ルクスお姉さんの居残り授業

第二次ソフィア先生の補習授業

こんにちわ ようこそドイツ(?)へ

 

 「ドイツ国民に向かって尋ねる。

ドイツ国民よ!

汝は、我々とフランスの間では今やついに戦いの斧は葬られ、平和と理解がもたらされることを望むか?

汝がそれを望まないのならば「否 (ナイン)」!

汝がそれを望むなら「賛成(ヤー)」と言え!」

 

賛成(Ja)!

 

 「我々はフランス国民を圧迫してその権利を削減することを望んでいるか!?」

 

否(Nein)!

 

 

 

 「我々は平和を望んでいる。

だが平和を望む声はかき消され、今だ絶え間なく続く戦乱の火は我らの安住の地を脅かしている。

私は自らに問う。

我らが平和を望んでいるのならば、平和を望まない輩はいったい誰かと。

泰平を望まず、和解を望まず、絶えず扇動し、不信の種をまかずにいないものは、いったい誰か!」

 

ユダヤ人だ!(Juden!)

 

 

 

 

 「Deutschland erwache aus deinem ben Traum! (ドイツは悪夢から目覚める!)

Gib fremden Juden in deinem Reich nicht Raum!(ユダ豚どもに与える部屋など、帝国にはない! )」

 

賛成(Ja)!

 

 

 

 

 「ボルシェビズムに煽動された愚劣な行動が、偉大なるヨーロッパを脅かそうとしている!

これはようやくにして得られたヨーロッパの真の平和に対する重大にして不遜な挑戦であるのだ!

ならばどうするのか?!

答えよう!

愚かなる反逆者はゲルマン民族とその偉大なる友邦によてひき潰されるのだ!

39年から輝かしい勝利しか知らない鉄血の軍団に打ち倒されるのだ!

涙を流したまえ、諸君!

初めから敗北を約束された惨めな反逆者のために!」

 

 

 

賛成(Ja)!

 

 

 

 

 

 「だが、戦いはまだ終らない

偉大なる先達よ、非力な我等をお許し下さい

願わくばあなた方に死後の安らぎが訪れますように

英霊よ、照覧あれ!

どんな苦境にあろうとも我々はあなたがたの闘志と想いを忘れない

わたしはドイツの勝利を信じるのみである!

諸君はわたしと共に、ドイツ国民の窮極の全面勝利を信じるか!」

 

 

賛成(Ja)!

 

 

 

 

 「諸君は全面戦争を望むか!」

 

賛成(Ja)!

 

 

 

 「容赦のない総力戦を望むか?」

 

賛成(Ja)!

 

 

 

 「もし必要とあらば、今日想像できる以上の全面的かつ徹底的なる戦いを諸君は望むか?」

 

賛成(Ja)!

 

 

 「よろしい! ならば嵐だ!

苦境にあった我らは、敗戦の中でドイツ的忠誠を覚えた!

ドイツの勝利の日まで あるいはドイツの滅亡の日まで我々はこの忠誠を捧げるつもりである!

諸君にその覚悟はあるか!」

 

賛成(Ja)!

 

 

 

 

 「永年にわたり余が賞賛し来たった日本は、今やわれわれと協力するにいたった。

かくて日独伊三国はその生存を確保するために厳然と立ち上がっているのだ。

われわれの勇敢なる同盟国日本が太平洋の敵の起ち上がらぬ前に敵に一大痛棒を加えたように、ドイツもまたつねに敵の機先を制して、これを攻撃した事実をよろこぶものである。

われわれは、日本に対して深甚なる感謝を捧げねばならない。

なぜならば、日本の赫々たる戦果はわれわれの敵の覆滅を保証するからである」

 

総統万歳!(Heil Huhrer!)ハイル・ヒューラー」

天皇陛下万歳!(Heil keyser!)ハイル・カイザー」

 

 

 

 

 「われわれは戦争に負けるはずがない!

われわれには三千年間一度も負けたことのない味方が出来たのだ。

われわれは常に先制攻撃をかける!

ルーズベルトはウッドロー・ウィルソン同様の狂人だ。

やつはまず戦争を煽動し

次に戦争の原因を捏造し

そして汚らわしくもキリスト教の偽善の外套を身にまとって、自分の攻撃が正当なものだという証人として神の名を呼びながら、ゆっくりと、しかし確実に人類を戦争に導いてゆく。

諸君!

諸君は皆ついに救いを見出したと思う。

一つの国家が、その真実と正義の歴史の中で例のない恥知らずな扱いについに抗議する措置をとったのだ。

日本が、日本国政府が、この男と何年もの交渉の末、ついに三文の値うちもないやり方で嘲弄されることにあきた事実は、ドイツ人の全て、そして世界の全ての謙虚な人々を深く満足させるものである。

そこで私は本日、アメリカの代理大使ならびにその部下に対し旅券を渡すよう手配した。

よってドイツ国政府はアメリカとの全外交関係を断絶、ルーズベルト大統領により招来されたかかる状況下において、ドイツもまた本日よりアメリカと戦争状態にあると考える」

 

総統万歳!(Heil Huhrer!)ハイル・ヒューラー」

天皇陛下万歳!(Heil keyser!)ハイル・カイザー」

 

 

 

 

 

 「我が国にも2種類のドイツがあるように、日本にも2種類の日本がある。

一つが資本主義的、親英的日本。

もう一つは「日出づる国」「サムライの国」としての日本だ。

日本海軍は後者の具現化だ。

人間が自分自身の本質に一番近いものを見出すのは海の男の中なのだ。

ユダヤ人は、自分達の千年間にわたるその同化の努力の中で、ヨーロッパの諸民族を骨抜きにし、性別も不明な混血児に教育することには成功するかも知れない。

しかしながら、日本のようなアジアの民族主義国家に対して、この同じ運命を押し付けることは、まず不可能であろう。

このことを、ユダヤ人はよく知り尽くしている。

今日ユダヤ人は、ドイツ人、イギリス人、アメリカ人やフランス人らしく振舞うことはできるであろう。

しかし、この黄色のアジア人に関しては、ユダヤ人を結び付ける掛け橋はどこにもない。

そこでユダヤ人は、民族主義国家日本を、今日存在している似たような国の力を使って殲滅してしまおうとしている。

すなわち、ユダヤ人の手の中でこの最後の敵が無抵抗の国々に対する暴力的支配者に変貌する前に、この危険な敵を片付けてしまうために。

ユダヤ人はユダヤの世界支配への道を掃き清めるために日本の壊滅を祈っている。

ユダヤ人は彼らの独裁を打ち立てるためには、日本を倒壊しなければならない。

イギリスのユダヤ人新聞は「日本の軍国主義と帝国主義を打倒せよ!」と叫んでいる。

ユダヤ人は、千年の歴史を持つユダヤ人国家において、日本のような民族主義国家を恐れている。

したがってユダヤ人による世界支配体制が完成する前に日本を滅亡させたいと願っている。

そこで、今日ユダヤ人は、かつてドイツに対してやったように、諸国民を日本に対して扇動している。

したがって、イギリスの国策がまだ日本との同盟関係を頼りにしようしているときに、早くもイギリスのユダヤ系新聞は同盟国日本に対する宣戦を要求し、

民主主義の宣言の下に、そして「日本の軍国主義と天皇制を打倒せよ!」という雄叫びの下に、日本を殲滅するための戦争を準備していることは別に不思議ではない。

日本人は、東方に移動したゲルマン民族の血が大量に入っている。

私はそれを確信した!」

 

 

総統万歳!(Heil Huhrer!)ハイル・ヒューラー」

天皇陛下万歳!(Heil keyser!)ハイル・カイザー」

 

 

 

 

 

 「ユダヤ人には、全ての責任を負わせるべきである。

そして最も恥知らずな悪徳をユダヤ人の責任だと考えても、それが誤算だったということは決してない。

私は確信している――ユダヤ人は黄禍の問題で遠大な計画を立てるとともに、白人種の国の一つが、ユダヤ人の病菌に免疫で、しかも今や列強に伸し上がってきた黄色人種の島国を滅ぼしてくれる可能性まで読んでいたのだ、と。

我々にとって日本は、如何なる時も友人であり、盟邦でいてくれるであろう。

この戦争の中で我々は、日本を高く評価すると共に、いよいよますます尊敬することを学んだ。

この共同の戦いを通して、日本と我々との関係は更に密接は,そして堅固なものとなるであろう」

 

総統万歳!(Heil Huhrer!)ハイル・ヒューラー」

天皇陛下万歳!(Heil keyser!)ハイル・カイザー」

 

 

 

 

 

 

 「ドイツの草を育てるものは何だ!?」

 

血!血!血!(Blut!Blut!Blut!)ブルート! ブルート! ブルート!」

 

 

 

 「我々の商売は何だ!」

 

殺せ!殺せ!殺せ!(töten!töten!töten!)トェーテン! トェーテン! トェーテン!」

 

 

 

 「生涯忠誠!命懸けて!(Semper fi! Do or die!)セイバー ファイ ドゥ オア ダイ!」

 

 

闘魂!闘魂!闘魂!(Gung ho!Gung ho!Gung ho!)ガンホー!ガンホー!ガンホー!」

 

 

 

 

 第一忠誠、第二服従、第三勇気、第四誠実、第五正直、第六同志愛、第七責任の喜び、第八勤勉、第九禁酒、第十われわれが重視し義務とするものはわれわれの天皇であり、われわれの愛国心である!

われわれは他のいかなるものに対しても気を配る必要はない!

赤どもを踏みにじれ、打ち倒せ、刺し殺せ、絞め殺せ、焼き殺せ!」

 

闘魂!闘魂!闘魂!(Gung ho!Gung ho!Gung ho!)

 

 

 

 

 「イギリス人は新聞でロンメルに最高の賛辞を送っている。

これは、イギリス人が現状に満足していないことのあかしである。

なぜなら、彼らが負けたときに敵を誉めるのは、そうすることで敗北をよりうまく正当化するためであるのだから」

 

Rommel ! Rommel ! Rommel !」ロンメル!ロンメル!ロンメル!

 

 

 

 

 「ドイツ・アフリカ軍団は総統の大胆不敵な部隊である

我らは狂おしく襲いかかり イギリス兵のスープに塩を叩き込む

我らは砂漠の酷暑も、砂も恐れず

喉の乾きに、焼きつく太陽に抗い

太鼓に合わせて行進せん

進め! 進め!

進め、我らがロンメルと共に!」

 

Rommel ! Rommel ! Rommel !」ロンメル!ロンメル!ロンメル!

