

 「イタリアの歴史を見てみれば、本家と元祖で争うラーメン屋のように、ひたすら内戦が続いていることがわかる。

イギリスとフランスが何百年間も戦争をやって仲が悪いように、イタリアの都市は何百年間も戦争をやっていて仲が悪いんだ」

 「だがフランスやイギリスが大国となり、ドイツも一つになろうとしている状況を見て焦ったイタリアは強引に一つに固まった。

ドイツの場合はビスマルクがなんとか一つにまとめてドイツ帝国を作ったが、イタリアははっきり言って形だけ。

まるで統制が取れていない。

どいつもこいつも自己主張してお互いを罵りあい、仲良く力を合わせようという気はゼロだった」

 「こんな状態でイタリアは第一次世界大戦に突入した。

だがこのときイタリアはロシアやイギリス、フランスの援護で戦勝国の仲間入りをしていた。

英仏露はドイツが嫌いだったからな。

もしも負けていれば、もしくは泥沼の長期戦になっていれば、「バラバラでは勝てない。イタリアは一つにならなければ国が滅びる」ということになれば一枚岩になっていただろう。

しかし、イタリアは勝ってしまった。

すると連中はこう考える。

いいじゃん、このままで、と」

 「やる気ないわねぇ・・・・」

 「人間ってのはどこの国も切羽詰まんないとやらないんだよ。

ましてやイタリア人は、

人生遊んでナンボ、楽しまずして何の人生か?

と考える連中だ。

わざわざ一つになることで問題が起きるよりは、このまま適当にやったらいいじゃないか、とこう考えるわけだ」

 「そしてイタリアはこの状態のまま第二次世界大戦に突入した。

無論、イタリアがどうなろうと知ったことじゃないという連中の集まりだ。

イタリア兵の友軍に対する態度を示したこんなエピソードがある。

ナポリ出身者のとある部隊が敵に囲まれつつある。

そして近くには無傷のフィレンツェ出身者の部隊がある。

今のうちにフィレンツェ部隊がそこに行けば孤立しかけた友軍を簡単に助けることもできるだろう。

それは誰の目にも明らかだった。

だが、結局フィレンツェ部隊は孤立した友軍に援軍を出さなかった」

 「なんでだ? 行けば助けることができたんだろ?」

 「簡単だ。

ナポリ野郎なんて関係ない。
なんでフィレンツェの俺たちがナポリ野郎のために動かなきゃならねえんだ?

と、こう思ったからだ」

 「ちょっと待て! 同じイタリア軍なんだろ!?」

 「その通り。同じイタリア軍で、人種や民族、文化もほとんど同じだ」

 「どこの軍だって味方がやられていたら救出するのが当然だろ! 

ましてやそれが十分可能なら!」

 「そうだ。おそらく、行けば助かっただろうな」

 「なぜそんなアホなことをっ!?」

 「だってイタリアだぜ?」

 「・・・理解できん」

 「理解しろって言うほうが無理だろうな。

連中は第二次世界大戦中、軍全体規模でこんなことばかりやっていた

 「さらにこんなエピソードがある。

戦場では腹が減る。

当然だ。

だが長い補給路を通ればまともな食事になどありつけない」

 「そりゃそうでしょ。軍隊なんだし、保存性第一じゃない? 現地につくまでに腐ったら意味がないわ」

 「そうだ。だから必然的に味よりも栄養と保存性に重点が置かれる。

しかし、イタリア兵は「食料が不味いぞ、コラ!」と補給部隊に猛抗議をする

 「はぁ?」

 「つまりだな。

このパスタはゆで過ぎだ。不味い。今度はもっと美味いものを支給しろ

とかを戦場で言うわけだ」

 「待て! 戦場なんだろ!」

 「そうだ。人と人が殺し合い、生きているだけでも幸運という極限状態。

その戦場へ無事に補給物資が届くというのは、ありがたいことこの上ない。

補給なしってのは兵に死ねって言っているようなものだからな」

 「そんな中で武器弾薬や燃料だけでなく、食料が届くってのはありがたいことなんだろ!」

 「当然だ。戦場では物資が予定通りに届くとは限らない。

途中で敵の妨害があるし、食料が届くことはこれ以上ない幸せだ。

なんせ、食料が届かないときはその辺の草でも食べて飢えをしのぐしかないからな」

 「そんな状況でイタリア兵は、「飯が不味い」とか言ってたのか!?

パスタが茹で過ぎとかっ!?」

 「そうだ。補給部隊に抗議をして乱闘騒ぎになることも日常茶飯事だ。

喧嘩の原因は、「パスタが茹で過ぎ」ということでだ。それ以外でもいろいろとあるがな」

 「なぜそんなアホなことをっ!?」

 「だってイタリアだぞ?

日本兵やドイツ兵はたしかに不味い飯を食わされたが、それでも「喰えるだけ幸せだ」と思い、補給部隊への感謝は忘れなかった。

とくに東南アジアの日本兵や東部戦線のドイツ兵は、飢えと病気で死ぬことがほとんどだったからどんなものでも喜んで食べただろう。

だがイタリアは違う。

パスタが茹で過ぎということで文句を言うからな」

 「・・・・イタリアって一体・・・」

 「これが一般兵レベルの話だ。

これが将校クラスになるともっと酷い。

自分専用の移動式レストランをトラックの中に作り、フルコースを作らせていた」

 「・・・・フルコース?」

 「そうだ。こんな不味い飯食えるかっ!?

