☆路地裏同盟のザ・特撮コンテンツその1☆


 「2006年2月8日  一人の偉人が逝きました。

  その人の名は伊福部昭。

  2003年文化功労者に選ばれ、1996年には日本デザイン文化大賞も取っている。

  日本有数の作曲家であった。

  享年91歳・・・偉大なる偉人に黙祷・・・」

 

 

 

 「さっちんさっちん・・・いきなりなにやってんの」

 「ん?あ〜ちょっとショックだったからね」

 「伊福部さんと言えば『ビルマの竪琴』とかの音楽や交響曲を作っていた人だね。」

 「遠野くん、なに言ってるの!伊福部さんと言えばあの有名なるゴジラのテーマを作った人だよ!!」

 「あ、さつき、それ正確には違います。」

 「え?

 「どうやら元はゴジラを迎え撃つ自衛隊(第一作時は保安隊だった)側のテーマとして元は作られたそうです。」

 「そう言えば第一作ではあの音楽は自衛隊がゴジラを攻撃している時に流れていたよね。」

 「確かアレは『ゴジラ!ゴジラ!ゴジラとメカゴジラ』って歌詞があるんだよね。」

 「はぁ・・・残念ながら真祖の姫君・・・それも、後に誰かが冗談で付けた歌なので公式ではありません。」

 「ありゃ、そうなの?」

 「ってな感じで今回は私達『路地裏同盟』が特撮について色々解説するよ〜」

 「よろしくお願いします。」

 「質問者や観客としてアルクェイドさんや遠野くん以外にも呼んであるよ。」

 「カレー!!

 「ふっふっふ・・・特撮と言えばウリナラ(略)」

 「映画と言えば我がアメリカだろう」

 「人選間違えてない?」

 「あはははは・・・せ、先輩はともかく他の二人は一応意味があって呼んでるから」

 「そうなの?」

 「まあ、とりあえず特撮の成り立ちから行くよ。」

 

 

 「特撮って言うのは元々特殊撮影技術が多用された映像作品の事でアメリカでその技術が発達したの」

 「派手なシーンが多い娯楽映画などで使われました。

こういう特撮技術の第一人者はアメリカのウィリス・オブライエンレイ・ハリーハウゼンと言う人物です。

 ウィリスはあの『キングコング』でキングコングのコマ動かしを担当していました。

 レイ・ハリーハウゼンはこの手法をより細かく付き詰め、後に「ダイナメーション」という俳優の演技をスクリーン・プロセスでコマ送りで投影しながら、それに合わせて人形を動かすものに発展させました。」

 

 「レイ・ハリーハウゼンの手がけた映画はモンスターパニック系が多くて、

特に1953年に作られた『原始怪獣現わる』は設定が似ている事から『ゴジラ』はこれを模倣した

って言う話があるけどそんなことないみたい。影響を与えたのは事実みたいだけどね。」

 「レイ・ハリーハウゼンの技術、とくに人形を使った特撮では、この時すでに到達点に達したと言っても過言ではないほどで、CGでも使っているのではないか?っと思うほどスムーズな動きをしています。

特に『恐竜グワンジ』(1969)ではメインのグワンジ(指の数や大きさからしておそらくアロザウルスと思われる)が歯を鳴らして相手を威嚇したり、首にかかるロープを手を使って外そうとしたりと動きが多彩です。」

 「それで、このレイ・ハリーハウゼンのとった手法や恐竜の登場シーンなんかは後の恐竜映画、例えば『ジュラシックパーク』なんかでも用いられているの」

 「ですが、せっかくグワンジで行っていた指の動きの技術をジュラシックパークでは殆ど使っていないのです。

これはティラノザウルスの指の構造上のそういった動きをしないこと、そして恐竜の姿勢が以前と変化したからと考えられます。」

 「恐竜の姿勢の変化?」

 「無論90年代頃に見直された恐竜の姿勢です。

 当初の肉食恐竜は尾を引きずるような動きをすると考えられていました。属に言う怪獣スタイルです。

しかし、研究で尾が地面を掏ったと言う可能性が薄くなった結果・・・今の恐竜みたいに前のめりの恐竜になったんです。」

 「つまり・・・」

 