 

 

 

 

 アフリカの大地に太陽は熱く照りつける。

われらの戦車のエンジンは歌を歌う。

灼熱の太陽の下、ドイツの戦車は英国との戦いに向かう。

総統の戦車に英国人は用心せよ!

お前たちを殲滅しようとしているからな。

彼らは死も悪魔も恐れない!

彼らは大英帝国の野望を打ち砕く!」

 

栄光あれ,栄光あれ,栄光あれ,勝利あれ!(Gloria, Gloria, Gloria, Viktoria!)(グロリア グロリア グロリア フィクトリア!)

 

 

 

 「過去数十年間 日本は、まさにイギリスの天敵であった。

「大英帝国の進むところ阻むものなし、ただし日本を除いては!」とは英国自身の言葉である。

すでに日本海軍は我がドイツ海軍を凌ぎ、英国海軍をも追い抜いた。

量でこそ米国に劣るものの、その質にかけては比類なき世界一の海軍である。

英国よ! 恐れるがいい!

お前たちの栄光の歴史が終わりを告げるときが来たのだ。

日本の戦艦に英国人は用心せよ!

お前たちを殲滅しようとしているからな。

彼らは死も悪魔も恐れない!

彼らは大英帝国の野望を打ち砕く!」

 

栄光あれ,栄光あれ,栄光あれ,勝利あれ!(Gloria, Gloria, Gloria, Viktoria!)(グロリア グロリア グロリア フィクトリア!)

 

 

 

 

 

 「同志諸君! 兵士諸君!

諸君の合言葉は『チェロ・デリー! チェロ・デリー!』である!

われわれの任務は、大英帝国最後の墓場、古都デリーのラール・キラに入城式をおこなう日までは終わらないのである!

われわれはこれより、デリーに向かって進軍する!

チェロ・デリー!(征け、デリーへ!)チェロ・デリー!(征け、デリーへ!)」

 

 チェロ・デリー!チェロ・デリー!

 

 

 

 

 

 

 

 「灼熱の中を歩いた事の無い者は焔の祝福を受けない!!

闘争は最も自然な日常的な物である!! 闘争は永遠であり普遍である!!

闘争は人生である! 全ての闘争は戦争である!

闘争は万物の根源である!

力! 力! 力!! 

勝利に進め! 勝利万歳(ジーク・ハイル)!」

 

勝利万歳(Sieg Heil )!

 

 

 

 

 「我が偉大なる大ドイツ帝国(グロース・ドイチェス・ライヒ)に滅亡という言葉はない!」

 

勝利万歳!(Sieg Heil)!

 

 

 

 「御旗盾無ご照覧あれ!

神の御加護を!」

 

勝利万歳!(Sieg Heil)!

 

 

 

 「ドイツ!」

 

 

勝利万歳!(Sieg Heil)!

 勝利万歳!(Sieg Heil)!

祖国ドイツに栄光あれ!(Blühe, deutsches Vaterland!)!ブリューエ ドイッチェス ファーターラント!

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「というわけで、わたしが貴様らを鍛えることになったソフィア・パンタブルグ大尉である。

最初に言っておく

話しかけられたとき以外は口を開くな

口でクソたれる前と後に パンツァー・マイヤーと言え

Do you maggots understand that! (分かったか、ウジ虫ども!)」

 「(ヒソヒソ) ウジ虫って・・・をい・・・」

 「そもそも我が栄光ある大ドイツの歴史は、ビスマルクにはじまり・・・」

 「大尉、いきなりプロイセンですか?」

 「構わん。それ以前は 趣味の世界だから覚える必要などないのだ」

 「それはある意味正しいですけど・・・・・」

 「そもそもプロイセンの歴史を紐解くと (略) 

ホーエンツォレルン家のアルプレヒトが1512年にドイツ騎士団総長に就任したのがきっかけで、1525年にはプロイセン公として封ぜられ (略) 

アルプレヒトの家系が断絶したのをきっかけに、この地はホーエンツォレルン本家に委譲され (略)

ブランデンブルク=プロイセンが誕生したのだ」

 「(ヒソヒソ) ・・・何言ってるの、この電波は?」

 「(ヒソヒソ)・・・それより気になってたんですが、あのCGは誰なんでしょうか?

あれじゃ、どこぞの吸血鬼  そのものですよ。

たしかにモデルはあの人(?)ですけど・・・」

 「(ヒソヒソ) そもそもキャラの原型のひとつがドイツ軍服を着たアル●ェイド  だったからな。

多少は似てても仕方ない」

 「(ヒソヒソ) かと言って、あそこまで露骨にパクるというのもどうかと思うわよ・・・半袖にしただけじゃない」

 「(ヒソヒソ) 中身は別物だ。 問題ない」

 「(ヒソヒソ) たしかにあそこまで電波なア●クェイドさん  は同人誌でもいませんけど・・・」

 「(ヒソヒソ) うーん、それにしてもいろんなものが混じってるわね」

 「(ヒソヒソ) やり過ぎですよ。

自分自身でも何を書いてるかわからないくせに・・・・・・」

 「(ヒソヒソ) それっぽい文章をかき集めただけだからな」

 「(ヒソヒソ) 元ネタ全部わかる人いるのかしら・・・?」

 「(ヒソヒソ) そもそもこの人は一体どこの軍なのでしょうか? アメリカ海兵隊ネタも入ってるから枢軸国と言うわけにもいきませんし」

 「(ヒソヒソ) 多分、NATO軍って言い出すんじゃねえか? あれなら米軍、独軍が両方いるから・・・」

 「(ヒソヒソ) でもインド軍が混じってるわよ・・・?」

 「(ヒソヒソ) うーん・・・それじゃMG3マシンガンを使ってる軍ということで」

 「(ヒソヒソ) それ以前に日本はNATOに加盟してませんよ」

 「(ヒソヒソ) だめか・・・むぅ・・・」

 「(ヒソヒソ) だいたいなんで大尉が新人教育なんてしてるわけ?

普通はもっと低い階級の人がやることでしょ?」

 「(ヒソヒソ) 人手不足なんじゃねえの?」

 「(ヒソヒソ) それにあの人、なんであんなにテンション高いのよ?」

 「(ヒソヒソ) 出番がなかったからだろ。俺たちは何だかんだ言って出番あったしな」

 「(ヒソヒソ) わたしもありませんでしたよぉ・・。

これはまさにキャラヘイト。

キャラクタ―違いによる酷い差別です。

謝罪と賠償を請求する必要がありますね」

 「(ヒソヒソ) だからやめようぜ、コリアンネタは・・・」

 「(ヒソヒソ) 事実を書くな、事実を」

 「(ヒソヒソ) アイゴー(=Goddom)

ジョークは現実を越えられないんですね・・・」

 「(ヒソヒソ)それより、なんでパンツァー・マイヤーなんだ?

いつからあの人は、クルト・マイヤーSS准将になったんだよ」

 「(ヒソヒソ) カッコいいから真似したいとか」

 「(ヒソヒソ) ミーハーね。

それにしてもナチネタとインドネタを混ぜるのはどうかと思うわ。

一緒にしちゃマズイっしょ」

 「(ヒソヒソ) 別に問題ありませんよ。

インド人のナチス親衛隊は実在しましたし」

 「え? マジ? じゃあ何?

ターバン巻いて、色黒で、カレー大好きのSSがいたってわけ?」

 「・・・ルクスさん。あなたはひょっとして、インド人はカレーしか食べないと思ってませんか?」

 「え? 違うの?

 「・・・これだから白人は・・・・・・

日本人は、インドと一緒に戦ったのは日本だけだと思ってますけど、ドイツもインドと一緒に戦ったんですよ。

どっちかというと、インドがドイツと一緒に戦ったんですね。

元々、インド独立の英雄チャンドラ・ボーズさんはドイツと組んで英国を倒そうと思ったんですけど、ヒトラーさんに相手にされなかったもんでしぶしぶ日本と手を組んだんです。

その彼が日本と手を組む前にドイツで作った「第950インド歩兵連隊」は、1942年には正式にドイツ軍に編入されてます

この時点で連隊はヒンドウー教徒1,503名、シク教徒516名、イスラム教徒497名、その他少数民族77名の合計2,593名で構成されていましたが、さらに志願兵とドイツ人基幹スタッフ300名が加わって総勢は3500名にもなり、車輌81両、軍馬700頭を持っていました。

このときはまだ練習兵扱いだったけど、1943年7月7日には正式に戦闘部隊と認められ、1944年2月10日には砂漠の狐エルウィン・ロンメル元帥もインド人部隊のところへ訪問してくれました。

ノルマンディー上陸作戦直前までは、インド人兵士がパリでしばしの休暇を楽しんでたほどもあるです。

そして1944年8月8日に「第950インド歩兵連隊」は「SSインド義勇兵団(Indische Freiwilligen Legion der Waffen SS)」と編成され、名実ともにナチス親衛隊になったのでした。

めでたし、めでたし」

 「そこで終っちゃいかんでしょ それで?」

 「それでといわれても・・・あとは敗戦に次ぐ敗戦で、ベルリンは陥落は時間の問題。

インドSSの皆さんはアルプス山脈からスイスへ逃げようとしてましたが、米軍とフランス軍に投降。

その後の消息は不明です」

 「うーん 驚くべき歴史の事実ね。でもなんでインドはドイツと手を組もうとしたわけ?

 「イギリスが嫌いだからですよ。

チャンドラ・ボーズさんは、ロンメルさんが北アフリカで連戦連勝してるのを見て、リビアとインド洋から日独印連合軍で挟み撃ちを仕掛けて、エジプト駐留の英軍を倒そうと本気で計画してましたし、

WWU後のエジプト共和国二代目大統領のナセルさんや、三代目大統領のサダトさんは、

「もしもロンメルがエジプトの英軍を倒したら、エジプトはロンメルと共に立ち上がる」

とかいうノリで、「コブラ・コネクション」という秘密情報機関を設立。

イギリスの情報をドイツに流していたそうですよ。

戦後になって否定してますけどね、ドイツは負けちゃったから。

少なくともエジプトの人たちがドイツの勝利を、というよりイギリスの敗北を願っていたのは本当の話ですよ」

 「うーん これまた凄いわねぇ。

エジプトがロンメル軍団を歓迎してたとは・・・」

 「チャーチルさんは焦ったでしょうね。

ロンメルさんの戦いぶりは、彼の意図とは関係なく、列強帝国主義に苦しめられていたエジプトなどのアラブ民族主義を奮い立たせましたから。

当時のドイツは海外に植民地なんて持ってなかったから、ある意味 ドイツ軍は米英帝国主義を打倒する解放軍だったんです。

イギリス帝国は1940年4月明らかにノルウェーを侵略しようとしてましたし。

結果的にドイツ軍が先に侵攻したからドイツが悪いと言われてますけど。

どさくさ紛れの侵攻作戦はイギリスの伝統ですから」

 「恐るべしは伝統ね・・・」

 「あとイギリスは真珠湾攻撃の4ヶ月前、1941年8月に中立国のイランに侵攻してますね。ソ連も一緒ですけど。

どさくさに紛れてフランスの植民地も分捕ってますし」

 「そんなことまでしてたのか・・・」

 「だってイギリスですから。

こんなことを平然とする二枚舌の国から独立するためなら、ナチスとだって手を組みたくなるのが普通です。

それに、インドとドイツを繋ぐ証拠ならたくさんありますよ。

例えばチャンドラ=ボーズさんのお嫁さんは、当時はオーストリア出身のドイツ人(当時のオーストリアはドイツと併合していた)ですし」

 「そうなの? 初耳ね」

 「大戦中は秘密事項でしたから。

白人と戦う指導者が、白人の姉ちゃんと結婚してちゃ示しがつかないでしょう?