ということでプロのシェフを雇い、戦場なのにも関わらずステーキやスープなどの贅沢な食事をしていたわけだ。

そのために進軍が遅れようと全く気にしない。

軍の勝敗よりも自分の食事の方が大事だ」

 「おそるべしイタリア・・・・・」

 「あいつら戦争をなんだと思ってるんだ?」

 「少なくともエジプト遠征はエジプト旅行と思っていたのは間違いない。

愛国心ゼロだからな。

アフリカの珍しい動物やファラオの遺跡を見て楽しんでたんじゃないのか?」

 「イタリア人は人生を楽しむ達人ですから、戦争のときでも楽しんでいたんですね」

 「やる気ないわねぇ・・・・」

 「だってイタリアだぜ?あいつらがやる気を出すのは惚れた女を守るときだけだ

ちなみに我がドイツ軍将校は、イタリア将校のまったく逆の考え方をしていたんだ」

 「どんな考えだったの?」

 「ドイツ軍将校は、兵士よりまずい食事をするのが義務と、思っていたぐらいだ」

 「兵士よりまずい食事を取るのが義務って・・・・それはそれでおかしいと思うんだけど?」

 「じゃあ、自分の上官にするとしたらどちらを選ぶ?俺は勿論ドイツ軍将校の下で戦いたいと思うがね」

 「う〜ん、そう言われちゃうと私もドイツ軍将校の方が良いに決まってるけどねぇ・・・」

 「だろ?『たかが食事。されど食事』とはよく言ったものだ。

上官が自分達よりまずい食事を取りながら指揮を取ってるんだ。その指揮下の兵たちの士気が高いのは当然と言える」

 「相変わらずドイツ軍は変だな・・・それと比べるのも驕かましい気もするが、

イタリアはなぜそこまでやる気がないんだ?いくらなんでも酷すぎるぞ」

 「知らん。だから言っているだろう?

イタリアのやる気のなさは尋常じゃない

 「戦う気がないということは、世界一平和を愛してる国なのですね」

 「平和って、確かに戦う気がないのは平和かもしれないが・・・・・」

 「んなわけないでしょ? 国が滅亡の危機にあるのにそれを放って置いて平和主義もクソもないわよ」

 「まあな。だが21世紀現在の日本人でもこういう考えをしてるヤツはたくさんいる。

平和主義者だから戦わない。

守ってもらうのは米軍に任せればいい。

その結果、日本がどうなろうと構わない。

たとえ東南アジアのように真っ赤に染まり、虐殺の嵐が吹き荒れても自分には関係ない。

まあ、真っ赤に染まったら問答無用で殺されるけどな」

 「そういうことだ。国が死に瀕しているときに祖国を守らないやつはただの腰抜けだ。

戦わないことが平和主義というなら、第二次大戦のイタリアは世界一平和を愛する素晴らしい国ということになる。

あれが素晴らしい国か?

 「うーん、あれはちょっとねぇ・・・・・」

 「さて、途中からイタリアの悪口になってしまったが、初期の説明に戻ろう。

戦争というものは先ほども言ったとおり、中世から近世にかけて傭兵制が徴兵制になったが、基本的には正規軍同士の戦いだ。

だが20世紀に入って機械技術が向上すると、今度は民間人を巻き込む大戦争へと発展していった。

そして兵隊の能力だけでなく、国全体を挙げて戦う総力戦の時代へ突入した。

つまりは物量が勝敗を左右する重要な要素となったわけだ。

このような状況はつまり、ソ連がやったようにベルトコンベア式に人間も兵器も送り出し、こちらの物量が相手を上回ることが勝敗に直結するということだ。

そうなってくると三国志の諸葛孔明のような知将が、少数で大軍を跳ね返しても戦争に勝てるかどうかは別問題となり、そのような活躍は伝説の中に埋もれてしまうことになる。

例えるならば、将棋で好きなだけ駒を持っていいということになる。

戦術もクソもない。

数が多い方が勝つということになるわけだ」

 「寂しい限りですね」

 「このような総力戦になると戦争は民間人も軍人も区別しない大量虐殺の場となってくる。

だから無意味な死者ばかりが増えるわけだ。

泥沼の東部戦線などその最たるものだろう。

しかし、第二次世界大戦の海戦以外で民間人をほとんど巻き添えにしなかった戦争があった。

それがロンメル将軍率いるDAKとイギリス軍が戦った北アフリカ戦線だ」

 「つまりはイタリアの尻拭いってわけね」

 「そうだ。DAKはもともと北アフリカ戦線の主役ではない。

あくまでイタリア軍が形勢を立て直すことを補助する目的で派遣させただけに過ぎない。

だが、イタリア軍のあまりの弱さのために補助に過ぎなかったDAKは北アフリカ戦線の主役に祭り挙げられてしまう。

ことのはじまりはムッソリーニの暴走だった。

この辺は前回の授業で言ったとおりだ。

リビアに侵入したイギリス軍を倒すため、DAKはリビアの首都「トリポリ」へ送られた。

そして1941年2月12日にDAKは到着することになる」

 「このリビア防衛作戦は「ひまわり作戦」と名づけられた。

ドイツ軍はDAKを送ったあと、その増援として第15戦車師団を送っていた。

本国の命令はこの増援部隊が到着する4月まで行動を禁止することだった」

 「だが、ロンメル将軍は動いた。

現地の情報で、イギリス軍の主力部隊がギリシアへ行っていることがわかったからだ」

 「なんでイギリス軍はギリシアに行ったんだ?」

 「独断専行でイタリアがギリシアに侵攻したからだよ。

リビアの失敗をギリシアを攻めて帳消しにしたかったんだろうが、返り討ちにあう結果に終わった

 「このギリシア侵攻は、ドイツ軍のソ連侵攻を遅らせた上に、中立だった国々を敵をまわす結果に終わったのは前の授業で言ったとおりだ。

ロンメル将軍はこのチャンスを逃さなかった。

イギリス軍6万がギリシアへ援軍として派遣されている。

今ならイギリス軍を倒すのはたやすい!

 「確かにね」

 「だが本国の命令は4月までは行動しないことだぞ?」

 「戦争は会議室で起きてるんじゃない!
現場で起きてるんだ!