 

 

 「これが・・・」

 

 

 

 「こうなったということですね」

 「例えが悪いわよ」

 「例えが悪いですが、そういうことです。

 それまでの恐竜は腕や手を器用に動かす事が多かったのですけれど、以降は付いているだけと言う感じにしか使われなかったんです」

 「ふ〜ん。学習はしているんだ。」

 「こういった色んな研究をへて特撮技術というのは発展してきました。」

 「何を言っているんです!!特撮はウリナラきg」

 「あ〜はいはい、映画に関してアジアでは、朝鮮半島どころか日本でもまだ撮影され始めてからそんなに時間が経ってなかったの。

だから技術じゃドイツやアメリカ、イギリスには大きく遅れをとっていたの。」

 「ふぇ?ドイツ?」

 「ドイツのぉぉぉ映画はぁぁぁ世界一ぃぃぃ

 「一応お隣なので私が説明します。」

 「・・・」

 「あのちょび髭の伍長やその側近ゲッベルスが宣伝映画を作るのに力を入れていたのもありますね。

ただ、その時期には日本もそれなりの撮影技術があったみたいですが。」

 「ふ〜ん、でも日本人に『特撮と言ったらレイ・ハリーハウゼン!!』って言ってもピンと来ないと思うわよ。」

 「そうだな。我々アメリカ人にはおなじみの名前でも。」

 「うん、だから今度は日本の特撮の発展を見て行くよ。」

 

 

 「今でこそ日本の映画で、特撮と言うものが花形の一つになっているけど、昔は違ったんだよ。」

 「なに?そうなのか?」

 「はい、当時日本映画と言えば時代劇が主流で、特撮技術の使う場所なんてミニチュアやセットの奥行の絵などを作っており、派手なシーンがあってもすぐ終わってしまうため日陰の職業だったようです。」

 「( ・∀・)つ〃∩ ヘーヘーヘー

 じゃあ、なんでここまで発展したわけ?」

 「一番の理由は多分一人の天才が日本に生まれた事じゃないかな?」

 「天才?それってもしかして・・・」

 「地震、雷、火事、・・・」

 「それは天災でしょ?」

 「出版物などをそのまま他に載せることですね」

 「そりゃ転載でしょ」

 「お、大坂とその周辺一帯のこと・・・」

 「ん?関西のこと?」

 「て・・て・・さ・・・さ・・・」

 「無理にボケようとするなって」

 「そ、それで?その天才とは誰ですか?」

 

小説 円谷英二―天に向かって翔たけ〈上〉

 「円谷英二特技監督。

後にゴジラとウルトラマンの生みの親となる特撮の神と言われた人物の事ですよ先輩。」

 「やっぱり」

 「円谷英二監督はかつては飛行機で空を飛ぶ事を夢見た少年でしたが、飛行機学校の教官が事故死したためその夢が絶たれています。

その後大学を出てカメラマンとして映画界へはいったそうです。

キングコングを見ていつかあのような映画を作ってやると衝撃を受けたのもその時期らしいです。」

 「円谷監督がその才能をフルに発揮したのが太平洋戦争の映画製作なの。

その映画が『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)だよ。

この映画はあまりの出来のよさに連合軍首脳部が記録映像を使った映画だと信じて疑わなかったらしいよ。」

 「え?違うんですか?」

 「あ、先輩は見た事あるんだ。」

 「シエルは年齢偽装のおはばんだからにゃー」

 「誰がおばはんですか!!