ドイツ人だからOKてな理屈は通じないでしょうし」

 「そりゃそうね」

 「ロンメルさんがエジプトのエジプトの観光名所の一つ「シーア」というオアシスの町には、今でもロンメル将軍の写真が街の記念品として飾られてます

1942年9月21日、ロンメルさんがシーワを訪れて、長老たちは彼を正式に食事やお茶に招待をして歓待をしました。

ロンメルさんの滞在はわずか数時間でしたが、シーワの人々の親切に対して3.5キロ入りの紅茶の箱2つと10000イタリア・リラをプレゼントしたということが語り継がれています。 

なんでここまでドイツ軍の将軍が人気あるかというと、当時のイギリス兵はシーア遺跡の壁画をぶっ壊して持って帰っちゃったんですよ。

記念品だからとか言って」

 「そりゃ怒るわ。英国人は一体何を考えてるのかしらね」

 「あと独ソ戦当初のウクライナやバルト三国ではドイツ軍に呼応する人たちも大勢いましたし、ソ連軍の中にはドイツに寝返って戦った兵士たちもいたんですよ。

『大祖国戦争』なんて真っ赤なウソ。

まるで全国民が一丸となって戦ったような言い方をしてますけど、それはソ連のプロパガンダ以外の何者でもないんです。

独ソ戦が1941年6月に始まり、その一ヶ月後の7月にはベロストーク附近で捕らえられたロシア兵捕虜34万の内、2万が寝返りました。

それを見たほかの連中が次から次へと寝返りまくり、1941年7月16日に、スターリンさんは命令第19号を発しました。

「いかなる戦線にも、敵陣に逃亡し、敵軍に遭遇した途端に武器を捨てるような分子が多数いる」

結局、スターリンさんが酷い命令を出せば出すほど、寝返る将軍は増えましたけどね。

アンドレ・アンドレヴィッチ・ウラソフ将軍みたいな第一線のベテラン将軍とか。

1942年にも、オシントルフで義勇ロシア部隊が編成された時、そこにはとても受入れられないほど多数の志願兵が殺到しましたし、スモレンスク州と 白ロシアでは、農民達がモスクワの指導下にあったパルチザンから自分達を防衛する為に、志願兵から成る10万人もの<人民警察>を結成しました。

もっとも、これに慌てたドイツ軍当局はすぐその解散を命じましたけどね。

1943年の3月には、ハリコフ市近郊の将校捕虜収容所でヴラソフ運動(=ロシア解放運動)に関するビラを配ったところ、730人の将校達が、ロシア解放軍への入隊呼び掛けに署名しました。

面白いことに、彼らの多くは、スターリングラード攻防戦でドイツ軍と戦ったソ連の英雄たちだったんです。

み〜んなソ連が大嫌いだったから、ドイツ軍のほうに寝返る寝返る。

ソ連崩壊でこんな資料が出てきましたしね」

 

  参考資料: アンドレ・アンドレヴィッチ・ウラソフ将軍 1942年夏作成された演説原稿より
「同志ソヴィエト・インテリ諸君!
私アンドレ・アンドレヴィッチ・ウラソフ中将は、もとソ連第2突撃軍司令官兼ウォルホフ戦正面軍総司令官代行―今はドイツの俘虜16901号である。今回の戦争におけるわが国民のいうにいわれぬ苦しみを見、わが軍事的失敗を痛感すれば、責任者は誰かと疑問が生じるのは当然であろう。

戦前の12ないし15年を回顧するなら、おのずと結論は出る。スターリン一味に全ての責任はあるのだ。ス ターリンらはコルホーズシステムによって国土を荒廃させ、実直な数百万人を破滅させ、1937年より38年にかけ軍の基幹を殺し、その冒険的政策により国 益と関係なき無意味な戦いを引き起こした。いま大衆の支持を失い、行政機関は崩壊し、経済は壊滅して、彼らは国を滅ぼさんとしつつある。ドイツ軍はクリミ ヤを占領し、わが南西戦線を蹂躙して、ヴォルガまで進出し、さしたる抵抗にも会わず、北カフカスを手中に収めた・・・
前線での将校の立場に希望は無い。スターリン一味は、彼らに失敗の責任をかぶせ、しかも彼らの行動は、政治委員、政治部、NKWD(内務人民委員部)に拘束されているが、そういった連中は軍事のことは何も知らぬ・・・。故国では全き混沌と史上類を見ぬ崩壊が進みつつある・・・。

スターリン一味はイギリス、アメリカの援助とそこに生じるべき第2戦線に頼っている。諸君の大半はイギリスとアメリカの政策を知っていよう―最後の 一兵までロシアを戦わせて火中の栗を拾わせ、ドイツをロシア人によって消耗させ、その代わりにいいかげんな第2戦線を約束するだけなのだ。
歴史をかえりみてみよ!
ロシア人民が英米の利益のために流されるのは、これが初めてではない!スターリン一味が祖国を追い込んだ袋小路から、いかなる出口があるか?ひとつだけある・・・。いまだ祖国を愛する者、幸福な国民を見たいと念ずる者は、全力を挙げ手段を尽くして、万人に憎まれるスターリン体制の打倒に努めなくてはならぬ。反スターリンの新政府を樹立し、英米の利益に奉仕する犯罪的戦争を終え、ドイツと名誉ある和平を結ばなくてはならぬ。
それは諸君次第なのだ!」

  参考資料: アンドレ・アンドレヴィッチ・ウラソフ将軍 1943年2月26日スモレンスクの講演にて
「いまは戦時であります。ドイツ軍はスターリンとボルシェヴィズムを相手に戦っている。ボルシェヴィズムがまだ死んでいなことは、この冬に明らかとなっ た。そして幾百万の同胞がなおスターリンの下で戦いつづけているが、これは強制されてか、ドイツ人のミスにより彼らを恐れるためであります。皆さんの多く も同じようにしてドイツと戦った。その結果ドイツは、ロシア人の大半がボルシェヴィズムを承認しているものと考えた。われわれを疑うのも無理はないこと。 その迷いを正すのがわれわれと皆さんの仕事なのです。この誤解からドイツ人はミスを犯した。しかし、私は良きドイツ人たちと話し、彼らがこのミスの事を知り、これを償おうとしているとわかったのです。が、それには、彼らも、自分の国内に生じた深い不信と戦わなくてはならない。その彼らを支援することもわれわれの使命です…。
われわれが本当にボルシェヴィズムを憎み、それと戦う意思があることをドイツ人に示すことが…。私の話したドイツ人のすべては、1億9千万の人口をもつロシアを植民地に変えるなどナンセンスであると はっきりいった。不肖私が首班となるべきロシア委員会の使命は、ロシアとドイツの名誉ある共存協定をドイツと結ぶことであります。私が知った世界は、ロシ アよりも自由でありながらより組織化され、より豊かな富を持つものでありました。この戦争までわれわれには、独力でボルシェヴィズム体制に叛旗をひるがえ す力は無かったのであります。それには外部からの援助が必要。この援助のためには犠牲を払う覚悟もしなくてはなりません。われわれは昔から心の大きな民族 でありました。ただ取るだけでなく、他を援助するに吝かでない民族であったのです。

いまこそその実を示さなくてはならない。向こうからのプロパガンダに迷ってはいけません。ボルシェヴィズムのプロパガンダがどんな手段を用いてくるか、皆さんはよく知っているでしょう。ここに来たからには私がドイツ側で皆さんの苦しみを代表します。手を貸してください。売国奴といわれても耳を傾けないでください。わが民族の大半がスターリンとボルシェヴィズムを拒否するなら、スターリンとボルシェヴィズムに対して戦うのは裏切りではない。今日この戦いでわれわれを支援できる唯一の人々の助けを借りることも…。皆さんにこのことは言っておく、長いことスターリンのために戦い、首都前面でドイツ軍を防いだ私は、いまこの道を選び、そこを歩みつつある。ドイツ人に強制されてではない。自分の意志で選んだのです。しかし、この道を最後まで歩くには、皆さんの信頼と援助を必要とするのであります…。

  参考資料: ロシア解放軍 志願補助員の宣誓
 わが故郷の忠実なる息子として、私は、自由意志をもってロシア解放軍に入隊し、ボルシェヴィズムを敵とし、わが民族のために立派に戦うことを、ここに誓うものであります。
ドイツ及びその同盟国の側でのこの戦闘においては、総統にして解放軍総司令官たるアドルフ・ヒトラーに忠誠と無条件的服従を誓います。この誓いの為いつなりと生命をささげる覚悟であります。

 

 

 「ヒトラーがロシア解放軍司令官ねぇ・・・。

そこまでソ連が嫌いなのね、きっと。

それにしても、ソ連崩壊で公開された資料は歴史を塗り替えるわね、マジで」

 「ソ連崩壊前からありましたけど・・・、やっぱりソ連崩壊は大きいですね。

なにせ、決定的な証拠書類は、ほとんどがソ連の金庫の中でしたから。

まあ、そんなこんだでドイツに寝返るロシア人の数は膨れ上がり、1943年の頃には約80万人のロシア兵がドイツ側で戦ってたんです。

ヒヴィス(HIWIS、HILFSWILLIGE=志願補助員の略)が60万、傭兵武装SSが20万、計80万。

バルバロッサ作戦直後のドイツ軍の兵力がルーマニアとかの傭兵を合わせても320万人くらいだから、もう凄い数ですね。

東部戦線は、中身を細かく見てみると独ソ戦というよりは、反共多国籍軍VSソビエト連邦共産軍という見方の方が正しいんです。

というわけで、『ナチスドイツ=完全悪』ってのはどー見ても連合国の歴史観ですね。

ソ連崩壊によって、ソ連が保管していた機密資料が大量に公開された以上、そんなものに現代人が付き合う必要はないと思います」

 「うーん、ソ連も崩壊したんだから、そろそろ歴史の見直しをしてもいい頃かもしれないわね」

 「とりあえず、北アフリカの場合、チャーチルさんが本当に困ってたのは事実ですよ」

 

 

 参考資料: Sir Winston Leonard Spencer Churchill 「大戦回顧録」より
中近東の喪失はロンドンの喪失よりも恐ろしい

 参考資料: サー・ウィンストン・レオナード・スペンサー・チャーチル ロンメルを指して
Master of War(戦争の名人)」

 参考資料: 英国首相 ウィンストン・チャーチル
「敵の指揮官ロンメルは、きわめて勇敢な、きわめて巧みな敵将だ。戦争という行為は別として、偉大な人物だ。…悔しいが!