 「なんで「躍る大捜査線」?」

 「そうだ。4月まで待っていたらイギリス軍の防備が固まってしまう。

そんなことになれば無意味な犠牲が増えるばかりだ。

ロンメル将軍はこのチャンスを逃すまいとさっそく軍を動かす準備をし始めた。

指揮官でありながら現場の最前線に立ち、ときには自らキューベルワーゲンを運転して状況を視察。

部下には無理な命令をせず、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人に暴行することもなかった。

人種差別は最低の行為だとヒトラー総統へのユダヤ人迫害中止の嘆願書まで書いている。

この騎士道精神溢れる名将ロンメルがドイツ兵の忠誠心を集めたのは言うまでもない」

 「ロンメル閣下こそ真のプロイセンの騎士

ドイツ軍人の鏡だ」

 「ナチスは嫌われているが、ドイツ軍にもいい人間はいたんだな」

 「ドイツ軍とナチスは別物だ。

悪名高いナチスも実際に頭がイカれていたのは一部の連中だけだ。

ソ連と同じだよ」

 「またソ連を引き合いに出す・・・・」

 「こうして綿密な作戦を練りつつも、早く行動せねばとロンメル将軍はハイペースで戦争の準備を整えた。

そして1941年3月24日ロンメル将軍率いるDAKは攻撃を開始。

手薄のエルアゲイラを陥落させることに成功する。

続いて、マルサブレガ、アゲダビアを落とし、ベンガジとマススを同時侵攻で陥落。

メモリで合流したDAKはデルナを落とし、ガザラ、ビルケハイムを落としエルアデンに侵攻する。

DAK攻撃開始からはや4週間で戦線をトブルクまで戻すことに成功したことになる。

だが難攻不落の要塞「トブルク」はなかなか落ちなかった。

そこでDAKはイギリス軍をリビアから追い出すことを優先し、トブルク攻略を後回しにしてフォートカプッツォを落とした。

こうしてDAKは、リビアの奥深く侵入したイギリス軍をたったの一ヶ月でエジプトまで追い出すことに成功する」

 「もしも本国の命令に従って4月まで待っていたらイギリス軍は防備を固めてしまい、ここまでうまくいくことはなかっただろう。
現場の判断の勝利だ」

 「DAKの勢いは凄いな」

 「DAKの凄さを語れば語るほどにイタリアの弱さがわかるわね」

 「イタリアは弱いんじゃない。やる気がないんだ。
戦う前に逃げるから
な」

 「ソ連とは別の意味で世界最低の軍ね・・・・・」

 「連戦連勝のDAKも疲れが見え始めた。

それにあまりに戦線を拡大しすぎると、今度は補給路が断たれやすくなる。

ロンメル将軍は深追いをやめ、主力部隊を率いて戻ってくるイギリス軍との戦いに備え始める。

予想通りイギリス軍は主力部隊を率いて戻ってきた。

1941年5月15日、イギリス軍は小規模な反撃「ブレヴィティ作戦」を決行する。

イギリス軍の反撃を予想していたDAKはこの作戦をなんなく潰し、イギリス軍を返り討ちにする。

だがそれはこのあとの大攻勢の前触れだった。

一ヵ月後、イギリス軍の大規模な反撃作戦「バトルアクス作戦」が発動。

目的はトブルク要塞まで戦線を戻し、キレナイカ地方のDAKを駆逐することだ。

イギリス軍は、DAK戦車の三倍の数、250両という大部隊を用意してきた。

その上、この新型戦車はDAK戦車を性能でさえ上回っていたのだ。

1941年6月15日、エジプト国境から大軍を率いてイギリス軍が侵入。

イギリス軍の作戦は手始めにエジプト・リビア国境にもっとも近いサルームを大陸内部と地中海沿岸部から挟み撃ちをすることだった。

そのためにイギリス軍は真正面から攻めず、迂回して軍を動かすことにした」

 「フランス攻防戦でドイツ軍がやった手だな」

 「そうだ。この頃になるとイギリス軍もようやく戦車の機動性を生かしきる作戦を取り始める。

対DAK攻略作戦「バトルアクス作戦」発動当日の1941年6月15日、その日は各拠点でドイツ軍とイギリス軍が激しい戦いを繰り広げていた。

このときロンメル将軍はある新戦術でイギリス戦車部隊を壊滅させることに成功する」

 「新戦術?」

 「DAKの使っていた二号、三号戦車では、すでにイギリス戦車を倒すのは難しくなっていた。

イギリスは新型戦車を繰り出し、DAKの戦車を性能で上回っていたのだ」

 「決定的に足りないのは攻撃力だ。接近戦でしか倒せないようではこちらの被害も大きくなる。

それどころか敵は安全な射程距離から戦車で攻撃してくる。

このままでは一方的な展開でDAKの戦車は破壊されてしまうことは確実だった。

そこでロンメル将軍は、88ミリ対空砲を横にして英国戦車を撃退した

 「8.8cm高射砲Flak18、36/37はすでにフランス相手に使ってるわよ。さっきからいい加減な説明ばっかりね、このエセドイツは」

 「ぐっ!」

 「ロンメル閣下燃え燃え〜っ!とか言いながら、ロンメルのこと全然知らないみたいねぇ・・・やっぱり唯の、キモイ騎士オタクだった訳ね

 「このクソア・・・自分よ落ち着け、落ち着くんだ・・・『素数』を数えて落ち着くんだ…1…2…3…5…7…」

 「ひとつ言わせて貰うが、1は『素数』ではないぞ

 「細かい事は気にするな。書いてる本人もよくわかってないからな」

 「ホント、ドイツ人とは思えない発言ねぇ〜あと一つ言っておくけど、ドイツ軍じゃ口径表記は「ミリ(mm)」じゃなくて、「センチ(cm)よ」

 「別に構わないだろう?どちらにせよ直径は同じなんだし・・・どうしても違いが気になる軍ヲタの人は脳内変換でもしてくれ。こちらは一貫してミリで表記させてもらう」

 「同じ直径ってヲイ・・・確かに直径は同じだが・・・・まあ、誰が困る訳でもないからいいか」

 「話を元に戻すぞ?対空砲は何百メートルの上空の敵航空機を倒すために作られている。

つまり大型の大砲だったというわけだ。

空に向けてそびえ立つ砲塔を、横に寝かせて戦車にぶっ放したんだ。

88ミリといえば六号戦車ティーガーのハトハト(アハトアハト=88(ミリ))と互角。

 ←ティーガー

 「ハルファヤ峠の戦いでは88ミリ対空砲5門でイギリス戦車11台を撃破することに成功した」

 「そして翌日16日も激しい戦いが続いていた。

DAKは再三のイギリス軍の攻撃にも耐え、なんとか持ちこたえていた。

「バトルアクス作戦」ではイギリス軍はDAK包囲のために迂回して戦車師団を動かしていた。