 「せ、先輩・・・黒鍵片付けて」

 「あ、こほん・・・いや、あの映像はどう見ても本物にしか見えません」

 「いえ、代行者。それが違うのです。

私の調べによれば円谷英二は記録映像さえ見せてもらえず僅かな記録と日誌や話を参考にしたそうです。

さらに連合国が記録映画だと思った映像は、全て彼が手がけた特撮による物なのです。」

 「それは凄いわね・・・でも海のシーンとかはどうしたの?よくもまあそんな手間の掛かるシーン撮れたわね」

 「東宝には撮影用のプールがあるんじゃなかったっけ?」

 「いえ、東宝が誇る巨大プールは当時まだ無かったんです。」

 「だから塗料を混ぜた寒天を固めて海を表現してその上に模型の軍艦を浮かべたんだって。

モノクロだから余計に本物っぽく見えたんだろうね。

実際、担当者の一人も見ただけじゃ何で出来ているか検討もつかなかったって言うから。」

 「これがそうなの?確かに言われないと全くわからないわね」

 「こ・・・これが寒天とは。」

 「そんな頃から凄い技術持っていたんだねあの人は。」

 「だけど、この映画が原因で円谷は公職を追放されました。」

 「追放?なんでまた?」

 「GHQから指導されたそうです。想像しますと、多分この映画に腹を立てたんでしょうね。

この公職追放後、東宝からも戦意高揚映画を作ったとして追放されています。

それを期に独立して円谷特殊技術研究所を設立して主に大映などの特技を担当していたそうです。」

 「ぶーぶー連合国おーぼー

 「な、何故私達の方を見るのですか。」

 「お、俺は関係ないぞ」

 「だけど1952年にGHQが引き上げてから円谷監督は東宝に復帰しているから多分名目上の追放だと思うよ。」

 「あ、そうなんだ。ちゃっかりしているね。」

 「それだけ円谷監督が東宝に必要とされていたという事だろうな。」

 「うん、それでこの時ある意味運命の出会いが起きるんだよ」

 「私と志貴みたいな?」

 「いきなり何を言いだすんですかこのあーぱー吸血鬼!!

 「ぶーぶーシエルのおーぼー尻でか女〜」

 「きーーー!!もう許しません!!覚悟しなさい!!来なさいセブン!!

 「あわわわ!!先輩が暴れだした!!

 「それこそウリナラの導きなのです。」

 「訳分かんない事言ってないで何とかしなさいよ。」

 「なぁにかえって免疫力がつきます」

 「代行者・・・反省タイムです(ポチ)」

 「へ?あぁぁぁぁぁぁぁ落ちるーーー!!」

 「あ、あの穴は一体どこに繋がっているんだ、シオン」

 「ある意味地獄へ」

 

 

 

 

 

 

 

 「た、確かに地獄のようね」

 「さ、それはさておきその運命の出会いと言うのは本多猪四郎監督との出会いのこと。

彼と円谷監督は初の共同作品『太平洋の鷲』を撮影、以後数多くの映画で仕事をする事になります。

その代表作が無論日本が誇るスーパースター

 

 

 「ピカチュウだな!!

 

 「そんなボケはいりません(ポチ)」

 「うわぁぁぁぁぁ!!これだけでか〜!!

 「おっそろしい娘ね。」

 「というより邪魔しちゃいけなかった気がしますね。」

 「ほら、アルクは空気読めないところがあるから」

 「こほん・・・ではもう一度日本が誇る代表作にしてスーパースター」

 

 

 

 

 「です。ちなみに、どこぞのアメリカイグアナの事じゃありませんし、某メジャーリーガーでもありません。」

 (分かってるって)

 「と言うわけで次回、特撮映画の紹介やそれに使われた素晴らしき技術を紹介しようと思います。」

 「なあ、弓塚にシオン・・・さっき落ちた二人は大丈夫なのか?」

 「多分大丈夫だと思うよ」

 「まあ、次回には戻ってくるでしょう」

 「ははははは・・・」

 

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