 参考資料: ノーベル文学賞受賞者 ウィンストン・チャーチル
敵ながら天晴れ!

 参考資料: 時代を越えた偉大な英国人NO,1(BBCアンケート) ウィンストン・チャーチル
偉大な将軍

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
アラメイン以前に、われわれには勝利はなかった。アラメイン以後、われわれに敗北はなかった」

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
ロンメルは聖者

 参考資料: 北アフリカ戦線の英国兵の間で流行った噂
神がロンメルを守っている

 参考資料: 英軍司令部 北アフリカ戦線の英国兵に対して
ロンメルは人間である

 参考資料: ウィンストン・チャーチル 北アフリカ戦線の英国兵に対して
「ロンメルを神格化するようなことはあってはならない!」

※英国人で一番ロンメルを神格化しているのは貴方です。

 

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
「英国人はジャム、ウイスキー、ソーダ水、たばこ、ソーセージと新聞だけで不便を感じずに世界を征服した

※ 日本が英国に征服された歴史はない。

 

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
「われわれは心を引き締めて自らの義務を果たし、もしイギリスとその連邦が千年つづいたら、人々が次のように言うように振舞おうではないか。『これこそ彼らのもっとも輝かしきときであった』と。」

 参考資料: ジャン・ピエール・レーマン(スイスIMD大学教授) 「日本と西欧」より
日本をその手でたたきのめしたのは米国であって、戦争中にさんざん屈辱を受け、さらに植民地を失った英国など欧州諸国は何もできなかった

※ 彼らのもっとも輝かしきとき=何もできなかった太平洋戦争(笑)

 

 参考資料: ウィンストン・チャーチル プリンス・オブ・ウェールズとレパルスが日本軍に撃沈された報告を受けて 『第二次大戦回顧録』より
「戦争の全期間(第二次世界大戦)を通じて、わたしはそれ以上の打撃をうけたことはなかった。いかに多くの努力と希望と計画が、この2隻の軍艦とともに沈んでしまったか。ベッドのなかで寝返りを打ち、身もだえするわたしの心にこのニュースの持つ恐ろしさがしみこんできた」

※ 彼らのもっとも輝かしきとき=劣等人種と見下していた日本人にボコボコにブチのめされた太平洋戦争(笑)

 

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
イギリス帝国の崩壊を主宰するため私はイギリスの首相になったのではない!」

 参考資料 : アドルフ・ヒトラー 1942年1月30日
「あの無駄口ききの、飲んだくれのチャーチルめ、奴が全人生で成し遂げた事などあるか?
 偽りの標本め。第一級の不精者め。」

※ 総統閣下、チャーチルはイギリス帝国の崩壊を成し遂げました。彼の代で英国はただの島国に逆戻りになったのです(ニヤリ)

 

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
「私に提供できるものは、血と労苦と涙と汗だけである。そしてわれわれの政策が何かと問われるのなら、こう答えたい。それは陸海空で全力を挙げ、神の与え下さる力の限りを尽くし、この戦争を戦い抜くことである」

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
「自分は大英帝国の清算人ではない」

 参考資料: リンドバーグ
「イギリスが勝算もなく戦争を始め、その大失策をアメリカに肩代わりさせようとしている

※ われわれの政策=アメリカに尻拭いさせること
  大英帝国の清算人=アメリカ合衆国

 

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
「共産主義を知らない奴も共産主義の手先」

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
「ヒトラーを倒すためなら地獄の悪魔とでも手を結ぶ」

※ アカを舐めていたチャーチルはアカの手先ですた(プッ

 

 

 参考資料: ウィンストンチャーチル 英国の仮想敵国とは?という質問に対して
自国以外の全ての国

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
「We shall never surrender!"(我々は決して降伏しない)」

 参考資料: ウィンストンチャーチル
「金を失うことは小さな事である。名誉を失うことは大きく失うことである。しかし勇気を失うことは全てを失うことである」

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
ナポレオンを破ったピット(当時の英国首相)のようになりたい

※ それが本音か

 

 参考資料: チャーチル
「我々はみな、虫けら(worm、ミミズ)にすぎない。でも虫は虫でも自分はホタル(glow-worm、ツチボタル)だと思う。

※ それが本音かPart2

 

 参考資料: ウィンストン・チャーチル
戦争がないとつまんないね

※ それが本音かPart3

 

 

 

 「あれですね。

チャーチルさんを見てると、つくづく英国人という生き物がよくわかりますね。

二枚舌で、差別主義者で、プライドばかりやたらと高くて、だけどちょっと可愛いかなとか」

 「うーん イギリス人ってムカツクけど憎めない連中ね・・・」

 「こうしてWWUのドイツではコカコーラは「ヨーロッパ文明への脅威」ということで売れなかったため、ドイツのコカコーラボトラーがコーラに代わる炭酸飲料を開発しました。

これがファンタというのはあまりにも有名な話ですね」

 「えーと、だから何?

 「・・・・・」

 「おい二人とも・・・大尉が怒ってらっしゃるぞ」

 「え? あ、ごめん

存在忘れてた

 「・・・・」

 「アイムソーリー ヒゲソーリー HAHAHA!」

 「・・・・・大尉、何か一言どうぞ」

 「・・・Goddom!(地獄に落ちろッ!)」

 「『地獄に落ちろ!』は”Go to hell”ではないのでしょうか?」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「Du Schwein!(豚野郎!)

誰がしゃべっている! 

Who the fuck said that!(どのクソだ!)

アカの手先のおフェ●豚め!

ぶっ殺されたいか!? 」

 「(ヒソヒソ)・・・逆切れかよ・・・それになんでフルメタル・ジャケット・・・?」

まるでそびえ立つ糞だ!byハートマン軍曹

↑ フルメタル・ジャケット(1987/米国)
監督  スタンリー・キューブリック

 「(ヒソヒソ) ・・・・・あれでしょう、一時的精神錯乱ってやつ・・・。

衝動的に映画ネタがやりたくなるんですね、ホント困ったことに・・・

せっかく私がこのまま主役をやろうと思ったのに・・・」

 「(ヒソヒソ) 人数多いと出番が減るのよね」

 「誰がしゃべっているかと聞いている!」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「Nobody, huh? (答え無し?)

The fairy fucking godmother said it! Out-fucking-standing! (魔法使いのババアか!) 」

 「・・・俺です、ヘルコマンダー」

 (ヴォルフさん?)

 (いいから任せておけって)

 「そっちのクソか・・・

勇気あるファッキン・コメディアン ブロゥーデ・クー(イカれた雌牛)二等兵

正直なのは感心だ 気に入った

家に来てをファックしていいぞ」

 「姉? 姉なんているの?」

 「・・・あのぉ大尉(Hauptmann) ?

ティルさん  に手を出すのはマジで危険だと思うんですけど・・・

変なクスリを注射されたらマジで廃人に・・・」

 「私は一向に構わん

 「いいのかよ・・・」

 「ってゆーか、なぜ烈海王?」

 「マイナーなネタですね」

 「ヤツは悪魔だ。

私が未婚なのをネタに、顔を合せる度にからかってくる。

一度くらい、見知らぬ男どもにレ●プされた方が世のためだ」

 「どーいうお姉さんなのでしょうか?なんとなく想像はつきますけど・・・」

 「軍医さんなんだが、かなり・・・・ちょっと性格に問題がある人なんだよ」

 「知り合いなんですか?」

 「一応 幼馴染だからな。ソフィア大尉の家は俺ン家の隣りだ」

 「じゃあ何? あんたら昔からの知り合いなの?」

 「まー そーいうことになるな。小さいときは一緒に風呂にも入って――――」

 「風呂?」

ゴンッ!

 「がはっ!」

 「ベラベラしゃべるな馬鹿者」

 「ソフィアさんはヴォルフさんにとって近所のお姉さんだったんですね」

 「知り合いだったんだ」

 「無駄口はここまでだ。

これより神である私が貴様らのあだ名をつけてやる。

おい 貴様の出身地はどこだ!」

 「えーと、生まれは一応、ミュンヘンです」

 「あれ? あんたプロイセン人じゃなかったの?」

 「育ちはベルリンだよ。生まれがミュンヘンなだけだ」

 「Holly dog shit!

ミュンヘンだと?

ミュンヘンなら知っている。

だがミュンヘンで採れるのは小便みたいにヌルいビールとオカマ野郎だけだぞ、バイエルン二等兵」

 「小便みたいなビールって、をい・・・」

 「ビールには見えんからオカマ野郎か! 」

 「いいえ」

 「 Are you a peter puffer? (おフェラ豚か? )

 「違います」

 「I'll bet you're the kinda guy that would fuck a person in the ass and not even have the goddamn common courtesy to give him a reach-around.

(カマを掘るだけ掘って、相手のマスかきを手伝う外交儀礼もないヤツめ!)

I'll be watching you.(きっちり見張るぞ!)

 「ヤヴォール ヘルコマンダー!」

 「次は貴様だ!」

 「・・・あたし?」

 「質問に質問で答えるな!

アホに質問するのは私の仕事だ!」

 (逆らわない方がいいかもね・・・)

 「よろしゅうございますか? 官姓名を名乗れ!」

 「Sir!  Private Luchssir!(ルクス二等兵です!)」

 「Bullshit! (ふざけるな!)

I can't hear you!(大声を出せ!)

Sound off like you got a pair!(タマ落としたか!)」

 「サー! タマなんて最初から無いです、サー!」

 「cock sucker!(フェ●チオ女が!)