だがロンメル将軍の作戦はこの作戦のさらに上を行っていた。

イギリス軍の迂回よりも、さらに大規模な迂回をして、イギリス軍を逆包囲したのだ

88ミリ対空砲で迂回した戦車部隊の戦力を何とか繋ぎとめ、その隙に機動力のある戦車部隊は迂回していたというわけだ。

17日には迂回してた戦車部隊がDAK本体に合流。

イギリス軍は驚いた。

包囲したつもりが、逆に包囲されてしまったのだ。

補給路を潰されたイギリス軍は完全にDAKに囲まれた。

戦いは完全にDAKが制していたのだ。

こうして「バトルアクス作戦」はDAKの圧勝で幕を閉じることになる」

 「この3日間の戦いでの被害は

DAK    死者 93名 行方不明者235名 戦車の損害は12両

イギリス軍 死者122名 行方不明者259名 戦車の損害は約100両

 「イギリス軍戦車は戦力が3倍だったのに、被害は10倍ですね」

 「しかも成果ゼロだな」

 「ロンメル将軍は砂漠という戦場の特徴をよく知っていた。

砂漠には遮蔽物がない。

ずっと砂の大地が続くからな。

こんなところを占領しても地の利などほとんどない。

それゆえに北アフリカ戦線は鉄道と、それに平行して走る海岸線が戦場となっていた。

東部戦線とは違い、敵の陣地を占領してもあまり意味がない。

回り込めばお終いだからな。

むしろ敵の殲滅の方が大切だった」

 「だがトブルク要塞にはこだわっているぞ?」

 「トブルク要塞の場合は話が違う。あれは軍港だからな。つまり補給路の命綱だ。

砂漠戦では港を持っている都市以外はほとんど守る意味がない。

だから都市戦はほどんど行われず、民間人の被害もほとんど出なかったというわけだ。

ロンメル将軍はこの砂漠という戦場をよく理解していた。

対するイギリス軍はやはり砂漠でも平地と同様に陣地確保に重点を置いていた。

だがそんなものは迂回すればどうとでもなる。

その上DAKはロンメル将軍の下、様々な部隊が協力して動いていた。

戦車だけ、歩兵だけ、そうじゃない。

全ての部隊が効率よく動き、連携した行動で戦っていた。

これ対しイギリス軍はそれぞれの部隊がそれほど連携の取れた戦法をしていなかった。

つまり、軍の組織としてはDAKの方が英軍よりもよほど近代的だったんだ。

英軍だけじゃない。米軍と比べてもドイツ軍の組織は優れていた。

兵器も戦術も組織も優れていた。

連合軍が勝っていたのは物量のみ。

だからこそドイツ軍は国力が40対1という絶望的な戦力差でありながらも6年間も戦えたんだ」

 「こうして物量に勝るイギリス・インド連合軍を、見事な作戦と指揮で撃退したロンメル将軍の名声はさらに轟くことになる」

 「インド?」

 「インドはイギリスの植民地だからな。

アヘンの密輸から中国侵略の前線基地まで幅広く利用してきた。

当然兵隊もインドから徴用するわけだ」

 「たしかインドのアヘンは中国のお茶の代金を得るためだったわよね。

でもどうして茶の代金がないからってアヘンまで輸出するのかしら?」

 「決まっている。イギリスにとってティータイムは伝統だからだ」

 「いくら伝統って言ってもねぇ・・・」

 「甘いな。イギリスは伝統のこだわりはヨーロッパ屈指だ。いや、世界屈指と言ってもいいだろう。

21世紀現在でも野生動物が絶命の危機にあるのに、伝統だからの一言で狐狩りがやめられない国だぜ?」

 「はぁ?」

 「だからな。イギリスって国は伝統だからの一言で貴族階級なんてものも残っているし、それが深刻な社会問題になっても伝統だからの一言で全く直そうとはしない国なんだよ。

連中にとってすれば、「中国が阿片漬けでボロボロになるのはティータイムの伝統を守るためだから必要な犠牲」、と考えるわけだ。
なんせ
伝統だからな。ちなみに、それが原因で起きた阿片戦争は、ちゃんと国会で議決されて行われた戦争なんだぞ。

どうだ?民主主義って素晴らしいだろ?

 「あの国っていったい・・・」

 「そんな理由で中国を麻薬漬けにしていたのかあいつらは・・・・

その上、阿片戦争が国会で議決されてた?そりゃイギリスは嫌われるはずだ」

 「その伝統精神は戦場でも変わらない。

なにせ敵との戦闘中であってもティータイムとなれば平気でお茶を飲みはじめる連中だ。
その結果、戦況が悪化しても
伝統だからの一言で全く悪びれた態度がない。

それがドイツの宿敵イギリスだ」

 「戦闘中でも紳士なんですね」

 「・・・・・・・・。ただのアホじゃないの?」

 「だってイギリスだぜ?」

 「・・・。アメリカがイギリスから独立したことに心の底から感謝したくなったわ」

 「同感だ。アメリカとイギリスは違う。あそこまで酷くない」

 「世界でもトップクラスの脳みそオープンリーチ民族アメリカ人に「あそこまで酷くない」と言われたイギリス軍は、この「バトルアクス作戦」後、彼を「デザート・フォックス(砂漠の狐)」とあだ名し、恐れと尊敬の眼差しで彼を見ることになる」

 「脳みそオープンリーチって、をい・・・・」

 「敵ながらあっぱれという奴でしょうか」

 「いや、あっぱれどころじゃない。

イギリス軍は無理な命令を繰り返したために部下を無駄死にさせることが多かった。

いや、DAKが強すぎたためにそう見えたんだろな。

とにかくロンメル将軍の名前はイギリス軍の中でも知らぬものはいないほどになっていた。

そのうえロンメル将軍は捕虜にしたイギリス軍兵士を虐待することもしなかったし、補給に困っていたからと言ってリビアの都市から物資を徴発することもなかった。

兵士は戦場で戦えばいい。

戦場以外ではロンメル将軍は敵とはいえ無用な殺戮は好まなかった。

騎士道溢れるロンメル将軍を崇拝するものがイギリス軍の中に続出し始めたんだ。

軍全体の士気にさえ影響するようになったため、イギリス軍は軍内に「ロンメルを尊敬するな」という命令さえ出したという記録が残っている。

逆効果だったがな。

イギリス兵は、イギリス軍上層部が恐れるほどロンメルは凄い、とさらに崇拝するものは増えていった」

 「つまりDAKの人たち同様イギリス軍の人たちも

ロンメル萌え〜っ!

になってたということですか?」

 「萌えって、をい・・・・」

 「字が違うような・・・・」

 「萌えじゃない。燃えだ。

あえて言うなら

ロンメル閣下燃え燃え〜っ!