貴様の出身地はどこだ!」

 「テキサスです、サー!」

 「テキサスなら知っている。

牛とブッシュとテリーマンの名産地だ。

そうだな、カウボウイ?」

 「そうです、サー!

だから『カウガール二等兵』と呼んでください、サー!」

 「黙れ糞虫!

本日より貴様を『老いぼれドラゴン女二等兵』と呼ぶ

いい名前だろ、気に入ったか? 」

 「Sir, No, sir!

あたしもバイエルン二等兵みたいにカッコいい名前にしてくださいサー!」

 「よーしわかった!

貴様のために取っておきのあだ名をつけてやる!

アーシュ・ロッホ(ケツの穴)二等兵だ!

変更は認めん。

嬉しく涙が止まらないだろうが礼はいらんぞ、フハハハ・・・!」

 「Scheisse Lehrer・・・!(クソ教師が・・・!)」

 「次は貴様だ」

 「サー イエス サー」

 「素直でよろしい。ケツの穴二等兵とは大違いだ」

 (・・・畜生・・・しっかり学習してやがるわね・・・)

 「貴様の名前を言ってみろ」

 「リューシアナッサ・アンピトリーテ二等兵です、サー」

 「Are you nut!? (お前は、狂人か!?)

名前が長い!

本日よりシャクティ二等兵と呼ぶ

いい名前だろ、気に入ったか? 」

 「サー イエス サー!」

 (そのまんまじゃねぇか・・・)

 (なんであたしだけ『ケツの穴』? こんなの不平等よ・・・)

 「私は厳しいが公平だ。

人種差別は許さん 。

黒豚、ユダ豚、イタ豚を、私は見下さん 。

すべて――― 平等に価値がない!

 「あ、コミーだ」

 「そうですね。平等に価値が無いって辺りが・・・」

 「if you survive recruit training... you will be a weapon, (貴様ら雌豚どもが私の訓練に生き残れたら)

you will be a weapon, ( 各人が兵器となる)

you will be a minister of death, praying for war. (戦争に祈りを捧げる死の司祭だ )

その日まではウジ虫だ!

地球上で最下等の生命体だ

貴様らは人間ではない

両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!

貴様らは厳しい私を嫌う

だが憎めば、それだけ学ぶ!

私の使命は役立たずを刈り取ることだ

愛するドイツ海兵隊の害虫を!

分かったか、ウジ虫!」

 「ドイツに海兵隊はありませんよ、大尉」

 「・・・・」

 「・・・・」

 「上官の面子を潰すとはいい度胸だ、バイエルン二等兵。

貴様 身長はいくつだ!」

 「175センチです」

 「175センチだと?

まるでそびえ立つ糞だ

サバ読んでるのか?」

 「いいえ。サバ読んでいいなら180センチと答えます」

 「Bullshit!(ふざけるな!)

パパが種をまき、ママが畑を耕してできたのがおまえだ!

上出来だ!

頭が死ぬほどファックするまでシゴいてやる!

ケツの穴でミルクを飲むようになるまでシゴき倒す!」

 「・・・・」

 「スキン小僧が!

じっくりかわいがってやる!

泣いたり笑ったりできなくしてやる!

いいか!

いつか私のケツの穴を舐めさせるぞ!」

 「・・・・」

 「?

どうしたバイエルン二等兵?

なぜいきなり前かがみになる?」

 「いえ・・・その・・・なんでもありません」

 「(ヒソヒソ)やだぁ・・・あいつ変態よ・・・こんなときに何考えてるのかしら・・・」

 「(ヒソヒソ)ヴォルフさん、溜まってるのでしょうか・・・?」

 「(ヒソヒソ)前々からヤバイと思ってたけどね。そのうち襲ってきたらどーしよー・・・」

 「(ヒソヒソ)あんなんで興奮しちゃうなんてまともな性癖じゃないですよ絶対。何されるかなんて考えるだけでも恐ろしい・・・」

 「そこっ! 勝手な噂を立てるな・・・!」

 「その格好で言っても説得力がないわよ」

 「くっ・・・」

 「さて、わたしが嫌いなのは人種差別主義者と共産主義者だ。

人間など血と糞の詰まった革袋に過ぎん

中身が同じなのに、袋の色がどれほどの差になるというのだ。

そんなもので人間の価値を決めようとする差別主義者どもは人間のカスと断言できる」

 「さりげなく物凄いこと言ってるわね」

 「ずけずけと遠慮しない言い方はドイツ北部出身者の性分だ

米国の某国防長官もドイツ系の性分については同じコメントをしている」

↑ 米国の某国防長官(2003年現在70歳)

 「・・・・こいつかよ」

 「彼の名はジーク・カイザー・ドナルド・ラムズフェルド

ペンタゴンのダースベイダーと呼ばれている男だ」

 「ジーク・カイザーって・・・」

 「それに誰がダースベイダーなんて呼んでるわけ?」

 「1990年7月25日には「私はブッシュ大統領からイラクと良好な関係を保つよう命じられています。」といいながらも、翌年の湾岸戦争ではイラクをボコボコにブチのめした二枚舌の持ち主。

その経歴はまさに化け物。

皇帝(エンペラー)の名に相応しい。

唯一にして最大の欠点は実戦経験がないことだが、指揮官はときとして実戦経験がない方がリスクのプレッシャーに押しつぶされることがないため、必ずしも欠点とは言えない。

実戦経験があっても無能だった独裁者が半世紀前にドイツを滅ぼしたのがいい例だろう。

同僚からは「ラムズフェルドが口を開くたびに同盟国が減る」と言われ、スペイン首相には「ラムズフェルドは少し黙れ」と言われるなど敵も多いが、そんなことでめげることはなく、むしろ開き直るほどの強靭な精神力の持ち主。

自分はドイツ系と言いながら、同盟国ドイツを「役立たず」だの、「古い欧州」だのと豪語したり、「最後に、何もしない数ヶ国がある。リビア、キューバ、ドイツだ」と述べたりするあたり、やっぱりアメ公はアメ公だと感じさせてくれる元全米海軍レスリングチャンピオン。

あのお歳になってもペンタゴンで級友に会うと、挨拶もせずにいきなりレスリングの技をかけるらしい。

なんとも微笑ましい話ではないか。

ナチス軍服を着せたらこれほど似合うアメリカ人もそうそういないだろう」

 「・・・どーしてドイツ系ってのはこーも頭がイカれてるのかしら・・・」

 「ドイツ系?

何を言っている。

ラムズフェルドはラピュタ系だ

 「ラピュタって、をい・・・」

 「何を驚く。

ムスカ大佐を実写にしたらあんな感じではないか。

っていーか、

そのまんまだろう」

 「まぁ、たしかに・・・」

 「さて、このラムちゃんだが―――」

 「大尉。

今さらながら完全に話が脱線してます。

真面目にやらないと読者が続きを読まなくなってしまいますよ。

だいたいラムちゃんって  じゃあるまいし、そんな呼び方してたら人格を疑われると思いますね」

 「・・・お前は薔薇のような男だな」 

 「薔薇、ですか・・・?」

 「薔薇の花言葉を知ってるか?」 

 「いえ・・・」

 「馬鹿は死ななきゃ治らない

ドンっ!

 「な・・・・! ・・・? 痛くない・・・?」

 「安心しろ。モデルガンだ。ふふふふ・・・・」

 「・・・・」

 「・・・美しい・・・

まさに世界最高の拳銃だ・・・・

このデザイン、この威力、見るものを圧倒する重圧感・・・・

・・・うっとり・・・・」

デザートイーグル ( 18才以上 )

 「エヴァ初号機も使っていただけのことはある。(※16話)

やはりハンドガンはこうでなくてはな・・・ふふふ」

 「(ヒソヒソ)・・・・・ねぇ、なんか前回の授業のときよりさらに酷くなってない?」

 「(ヒソヒソ)・・・たしかにな」

 「(ヒソヒソ)でしょでしょ」

 「(ヒソヒソ)・・・・・俺たちがコリアンネタで出番を占領してたから怒ってんだろ。もしくは腹が減って気が立っているんだよ。パターンだからな」

 「(ヒソヒソ)・・・よくわかるわね」

 「(ヒソヒソ)・・・まあな。あの人は複雑なように見えるが、実はかなり単純な人間なんだよ。

基本的に短絡思考だからな。

しばらく付き合ってりゃわかる」

 「(ヒソヒソ)なんとなくわかるわ、それ・・・」

 「さて、読者の熱狂的な支持を得て復活した『ソフィア先生の補習授業』だが――――」

 「まぁ、今時そんな奇特な方がいたんですねぇ。

あんな毒電波しかないアホ小説を読むのは電波野郎だけだとばかり・・・」

 「何か言ったか シャクティ二等兵?」

 「いいえ、きっと復活を喜んでくれる読者もたくさんいてくれると思いますよ」

 「よろしい。

さて、授業をはじめる前に、今日は転校生を紹介する」

 「転校生って・・・いつからここは学校になったの?」

ガラガラ・・・

 「よろしくね」

 「よ」

 「やっほー」

 「よろしく頼む」

 「と、この4人がテッサ先生の補習授業  からわたしのところへ来た。

可哀想なことに、アイコンを描き直したものの出番がなく、このまま倉庫行きというのはもったいないという理由でこちらに世話になりにきたというわけだ」

 「ま、そりゃ構わないですけど。

テッサ先生本人は?」

 「死んだ

 「ク、クルツくん! 何バカなこと言ってんのよ! ただ単に本編の方へ行っただけじゃない!」

 「・・・慰めはやめなさい。かえって辛くなるだけよ」

 「その通りだ千鳥。 君も早く慣れた方がいい。

いちいちその調子では次は君が死ぬ番だ」

 「そういう問題じゃねぇだろ・・・」

 「死んだ、ねぇ・・・このギャグ小説で死人なんぞ出るとは到底思えないんだけど・・・」

 「・・・これを見てくれ」

↑ これ その1

↑ これ その2

 「・・・・・・」

 「大佐・・・いや、テレサ=テスタロッサはもういない・・・。

彼女はテロリストから艦を・・・・ いや、俺たちを救う為にウィスパード能力の限界を超えてしまった。

俺達はそのおかげで助かった。

だが、その代償はあまりに大きかった。

・・・・。

これがその代償だ・・・」

 「・・・立派な子だったぜ。

たしかにドジで、マヌケで、頭隠して尻隠さずの電波娘だったが、俺は彼女を尊敬していたんだ」

 「まったくもって『尊敬』が感じられないセリフね・・・」

 「あたし達はテッサのことは忘れないわ。

・・・神よ 願わくは死者が安らかに眠り、残された我らに楽しき思い出だけを残さんことを

エイブラハム・リンカーン」

 「だから殺すなっちゅーに・・・」

 「そー言えば、トム=ハンクスはリンカーン大統領の子孫らしいな。

10代くらい遡るとリンカーンの奥さんに繋がるらしいぜ。

ま、遠い親戚ってだけの話なんだがな」

 「アメリカはなんだかんだ言っても世襲制の国だからね。

家の名前がモノを言う国だってことの証拠かしら」

 「言語能力が小学4年レベルでも大統領になれる国だからな。

まさにアメリカンドリーム。

日本じゃ考えられないぜ」

 「これが文化か・・・

ヤック・デカルチャー・・・・」

 「・・・ところで、今回は何をやるの?」

 「うむ。

今日はユダヤ人の陰謀の歴史について語ろうと思っている。

WWUから半世紀以上が経ち、冷戦も終った。

すでに時代は21世紀。

そろそろパンドラの箱を開けてもいい頃だと思う。

免疫のない人間にはちょっと信じ難い話だが、まあ軽く気持ちで読んでくれ」

 「しかしなんで突然そんなもんを言い出し始めたんだ? アンタは反ユダヤ主義者じゃねぇだろ。

ただ単にアカが嫌いな反共主義者じゃねぇのか?」

 「そうだ。

別にユダヤが何人死のうが知ったことじゃない。

ユダヤが被害者を名乗ろうがこちらに迷惑がかかるわけではないので放置しておいた。

ついこないだまではな。

だが、そのついこないだ前に、某ユダヤ団体が日本に対してユダヤ特権を振りかざしてきたことを知ってしまった」

 「ユダヤ特権ねぇ・・・で、どんな特権よ」

 「『ポケットモンスター』という人気アニメがある。

通称『ポケモン』と呼ばれ、マスコットキャラのピカチュウはかなり有名だろう。

このアニメはアメリカでも放送されており、ポケモンはアメリカ・カナダでは大人気の作品だ」

 「日本のアニメは世界一だからね」

 「そのポケモンのグッズで、『ポケモン卍付きカード』というのがあるのだが、これが某米国ユダヤ団体の圧力によって製造中止に追い込まれた事件がある。

1999年12月4日のことだ。

別にポケモンそのものを削除したり、カードグッズそのものが発禁になったわけではないが、その理由が『卍(まんじ)の形がハーケンクロイツに似ているから』というものだった」

 「卍(まんじ)とハーケンクロイツはまったく別モンだろ。

左右逆だしな。

こりゃとんだ言いがかりだぜ」

 「卍(まんじ)はれっきとした仏教用語の漢字であり、その意味は功徳などを表している。

日本では古来よりプラスイメージで使っており、その歴史はナチス発足のはるか以前まで遡ることができる。

この卍(まんじ)がハーケンクロイツを思わせるのならば、海外版だけで禁止にすればいい。

しかし、ユダ豚どもは日本国内のカードにも卍(まんじ)を禁止するように圧力をかけてきた。

これは明らかに日本文化に対しての侮辱であり挑戦だ。

神国日本に逆らうドグされ外道ども地獄に落ちろ!天誅ぅう!

・・・と叫びたい気持ちはあるものの、当の任天堂が了解してしまったことで一応の決着が着いている」

 「裁判でも起こされたら、膨大な時間と金がかかるからな。

企業としては仕方ない選択とも思うが・・・」

 「それだけならばまだいい。

問題はここからだ。

この手の言いがかりは一度譲歩してしまうと、相手の要求は次から次へとエスカレートしてしまう。これはまさに――――」

 「ミュンヘン会談の二の舞ね」

 「宥和政策は諸刃の剣・・・・。人は何度煮え湯を飲まされれば気がすむのだ・・・」

 「そうだ。

すでにポケモンに対する各国の苦情は熱を上げはじめている。

これを見ろ」

 

参考資料:エジプト 芸能新聞『ヌグームAkhbar al-Nugum』
 この子供のオモチャに対する論争(くだんのファトワーのこと)は、アラブ諸国の世論に影響を及ぼす重大な決定となった。学校の教師やモスクの長老たちが一昼夜のうちに、「ポケモン」という名の新たなシオニストの侵略と、 「ピカチュー」「チャルマンド」「ガルウィース」という子供向けオモチャのキャラクターのお面を被った異教徒の計略に対し、武装して立ち向かう兵士へと変 身したのである。それら(ポケモンのキャラクター)がシオニストの工作員であり、ダビデの六角星がそれらの力の源であること、そしてそれらマンガのキャラクターたちの名前が、偉大な神を汚しユダヤ教への改宗を呼びかける意味を持つヘブライ語の単語に他ならないことは、疑う余地がないというのだ。

(中略)

このゲーム(=ポケモンカード)には、性的不能やガンを引き起こす成分が含まれているという噂さえ広がっている!

(中略)

「空からポケモンカードが降ってきたんだ。」
ショブラ(カイロの街区)に住む12歳のサイイド・ムスタファ君は言った。ポケモンを誹謗する記事を読んだとある地元のお父さんが、息子の持つポケモン カードをバルコニーから投げ捨てたのである。通りの子供たちは、宝物を集めるためにバルコニーの下に集まり、当のカードの所有者はヒステリックに泣き叫ん でいた。その父親は、記者に対して全くのノーコメントであった。
肉屋のおかみさん、ゼイナブ・アブドルカリームさんは、レジの上に『ミーダーン』紙の記事を掲げ、ポケモンは「悪魔のもの」と公言する。
その証拠は?「私は(ポケモンカードを)燃やそうとしたけど燃えなかった。トイレに流そうとしたけど流れなかったのよ。だから、あいつらは絶対に悪魔だよ。

 

参考資料:エジプト 英字新聞『アハラーム・ウィークリーAl-Ahram Weekly』 2001・4・26
 ある者は、ポケモンのゲームが子供に賭博の原理を教えることになる、と主張し、またある者は、これらの小さな生き物(ポケモンのこと)は子供を洗脳するイスラエルの工作員である、と唱えている。さらに深刻なことに、次のように明言するサウジのファトワーが出されている。「ポケモンは、ダーウィンの進化論を採用した賭博ゲームであり、ゆえに反イスラームである。」さらにそのファトワーはこうも主張している。「ポケモンカードには、ダビデの星やキリスト教の十字架など、様々な宗教、カルトのシンボルが用いられている。」

 「何これ・・・?」

 「これはエジプトの新聞の一説だ。

同じくアハラーム・ウィークリーによると、『ミーダーン』という新聞に掲載された記事の中には、

「ポケモン」とは「私はユダヤ人である」の意味であるとか

「ピカチュー」とは「ユダヤ人になれ」の意味であるとか書かれているらしい。

もちろんアハラーム・ウィークリーはこれらの新聞をギャグとして紹介しているのだがな。

しかし、仮にも同国の新聞がそんなことを書いているというのは、本当に笑っていいのか疑問に思うぞ」

 「ピカチューってのは、『ユダヤ人になれ』って意味だったのか・・・知らなかったぜ・・・」

 「なんでポケモンがイスラエルの陰謀になってんだ? 

むしろ敵だろ、卍(まんじ)使って怒るくらいなんだから」

 「アメリカではナチの手先と言われ、アラブではシオニストの手先と言われ・・・。

人気がありすぎるのも困りものですね」

 「外国というとアメリカくらいしか思いつかない連中には想像すらつかないだろうが、これが世界の現実だ。

沈黙は美徳ではない。

どんなにくだらないことでも、その度に抗議の声を上げねば相手の行動はエスカレートしてしまう。

日本人は小うるさく文句を言うと嫌がられると思っている民族だ。

注意しなくとも、やがてわかってくれる。

相手の自浄能力を期待した人間関係が日本文化の「以心伝心」だ。

だが、そんなものは国際社会ではクソの役にも立たん。

以心伝心が通用するのは日本国内だけだ。

そんなことにも気づかず日本の常識だけでしか世界を図れないから、こんな馬鹿げたことが現実に起こりうるんだよ」

 「ちょっとまってよ。

エジプトって、アラブ世界では1、2を争う先進国でしょ?

それがなんでこんなアホなことを言ってるわけ?」

 「それがアラブだ

イスラームの呪縛を甘く見るなよ」

 「恐るべしアラブ・・・」

 「アラブは今だにネタをネタとわからないほど宗教が盛んな国だ。

ポケモンは元々 海外を対象に作ったものではない。

あくまで無神論者の日本人の子供向けに作ったものだ。

だから神秘的な単語をキャラの名前にすることも、ただのネタで、エジプトの知識人はそれを知っている。

このヌグームのライターは、この記事をこう締めくくっている」

 

参考資料:エジプト 芸能新聞『ヌグームAkhbar al-Nugum』
 われわれエジプト人の判断が、子供のオモチャや空想のキャラクターに対する根拠のない批判、さらには本や音楽、映画に対して破門やハラームを言い渡す ファトワーにはつながらないよう、切に祈る。また、この子供のオモチャへの判断とマンガ・ポケモンとのうち続く戦争によって、アラブの栄光が失われることにならないよう、切に願うものである。

 

 「アラブの栄光ねぇ・・・。

その言葉に騙されて中東戦争じゃ何度も他のアラブに裏切られたくせにまだ信じてんのかよ。

エジプトも懲りない国だな、ホント」

 「カードが燃えない、トイレに流れない。

だから悪魔か・・・。凄い理屈だな」

 「トイレに流れなかったから悪魔かよ。

じゃあ何か?