かな?」

 「相変わらず物凄い描写の仕方だな」

 「つまり、敵も味方もいい感じに脳みそヨーグルトってわけね」

 「そういうことだな。

こうして敵も味方もいい感じに脳みそヨーグルトになった北アフリカ戦線はとりあえず膠着状態に陥った。

1941年6月と言えば、すでにドイツ史上最大の作戦「バルバロッサ作戦」が発動していた頃だ。

補給物資も届かず、稼動戦車も30両ほどしかないDAKはこれ以上の攻撃は不可能だった。

イギリス軍の方も、ロンメル軍団の実力にビビリ、もっと戦力を整えてから戦おうということになった。

疲れた両軍はしばらく休息を取ることになる」

 「休息って言ってもちゃんと補給物資を整えたりしてただけで、遊んでないからな。

イタリアじゃないんだから

 「DAKの名は本国にも轟いた。

1941年7月1日、ロンメル将軍は49歳という若さで戦車兵大将に昇進、8月15日にはアフリカ戦車軍が設立され、DAK(ドイツ・アフリカ軍団)やイタリア第20自動車化軍団、第10、第21歩兵軍団が指揮下に入った。

10月には、アフリカ Z・b・V 師団が第90師団と改名された。

DAKの戦力は着実に回復しつつあったわけだ。

しかし、戦力が回復したのはDAKだけではない。

DAKに回復の時間があるということは、イギリス軍にもあるということだ。

この頃になるとアメリカは武器貸与法に則り、イギリス軍へ大量の武器をばら撒き始めることになる。

DAKの戦力を上回る戦力を得たイギリス軍は、11月についに反撃作戦を実行し始めた。

一方のロンメル将軍も、物量では英米には勝てないということを知っていた。

だからDAKとしても、戦力の差が決定的になる前になんとか勝負をつけたいと思っていたのだ。

つまり、両者ともに休憩は終わり。

第二ラウンド開始というわけだ」

 「1941年11月の両軍の兵力は、

DAK    兵力12万、稼動戦車400両、航空機300

イギリス軍 兵力10万、稼動戦車800両、航空機1000

見ての通り、イギリス軍の方が上だった。

DAKの戦車400両も、その中身はひどいものだ。

400両のうちの4割、つまり150両は性能の低いイタリア戦車。

前回の授業で俺がくそみそにいったダメ戦車だ。

またもう4割の三号戦車150両も、半分は火力不足。

イギリス戦車の装甲をぶち抜くには接近して戦車の装甲の弱い部分を狙わなきゃならねぇ。

結論から言うと、使い物になるのは400両のうち200両がいいところだ」

 「酷いな。これでDAKは戦えるのか?」

 「本当ならもっと援軍が来るはずだった。

だがこの頃のドイツ軍の主力部隊はモスクワへ向けて前進。

冬将軍によって苦しめられていた頃だ。

2ヶ月で落ちるはずのソ連が、腰抜けのイタ公のせいで生き延びたため、その影響はDAKにまで及んだというわけだ。

ないモノねだりしてもはじまらない。

ロンメル将軍は倍以上の戦力差でイギリス軍と戦うことになった。

1941年11月15日、イギリス軍の反攻作戦「クルセイダー作戦」が発動。

植民地軍であるインドとニュージーランドの軍でDAKの拠点を抑え、主力の機甲部隊がドイツ機甲部隊を殲滅する作戦を取った。

つまり、DAK戦車を先に潰そうという作戦だな。

DAKがリビアをあっという間に奪還したのは戦車の機動力がそのウェートを多く占めている。

なにせ機動力があるからあっという間に相手の背後に回ることができるわけだ。

このイギリス軍の部隊は大きく3つに分けることができる。

左翼 第一南アフリカ師団  

右翼 第四機甲旅団  

中央 イギリス第7戦車集団

左翼はイタリア・アリエテ師団を、右翼はドイツ第21戦車師団とぶつかり戦闘開始。

中央を進むイギリス第7戦車集団は、難攻不落の要塞「トブルク」まであと16キロというところまでたどり着くことができた。

しかし、右翼ではDAKが英軍を撃破し、中央を進むイギリス第7戦車集団の背後にまわってこれも撃破。

右翼と中央を進んでいた英軍がDAKに敗れ去り、左翼の第一南アフリカ師団もDAKの側面攻撃を喰らい大混乱に陥る。

トブルク要塞からイギリス軍が出撃、DAKを第一南アフリカ師団と挟み撃ちにしようとするが、大混乱の第一南アフリカ師団にそんな力は無く、収拾のつかない激戦になった。

この「クルセイダー作戦」発動から12日後の1941年11月30日、イギリス軍はその被害状況から作戦の中止命令を出し、一度引くことになる」

 「2週間の戦いで英軍は12万の兵士のうち、1万2千を失った。

つまり、たった2週間で10%が壊滅したんだ。

怪我人を入れればさらに数は増すだろう」

 「だがそれでも戦況は英軍に有利に働いていた。

もともと物量が違うからな。

DAKよりイギリス軍のほうが犠牲がでかいのは確かだが、それでもイギリス軍のほうが数が多い。

ロンメル将軍は、現在の戦力でこれ以上まともに戦うことは不可能と判断した。

1941年12月3日、ロンメル将軍はアフリカに足を踏み入れてはじめて撤退を決意する」

 「半年以上の間、連戦連勝だったDAKも物量の差には勝てないってことだ」

 「DAKは小競り合いをしながら撤退につぐ撤退を続け、1942年1月には当初の拠点であるエルアゲイラまで撤退してしまう。

一番最初に落とした都市だ。

だが、これがロンメル将軍の策だった。

戦線が伸びきり、補給が届きにくくなった時点で反撃すれば、疲れが出ているイギリス軍を簡単に倒せる

無理に反撃せず、逃げながら本国からの補給物資を集め、反攻作戦の準備を練っていたロンメルはいよいよ巻き返しに出る。

1942年1月21日、DAKは前日までとは打って変わり大反撃に出た。

途中でイギリス軍の補給所を襲ったりして戦力をかき集め、2週間でリビアを取り戻すことに成功する」