便所でデカいウ●コをして、便器を詰まらせたらそれも悪魔なのか?」

 「まぁ、ある意味あれも悪魔だろうけどね」

 「この新聞記事の作者は、明らかにエジプトが欧米に比べて遅れていることを危惧しているわけだが・・・。

これはことエジプトだけではない。

イスラム世界では確実に『ポケモン包囲網』が張られ始めている。

2001年3月、サウジアラビア、カタールではイスラームの宗教指導者がポケモン禁止のファトワ(宗教令)を出した。

アラブ首長国連邦(UAE)も同様だ。

トルコでは2000年11月、ポケモンに影響された7歳と4歳の子供がバルコニーから飛び降りて重傷を負い、放送監視機関はポケモンのテレビ放送を禁止した。

ポケモンの持つ、ユダヤ教のマークが気にいらないらしい。

時期が時期だけに、ポケモンが理由でテロられても困る。

ポケモンが中東から消えるのは時間の問題だろうな」

 「日本が受ける最初の自爆テロの理由がポケモンだったらお笑いね。

ピカチュー、ピカ、ピカ―(ユダヤ人にな〜れ ユダ、ユダ〜)」

 「可能性がゼロでない辺りが笑えんが・・・」

 「それにしても許せんのはユダヤ特権にすがるシオニストどもだ。

アラブはただ騒ぐだけだが、ユダヤどもは日本国内にさえ圧力を掛けてきやがった。

ムカついたので、ユダヤ特権剥奪のためにユダヤの陰謀を暴く。

仕返しは倍返しが基本だからな。

雉(キジ)も鳴かずば撃たれまいに・・・」

 「イタリアンマフィアみたいなこと言ってますね」

 「いやいや、コロンビアマフィアかもしれねぇぜ」

 「違う違う、チャイニーズマフィアよ」

 「ニューヨークマフィアでは?」

 「どれでも似たようなものだと思うけど・・・」

 「大きな理由はユダヤがムカツクからだが、そんな個人的な理由以外にもいくつかの大儀名分はある。

そのうちの一つ 日本の心の友であるドイツは、戦後ナチの亡霊に苦しまされ、国民が責任を負うことはなかったものの、その罪悪感から自国に誇りを持てずにいた。

自虐史症候群。

この呪いの鎖から盟友ドイツを救うのだ。

たとえ国は違っても、戦友は見捨てられない。

それはインドが日本を戦友と思い、敗戦直後に賠償金を取るどころか援助してくれ、さらに「インドは今でも日本がインドのために戦ってくれたことを忘れない」という言葉からも、戦友という言葉は決して右翼思想ではないと私は思う」

 

 

 参考資料 : 1988年1月 フランソワ・ジュヌー(『ヒトラーの遺言』の著者)
 「この資料(ヒトラーの政治的遺言)が、ついに日本の読者にその国語で親しく読まれるようになったことに、私はとりわけ深い喜びをおぼえます。こ の資料は、並外れて明敏な思考力を備え、最悪の事態に直面しても自己批判を恐れず、加うるに多くの問題についてすぐれた予言力を持っていたヒトラーという 一個の存在を明らかにしてくれるものです。とりわけ印象深いのは、ヒトラーが、彼の国民の独立と尊厳のために戦わねばならぬと決意せざるをえなかったのは いかなる場合においてであったか、また、色とりどりの国際色豊かな世界に対立する無味乾燥で画一的な「MADE IN USA」という世界から、自国の文化遺産と伝統とを守る術を知っていた彼が、ドイツ国民の豊かな世界にいかに大きな信頼を寄せていたか、という点です。ヒ トラーがその為に戦った世界の中で、日本は卓越した位置を占めていました。彼は次のように述べています----
余にとって日本は、変わることなく盟邦であり、友人であり続けるであろう。
この戦争は、それが、いつまでも変わることなく大切なもの、そして、よりいっそう貴重なものであることを教え続けてくれるであろう。

※ ドイツ史上、一度も裏切らなかった同盟国は日本だけである。なお、イタリアには二度の大戦で二度とも裏切られている。

 

 

 参考資料: 1945年5月当時にドイツに流れた噂
「ドイツが降伏してからも、日本が戦っているのはヒトラー総統が生きていて、日本に行って指揮しているからだ

※ 敗戦直後のドイツでは、日本人はただでビールを飲ませてもらえたらしい。

 

 

  参考資料: ドイツ人の本音
「次にやるときはイタリア抜きでやろうぜ!」

※ Google検索エンジンで「イタリア抜き」を検索すると実例がたくさんでてきます。

 

 

 参考資料: アドルフ・ヒトラー「ヒトラーの遺言」1945年2月17日口述より
イタリアさえこの戦争から手を引いていてくれたらならば!
イタリアが“非交戦状態”を続けていてくれたならば!
イタリアのこうした態度は、我々両国の相互の友情と利害上の結合とに基づいて、どれほど計り知れない価値を我々にもたらした事であろうか!」

 参考資料: ムッソリーニ
「イタリア人というやつは羊だ。こいつを変えるには18年では たりない、180年いや、180世紀かかる

 

 「やっぱりイタ公かい」

 「イタ公が手下だったのがムッソリーニさんの最大の不幸でしたよね。なんであそこまでやる気がないんでしょうか?」

 「イタ公さえいなければ勝ってたのに・・・」

 「イタ公はマジでいらねぇ」

 「イタ公は使えないな」

 「イタ公は役に立たないわ」

 「相変わらず酷い評価ね・・・」

 「さて、いらない・使えない・役に立たないの三拍子揃った腰抜けのイタ公によって敗戦に追い込まれたドイツでは1994年9月23日、「アウシュヴィッツ虐殺否定発言」を最高五年の禁固刑で罰する刑法改正が成立した。

ユダヤ虐殺の捏造を暴く。

それは歴史資料の見直しであって、言論の自由で保証されているはずだ。

自国に不利な言いがかりを歴史資料の見直しによって跳ね返すことはどこの国でもやっている当然のことだ。

しかし、自虐史観に凝り固まったドイツは、歴史資料の見直しのすらも法律で禁止するほどで、ドイツの自虐史症候群は末期的なものになっている。

もし、歴史資料の見直しがネオナチとされるのならば、わたしはネオナチを支持する。

そして問題はことドイツだけではない。

これが日本にまで飛び火するかもしれないからだ。

ドイツはドイツ、日本は日本。

お互いは独立国家であり、ドイツが何をしようと日本が何かする義務など持たない。

この単純かつ当たり前な理屈は反日左翼どもには全く通じない。

だからこそ、矛盾だらけの資料を疑いもせずに平然と信じてる連中に、嘘を嘘だと見抜けない人間は他国の工作員そのものであるということを実感させねばならん。

ドイツを助けることは、日本を守ることにもなる。

つまり、ユダヤ捏造を暴くことは、日本の国益になるということだ。

以上がこの授業の目的である。

決して、ネタになるからなどという単純な理由ではないと断言しておこう」

 「最後の一行は本音だろ?」

 「ふっ そう思いたければ勝手に思え。

真実は読者の心の中に存在するのだ

 「ま、そんなことはどーでもいいけどな。

それにしても海外はすげぇな。

一体何考えてんだか理解不能だぜ」

 「やっぱリューシ―さんもこんな感じ?」

 「まさか 私は宗教には寛大ですよ。

それに私はイスラム教徒じゃありませし。

そもそも私はアラブ人じゃないですし」

 「リビアはアラブじゃないのか?」

 「だからリビア人じゃないですって。

わたしはインディアンですから」

 「インディアン? 黒人のインディアンがいるのか?」

 「クルツさんの言っているのはネイティブアメリカンのことでしょう?

わたしはインド人です」

 「はじめて聞く設定ね」

 「はい わたしも初耳です。

きっと今思いついた設定なのでしょう」

 「をい・・・」

 「いいのかそれで?」

 「インシャ・アッラー(神がお望みなら)」

 「なぜアッラー?」

 「まあまあ、いいじゃないですか。

私がどこの国の人間だろうと読者は気にしませんし」

 「それを言っちゃ〜お終いだよ

 「元ネタは『ドラえもん』かい?

ドラえもんの出す道具にはロクなものがない。

それを言っちゃ〜お終いだよってか?」

 「あんたの突っ込みもロクなもんがないわね」

 「それを言っちゃ〜お終いだよ

 「あー お終いさ」

 「・・・一体何を言っているのだ? マリファナのやり過ぎか?」

 「マリファナって、をい・・・」

 「さて、ドイツを助けると言ったものの、一般人にとってドイツは歴史の中に出てくる単語に過ぎん。

たとえ付き合いがあったとしても、それは国レベルであって国民レベルの話ではないと思っている人間も多いだろう」

 「違うの?」

 「違う。

日独友好秘話など探せばたくさんある。

にも関わらず、今の日本人はドイツ好き=軍オタというレッテルを張りがちだ」

 「それは9割正解じゃないのか?」

 「ねえ」

 「親ドイツ派がすべて軍オタというのはあくまでモノを知らない連中の偏見だ。

これを見よ」

 

 

 参考資料:ZAKZAK 2003/03/04より
ドイツ西部のノルトライン・ウェストファーレン州経済振興公社は4日までに、日本の識者は米国を最重要視しながらも、ドイツに最も好感を抱いているとのアンケート結果を発表した。

欧州で最も重要なパートナー」としてもドイツが59%で1位、英国24%、フランス9%を抑えた。

 

 

 「これを見る限り、親米&親独というのは極めてポピュラーな国際感覚といえるだろう。

アメリカを最重要国と考え、ドイツを最友好国と考える人間の数は、実は日本で一番多いのだ」

 「うーん、多いのかなぁ・・・」

 「日本の識者=軍オタじゃねぇの?」

 「ねえ」

 「ならば、このソースが信用できないという証拠を出せ」

 「そう言われると困っちまうが・・・・ま、無視するわけにもいかんわな」

 「もう負け? 情けないわねぇ」

 「俺は勝てない喧嘩はしない主義なんだよ。

勝てると確信したときだけ戦う

ナポレオンもそう言ってたぜ」

 「ナポレオンは孫氏を愛読してたって聞いたけど・・・」

 「なんだ、パクリか。

糞フレンチめ、とんだ恥を掻いちまったぜ」

 「とうとう ”糞” 呼ばわりかい」

 「だってフランス人は立小便しまくるだろ? パリなんざ表は綺麗だが、裏は汚物だらけだしな」

 「相当 偏見持ってますねこの人」

 「だが、あながち嘘じゃないぜ。

フランスがアルジェリア植民地時代に残した文化は、フランス語と立小便だと言われるくらいだからな。

そこまで言われるフランス人って一体なんだろう?とか考えちまうぜ」

 「とまあ貴様らのように、日独友好をWWU繋がりでしか考えられない偏見主義者どもを一人でも減らすことが日本の国際化の課題であると私は考える。

そもそも、日本人の多くはWWU後のドイツが「過去の侵略とユダヤ人虐殺を猛烈に反省し、同じ過ちを二度と繰り返さない平和的な国家」を目指していると思っているだろう」

 「そうでしょう?」

 「だが、それは左翼のプロパガンダに過ぎん。

たとえばこのドイツ国旗だ」

 「ドイツ国旗の黒赤金の横三色旗は、対ナポレオン解放戦争時のリュッツォ義勇軍の軍服の色に由来し、一説によれば、黒は勤勉と力を、赤は熱血を、金は最高の名誉を表すとされている。