 「たった2週間・・・・・。イギリス兵も嫌気がさしてくるだろうな。

せっかく占領したのにあっという間に取り戻されてしまったわけだ」

 「この戦いぶりにヒトラー総統は歓喜して、ロンメル将軍を上級大将へ昇進した。

数では倍以上の戦力を誇りながらもロンメルの作戦にボコボコにぶちのめされていたイギリス軍は唖然としていた。

この敗戦は、屈辱すら沸かなかったらしい。

デブのトミィことチャーチル  は、ロンメルは偉大なりというコメントをした。

ここにもロンメル燃え燃え〜が一人増えたわけだ」

 「あのハゲ頭もついに精神汚染されちゃったわけね。

麗しき殉教者ジーザス・クライスト・・・・・」

 「失礼な。どこが精神汚染なんだよ?」

 「燃え燃え〜って辺りかな?」

 「ふっ、なんとでも言え。

プロイセンの騎士は陰口など気にしない

 「キモイんだよ、騎士オタク」

 「・・・・。おい、このクソアマぶん殴っていいか?」

 「やめとけ。10倍になって帰ってくる」

 「ところで先ほどの戦いで、イタリアの皆さんの活躍が無かったような気がしたのですが?」

 「説明する必要あるか?

 「なるほど。そーいうことですか」

 「そーいうことだ。さて、クルセイダー作戦も失敗に終わり、DAKとイギリス軍は二度目の冬を迎えることになった。

この間に両軍は戦力を整え、春を過ぎる頃にはDAK戦車の数は330両、イギリス軍戦車の数は700両とやはり倍の戦力差が開いていた。

イギリス軍は難攻不落のトブルクの西70キロの長きに地雷原を敷いた。

ただでさえ防御の厚いトブルクは、さらにその防御力を上げていたのだ。

ロンメル将軍は、ここを叩かねばイギリス軍は補給を受けつづけるからキリが無いと思い、まずはこの地雷原を突破することを考えた。

そして準備を整え実行に移り始めた。

1942年5月26日、トブルク要塞攻略作戦「ベネチア」作戦が発動。

正面にイタリア軍を置いてにし、その隙にDAK戦車部隊が背後に回り、挟み撃ちにするという作戦だ」

 「とうとう囮になっちゃったわけね」

 「とうとう囮になったイタリア軍だが、単独でははっきり言って信用できない。

そこでロンメル将軍はイタリア軍の歩兵部隊の後ろに砂煙を立たせた」

 「自動車の上に張りぼてを乗せて戦車に見せかけたんだ。その上、角材などを引きずって砂煙を立たせる。

こうすることによってイギリス軍の偵察機はイタリア軍とDAKが一緒に行動していると思った。

イタリアだけなら簡単に撃破できるが、DAKが一緒ではそれは難しい。

だが、DAKの作戦は散開包囲作戦が多かったから、そのうちイタリア軍と別行動を取るだろう。

そのときに各個撃破すればいい。

イギリス軍はそう考えた。

そしてイタリア軍の様子をチェックしていたが、気が付いて見ればすでにDAKの戦車部隊は行動を開始しており、包囲は完了しつつあった」

 「だが、だからと言ってイギリス軍も馬鹿じゃない。

DAKの包囲作戦を察知したイギリス軍は、新型戦車M3グラントで応戦する。

M3の火力はドイツ戦車を簡単に血祭りにできるほどだった。

結局、脇に回りこむ戦法や、88ミリ砲の集中運用により、DAKは何とか乗り切ったものの、作戦発動から二日目の5月27日には、DAK戦車の1/3を失い、補給路も断たれてしまう。

そこでロンメル将軍は円形のガザラ陣地を作り、膨大な地雷原で防御を固めて補給路を確保した。

補給を得たDAKは反撃を開始。

5月30日から6月5日までの一週間で、イギリス軍戦車200両以上を撃破、英軍捕虜を6000人以上を得た。

物量で勝るイギリス軍も、この戦いで戦力をボロボロにされ、敗走に走ることになる。

その後、6月11日にはガザラ陣地南のビルハケイム陣地を攻略。

側面からの攻撃を気にする必要がなくなったDAKは難攻不落のトブルクへ総攻撃を開始、勢いに乗るDAKは20日にトブルクを陥落させる」

 「とうとう難攻不落の要塞が落ちたってわけだ」

 「この時点でDAKの戦力は兵力1万、戦車は184両。

はっきり言ってこんな戦力では普通ならば勝ち目など無い。

だが、今ならイギリス軍の戦力も少ない。

死中に活あり。

ロンメル将軍は、ここでDAKが引けば、物量で勝るイギリス軍はすぐに復活してしまうことを理解していた。

無理な戦力とは知りつつも、エジプト侵攻を目指すことになる。

目標はエジプト「エルアラメイン」陣地。

北アフリカ戦線の天王山とも言える戦いがはじまった。

ここでエジプトからイギリス軍を追い出せば、北アフリカの戦いも終わる。

そうなればイギリスとインドの補給路が断たれ、東部戦線で苦戦しているドイツ軍の主力部隊が西部戦線から挟み撃ちを喰らうこともなくなるからだ。

DAKの勢いは凄まじく、このままではエジプトが落ちてしまう。

そう考えたイギリス軍はありったけの戦力をかき集めた。

物量で勝るイギリス軍が一箇所に戦力を集めたことによってDAKの攻撃は失敗に終わる。

トブルクを落としてから10日後の7月1にはじまったエルアラメイン攻略は英軍の必死の抵抗に合い、7月3日には逆に守りに入らざるを得なくなってしまった。

この後、7月26日まで一進一退を繰り返し、戦闘は数週間に渡って停止した」

 「やはり物量の差は大きかったな」

 「そうだ。その上、ここに来てイギリス軍の司令官が代わった。

わたしの所属するHJ(ヒトラーユーゲント)の宿敵とも言えるモンティだ」

 「大尉、ちゃんとバーナード・モントゴメリー中将と言わないと・・・・。一般人の読者は理解ができないと思います。あとHJの宿敵というのも、オーバーロード作戦後のことであってDAKが活躍している頃はまだ宿敵どころか会ってもないような・・・・」

 「そんなことはどうでもいい

 「いいのか?」

 「さて、このトミィのモンティだが・・・それまでの無能の英将軍と違い、そこそこ頭が回る。

それまでは烏合の集団に過ぎなかった英軍は、この指令官の元で大きく行動を変化させ始めた。

停滞状態が続き、補給がある程度整ったロンメル将軍は、これ以上の時間を与えてはイギリス軍が手をつけられなくなるほど強くなってしまうことを恐れ、戦力で劣りながらも攻撃をかけた。

8月30日、200両の戦車を率いたロンメル将軍の作戦はこうだ。

エルアラメインの南を歩兵部隊が守り、その間に主力部隊を北側から進出させ、英軍を迂回してアラム・ハルファを攻略し、海岸線を突破。

一気にアレクサンドリアを攻略する予定だった」

 「つまり、難攻不落のエルアラメインを孤立させようとしたってことか」

 「そうだ。今までのイギリス軍ならば陣地にこだわりこの作戦にまんまと引っかかっただろう。

しかし、英軍の司令官モンティはこの情報を事前にキャッチし、DAKの裏をかいた。

待ち伏せによる集中砲火を受け、DAKは大損害を受けることになる。

今までと戦い方が違う!

ロンメル将軍はイギリス軍の指令官が変わったことに気が付いた。

このままでは全滅する。

迅速な判断で攻撃開始から2日後の9月1日、DAKは撤退をすることになる」

 「この敗北は痛かった。

被害そのものは普段のDAKが英軍に与えている量より少なかったが、何せDAKは兵器の数が少ない。

損失戦車50両、戦死者570人。

英軍からすればかすり傷程度のダメージだが、DAKにとっては深刻な被害状況だった」

 「その上、以前から過酷な砂漠の環境で体を痛めていたロンメル将軍が病に倒れた。

最年少の元帥とはいえ、すでに50歳を超えている。

昼は40℃を越え、夜は10℃以下になる灼熱と極寒を繰り返す砂漠でプレッシャーと戦いながら指揮をとっていたロンメル元帥の体はもはやボロボロだったのだ。

これ以上の戦闘は不可能となってしまった将軍は本国に一時帰国、療養のためにDAKを離れることになった。

一方、英軍の攻撃準備は着実に行われていた。

ロンメル元帥率いるDAK相手に勝利を収めるには互角の戦力では足りない。
倍以上の圧倒的な物量で包囲し、一気に殲滅せねば北アフリカ戦線の決着はつかない。

英軍のモンティは敵ながらDAKを高く評価していた。

それゆえに慎重に慎重を重ね、完全に勝てる状況を作るまで大攻勢に出ない覚悟を決めていたのだ」

 「まるで第二次大戦初期のドイツ軍だな。孫子の兵法書を実践している」

 「そうだ。ただでさえ数倍の戦力があるのに、ここまで状況を理解する司令官がいるのではDAKに勝機は薄かった。

そのうえロンメル元帥が不在という最悪の状況に陥り、北アフリカ戦線はその終わりは見え始めていた。

1942年10月の時点での戦力差は、

DAK 兵力10万4千 戦車500 火砲1200

イギリス軍 兵力19万5千 戦車1000 火砲2300

見ての通り、倍の戦力差だった。

いよいよDAKとの決着をつけようと意気盛んな英軍は1942年10月23日にとうとう行動を取り始める。

DAKに対しての総攻撃作戦「ライフット作戦」が発動したのだ。

まず火砲によってDAK陣地の地雷原を破った北翼の英軍がDAK陣地になだれ込んだ。

南翼の英軍も苦戦しつつもこれを突破、DAKは北と南から囲まれてしまう。

この状況に為す術がないDAKはロンメル元帥の現場復帰を要請。

完全に病気が治っていないロンメル元帥は10月25日にアフリカへ到着、さっそく部隊の再編を急ぐ。

しかし、崩壊寸前のDAKを立て直すのは至難の業だった。

ありったけの戦力をかき集めて何とか立て直すが、27日には戦車数81両となり、撤退を余儀なくされる。

 「ここまで戦力差があるんじゃ無理ないわよね」

 「七日間に及ぶ撤退戦。

DAK、英軍ともに兵士は疲れ、イギリス・インド・ニュージーランド連合軍の指揮官たちは一時撤退をするべきという意見を出していた。

だが、モンティは断った。

ここでDAKを徹底的に叩き、再起不能にせねば必ず復活する

まるでドイツ軍のような考え方をするモンティの意見が通り、次なる作戦「スーパーチャージ作戦」が発動。

これはニュージーランド軍に配備された新型戦車M4シャーマン戦車を始めとした戦車400両が突撃をし、その後に400両の別戦車部隊が突撃するという作戦だった。

DAK 81両

連合軍 800両

10倍の戦力差は絶望的だった。

DAKはそれでも懸命に応戦、90両の英軍戦車を血祭りに上げるが、それでも英軍には700両以上の戦車が残っていた。

これでは到底勝ち目など無い。

DAKの戦力は確実に削られ、補給路は占領され、抵抗することはもはや不可能だった。

この時点でDAKはチョビ髭お得意の死守命令を無視して撤退を始める」

 「あのチョビ髭はこんなところでもそんな無茶ばかり言ってたのね」

 「総統の死守命令が役に立ったのはモスクワ死守命令のみだ。

あとは全て自分の首を締める結果に繋がった」

 「酷い話だ」

 「この撤退も最初のうちは逃げながら戦力をかき集めて反撃する予定だった。

しかし、連合軍はそれを読み、追撃をやめない。

あきらかに決着をつける気だったのだ。

さらに状況は悪化する。

1942年11月8日、アメリカ軍がアルジェリアとモロッコに上陸。

DAK殲滅最終段階「トーチ作戦」発動

DAKは東西から挟み撃ちを喰らうことになる。

一方、追撃を振り切ったDAKはリビアの隣国チェニジアに入り、ようやく腰を落ち着けることになる」

 「だが連合軍の追い討ちは終わらないんだろ?」

 「そうだ。相手に戦力を回復する時間を与えればいたずらに戦いは伸び、余計な死者ばかり増える。

連合軍はそれを理解していた。

一方、チェニジアにはロンメル元帥率いるDAKとは別のドイツ軍がいた。

この部隊を率いていたのはアルムニ大将。

そしてアルムニ大将率いるドイツ軍には、最新鋭戦車「六号戦車タイガー」が追加されていた。

たった20両だがな」

 ←六号戦車

 「一年戦争で言えばRX-78ガンダムに当たる性能を誇る機体ですね」

 「そうだ。

攻撃力はアメリカ軍の新型M4シャーマンの装甲を軽々貫き、その装甲は生半端な攻撃全てを弾く。

アメリカ軍は、シャーマン4両と引き換えにタイガー1両を撃破できれば上等、とまで評価している。

つまりタイガーの実力はシャーマンの4倍以上ということだ」

 「チェニジアの虎と言われることになるタイガー戦車は物量に勝る連合軍戦車を次々に破壊していった。

連合軍は恐れをなした。

ええぃっ!ドイツの戦車は化け物かっ!?

 「なんで・・・・まあいいわ、好きにして」

 「このチェニジア方面のドイツ軍は1942年11月18日から29日にかけてチェニスに進出しようとした米英軍を撃破。

さらに12月1日のテブルバ戦ではアメリカ軍を返り討ち。

チェニジアの虎は連合軍の恐怖の対象となっていった。

そしてリビアから逃れてきたDAKがドイツ・チェニジア軍団と合流。

ロンメル元帥はモンティの英軍よりも、チェニジアの米軍を先に叩くべきとして「春風作戦」を提案した。

だが、運が悪いことにドイツ・チェニジア軍団のアルムニ大将はロンメル元帥と仲が悪かった。

そのため「春風作戦」は却下され、DAKとドイツ・チェニジア軍団は別々に戦うことになってしまう」

 「なんで仲が悪かったのかしらね?」

 「ロンメル元帥に嫉妬していたからだよ。アフリカで指揮をとっているのはロンメル元帥だけじゃないのに、本国での人気はロンメル元帥がほとんどだからな」

 「どの国、どの職場でも構図は同じか・・・・」

 「そんなことはどうでもいい。

とにかくDAKとドイツ・チェニジア軍団は別々に戦うことになった。

ドイツ・チェニジア軍団はドイツ軍の白いモビルスーツことタイガーの活躍もあり、ファイド峠で米第一機甲師団を撃退。

2月14日から21日までの一週間の戦闘では、米戦車500両、捕虜5000名という大戦果を上げていた。

日本軍との戦いでは連戦連勝のアメリカ軍も、ドイツ軍との戦いではボコボコに返り討ちにされてしまったのだ。

ときの合衆国大統領ルーズベルトは、

アメリカンボーイズは戦争ができるのか!?

と驚きの声を上げていた。

どうやらドイツ軍を舐めきっていたらしいな。

太平洋で旧式装備の弱小国を甚振って強いと思い込んだ米軍は、世界最強のドイツ軍の強さにショックを隠し切れなかったのだ」

 「たしかに質だけなら最強かもしれないわね・・・・・」

 「まあ、ここまでやられたらみんなビビるだろうな」

 「だが戦争は質だけでは勝てない。

やがて物量に勝る連合軍は、「質でダメなら数で押せ」と次から次へとベルトコンベア式に兵士と兵器を送り出してきた。

撃っても撃ってもあとから沸いてくる連合軍の波にはドイツ軍と言えど勝ち目はなかった。

状況はドイツ軍にとって最悪の状況になりつつあった。

ロンメル元帥がいくら作戦を提案しても、他の将軍が言うことを聞かない。

ドイツ本国がロンメル元帥に強力な指揮権を与えなかったことがここで災いしたのだ。

まあ、1943年2月23日付でOKHよりアフリカの全部隊を「アフリカ軍集団」としてロンメルに指揮権を与える命令が届いていたが、あまりにも遅すぎた・・・

結局、半病人だったロンメル元帥は病気が再発、1942年3月6日にモンティ率いる英軍撃退作戦「カプリ作戦」が廃案になったことをきっかけにロンメル元帥は療養のために本国に帰国。

砂漠の狐と恐れられた天才戦術家ロンメル元帥はこれ以後、アフリカの地を踏むことはなかった。

その後、ロンメル将軍を失ったDAKとドイツ・チェニジア軍団は奮闘を続け、圧倒的な連合軍に最後まで抵抗するが、数で押し切られついに全面撤退を余儀なくされる。

こうして2年半に渡る北アフリカ戦線は終わりを告げた。

1942年5月12〜13日のことだった。

この戦いから分かるように、時代はロンメル元帥のような天才が指揮をとっても、物量の前には敗北しか残されない時代になっていた。

寒い時代になったものだ

 「『カブリ作戦』って、『牝牛の頭』作戦のことじゃないの?3月9日にロンメルは本国に戻ったけど、それはヒトラーにアフリカ軍集団の撤収を進言するためで、結局却下されちゃったわね」

 「アフリカに戻る事も許されませんでしたしね。」

 「…なんでお前らそんなに詳しいんだ?」

 「ふっ、乙女に不可能はないのよ!!

 「乙女なのか?まずそこが疑も・・・」

 「それ以上しゃべったら、殺すわよ♪

 「さて、話を戻すか」

 「誤魔化しましたね?」

 「そういう時は流してやれ・・・誰だって、自分の身が可愛いものさ。ところで、このあとのDAKはどうなるんだ?全滅したわけじゃないだろ?」

 「これ以後のDAKはヨーロッパ西部戦線に転戦することになる。

北アフリカ戦線が集結した以上、DAKは事実上の解散になったわけだ。

DAKの次なる戦場はイタリアだ。これはまた別に説明する」

 「イタリアですか・・・・」

 「なんかいろいろありそうね」

 「それはそのときに話すとしよう。

とりあえずキリがいいのでここで休憩だ。

書くのがしんどいんでな」

 「10時間も連続で書けばそりゃ疲れるだろうよ」

 「っていうかこれを一日で作るってのは凄いんだか、暇なんだか・・・・」

 「敢闘精神こそが勝利を呼ぶものなり・・・・

 「ドイツなのか日本なのかわからないネタだな」

 「ドイツもこーいうの好きなの?思考回路が日本と似てるわね。」

 「ところで次回はどうなるのでしょうか?」

 「次回はモスクワ攻略失敗後の泥沼の東部戦線だ。

DAKが灼熱の砂漠で死闘を演じていた頃、ドイツ軍の主力部隊は極寒の雪原で死闘を演じていた。

はっきり言って第二次世界大戦最大の激戦地はロシアだ。

次回はそれを説明する。

というわけで休憩だ」

 

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