この三色旗は、1848年革命の際のフランクフルト国民議会でも採用され、また普墺戦争時のオーストリア軍の腕章にもなった。

こうした経緯から普墺戦争後の北ドイツ連邦は、自由主義の色合を持ち敵軍の腕章の色ともなった黒赤金の代わりに、ブランデンブルクの色である黒白とハンザ都市の色である白赤を重ねて黒白赤の三色旗を掲げたわけだが、第一次世界大戦後のワイマール共和国では、黒赤黄が国旗に認定された。

よく戦時中のドイツの旗はハーケンクロイツだと思われているが、あれはナチス党の旗で、ドイツ国旗は当時もこれだ。

この旗は戦争に利用され続けた歴史を持ち、「Deutschland über alles(世界に冠たるドイツ)」という思想を持っている。

当然、WWU後の連合軍占領下のドイツではこの旗は禁止されていたが、ドイツ人がそんなものを守るわけもない

1949年ボン基本法第22条「連邦旗は黒赤金とする」の規定により今日の国旗が確定した。

当時の日本がまだGHQの占領下だった頃の話だ。

同じようなことは国歌にも言える。

現在のドイツの国歌は『統一、権利、自由』であるが、この歌は『世界に冠たるドイツ』の三番目の歌詞に当たる。

「ドイツ、世界に冠たるドイツ、万邦に冠たるドイツ」で始まる『ドイツこそ世界の覇者』的な歌詞のこの曲は当然 連合軍によって禁止された。

だが占領期が終わり、西ドイツ国家も成立していた1950年4月18日(国旗確定の翌年)、ベルリンで何かの会合があったとき、キリスト教民主同盟の首相アデナウアーが突然この歌の三番を歌いだし、驚いた同席の社会民主党員何名かが退席してしまったという。

その後、自由民主党の大統領テオドア・ホイスが新国歌として『信念の国、ドイツ』を提唱しましたが反響を呼ぶにいたらず、結局1952年5月2日の大統領と首相との交換書簡の中で現在の国歌に定める合意が成立したと言われている」

 「・・・・ ドイツはWWUで懲りたってイメージがあったのに・・・

やる気満々じゃん

 「当然ですよ。白人がそんな簡単に反省するわけないじゃないですか」

 「おいおい、そりゃ偏見だぜ。

白人が反省しないっていうなら、中国や朝鮮はどうなんだよ?

黄色だって反省しないじゃねえか」

 「あれと黄色人種を一緒にしないでください。

あれは別物ですから。ねー、カナメさん?」

 「うーん、そ、そうかもね・・・」

 「あいつらは国としても最悪だけど、民族としても最悪なんで、できれば自国から出ないで欲しいんですけど・・・。

華僑もコリアンもやたら外へ出たがるんですよね。

外国の方が居心地がいいから」

 「外国の方が寛容だからねぇ、特に日本とか」

 「というわけで、国旗一つを上げてみても、日本人はドイツについてあまりに無知だ。

とりあえず、日独関係がWWUより前からあったことを示す日独友好の美談の例をいくつか上げてみよう。

これで少しはドイツが好きになると思う」

 「また無駄な知識が・・・」

 「無駄とか言うな。

それを言ったらこのコンテンツ全てが無駄になってしまうだろうが」

 「違うんですか?」

 「・・・・・。 違う」

 「今の沈黙は何?」

 「気にするな。

ごほん、1873年7月12日、ドイツ商船R・J・ロベルトソン号が、中国福建省からオーストラリアへ向けて航行中、台風に遭って、この上野村宮国沖のリーフに座礁して難破した。

これを発見した宮国の住民は、一晩中松明を明々と掲げて勇気づけるとともに、勇敢にも、激浪の海へサバニを漕ぎ出して、エドワルド・ヘルンツハイム船長をはじめ乗組員を救助して、34日間にわたって、手厚く看護し無事本国へ帰国させた。

エドワルド・ヘルンツハイム船長は記念碑や大理石の板を、設置するよう提案。

皇帝陛下はこのことを聞いてお喜びに成られ、博愛記念碑の建立を許可し、軍艦を派遣して望遠鏡四体と金銀の懐中時計四つずつを贈呈して感謝の意を表した」

 「なんか1890年のトルコみたいね。エルトゥールル事件の」

 「トルコが感動したのは、黄色人種国家であるトルコと白人国家であるドイツを差別しなかったことに大きい部分があると思う。

特にビスマルク時代のドイツは世界の中心だったといってもいいだろう。

欧米列強から「死にかけた病人」とまで言われるほど国が崩壊寸前だったトルコが、そんなドイツ帝国と同じ扱いをされたのだ。

トルコが感動したのは想像に難くない。

日本人からすれば「困っている人間を助けるのは当然。肌の色など関係ない」というだろうが、それは日本独自の文化と言っていいだろう。

そんなことを国民の大半が自然に言える国は、古今東西探しても日本だけだ。

だからこそ、明治維新以来、欧米からやってきた外国人たちの中には日本に憧れるものも少なくなかったと言える」

 参考資料: ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853-1890)オランダ画家   「ゴッホの手紙」より
 日本の芸術を研究してみると、あきらかに賢者であり、哲学者であり、 知者である人物に出合う。彼は、歳月をどうすごしているのだろう。地球と月の距離を研究しているのか。いや、そうではない。ビスマルクの政策を研究しているのか、いや、そうでもない。彼はただ一茎の草の芽を研究しているのだ。ところが、この草の芽が彼に、あらゆる植物を、 次には季節を、田園の広々とした風景を、さらには植物を、人間の顔を 描けるようにさせるのだ。こうして、彼はその生涯を送るのだが、すべてを描きつくすには人生はあまりにも短い。いいかね、彼が自らが花の ように、自然の中に生きていくこんな素朴な日本人がわれわれに教えるものこそ、真の宗教ではないだろうか。日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。

(略) 僕は、日本人がその作品のすべてのものにもっている極度の明確さを、羨ましく思う。それは決して厭な感じを与えもないし、急いで描いたようにも見えない。 彼らの仕事は呼吸のように単純で、まるで服のボタンでもかけるように簡単に、楽々と確かな数本の線で人物を書き描き上げる。ああ、僕もわずかな線で人物が 描けるようにならなければならない。

 

 

 「ときは流れ19世紀末。

ドイツ帝国皇帝ウィルヘルム二世は、米国本土侵攻作戦計画を策定していた」

 「そんな計画を立てていたのか・・・」

 「初耳ですよ」

 「計画書が最近になって見つかったんだよ。

もっとも実行されなかったから歴史の教科書には載ってないがな。

その計画は1897年に立案が命じられ、1900年に完成した。

艦艇60隻で10万人の兵士をニューヨークとボストンに上陸させ、米東部を制圧するとしていた」

 「まるで D-day (ディー・デイ)だな」

 「『D-day』 の”D”って何?」

 「それがいろいろな説があってね、はっきりわからないのよ。

米軍の習慣で、”D”はdayを強調しているだけとか、『上陸』 (Debarkation)、または、『指定された』(Designated) を表すとか。

でも、ただ強調しているだけって説なら、H-hour(エイチ・アワー)の説明は楽よね」

 「ちなみにG−DAY ってのは、アメリカ版「ゴジラ」の公開日のことだぜ。

アメリカは1998年5月20日、日本は1998年7月11日がG−DAY」

 「それはどーでもいいわね」

 「くそぉ、第一次大戦はイタ公さえしっかりしてくれれば勝てたのに・・・」

 「イタ公が敵だったから日本は勝てたんですね、きっと」

 「イタ公がいれば勝つのではなく、勝つ方にイタ公は参戦する・・・・・・真理だな・・・」

 「結局、第一次世界大戦でもイタリアはドイツを裏切ってるしな イタ公は使えないぜ、マジで」

 「イタ公はマジで役に立たないわね、やる気ないし、やる気ないし、やる気ないし。

敵よりも恐ろしい味方なのは間違いないわ」

 「第一次世界大戦の敗因もイタリアと言い張るこの人たちって一体・・・」

 「イタ公は置いておくとしてだ。

作戦を立てたドイツ海軍当局者は、米国と開戦した場合、海上封鎖や艦隊決戦よりも本土に上陸して戦う方が効果的と判断。

理由として「米軍の士気や練度は低い」と分析し、米中枢部を占領した上で、ドイツ側に有利な講和条約締結を迫る戦略だった。

ウィルヘルム二世は植民地拡大を目指して海軍の拡張を進めており、ミクロネシア諸島の領有などをめぐり米国と緊張関係にあった。

ドイツ軍首脳は長距離の渡洋攻撃には懐疑的だったが、皇帝の意向を尊重し作戦策定を進めたという。

皇帝の植民地拡大政策は英国やフランスとの対立も招き、1914年に第一次世界大戦が発生。

敗れたドイツ帝国は1918年に崩壊し、作戦が日の目を見ることはなかった」

 「ダメじゃん」

 「まあ、この辺はどーでもいい

話は第一次世界大戦中のシナのドイツ領 青島(チンタオ)からはじまる。

日英同盟を理由にドイツ・オーストリア軍と敵対した日本は青島要塞と呼ばれるドイツの難攻不落の城を攻めた。

攻める日本軍3万、英連邦軍1000のに対し、青島要塞を守るのはドイツ軍4000人とオーストリア軍艦に乗る400名のみ。

また、軍艦の数も日本軍は連合軍の10倍の70隻以上。

最終的にオーストリア人乗組員は要塞に合流して戦うことになり、オーストリア巡洋艦は青島沖で自爆沈没した。

この巡洋艦の名前は、1898年にスイスで暗殺された悲劇の皇后エリザベートの名前をつけた「カイゼリン・エリーザベト」号と言った」

↑ 左:ドイツ軍艦    右:カイゼリン・エリーザベト号

 「実はこのエリーザベト号は親善目的で来日したのだが、日独の戦争・・・というよりは英独の戦争に巻き込まれ、日本は英国側、オーストリアはドイツ側につくことになり、親善のはずが戦争へと発展し舞ったという悲運の艦でもある。

戦争は、1914年9月に始まり、エリーザベト号は上陸した日本軍に砲撃を加え、また、日本軍も砲撃するが、運良く沈没を免れる。

しかし、ついに弾がなくなり、乗組員は上陸して、要塞のドイツ軍と合流。

放棄されたエリ−ザベト号は、先ほど言ったように青島港内に自爆し、沈没。

要塞に立てこもるドイツ・オーストリア連合軍は勇敢に戦うも、次々と戦線を破られ、数日後に白旗を掲げ、ここに2ケ月にわたる青島攻防戦は終わりを告げた。

青島で日本軍に敗れたドイツ兵・オーストリア兵は似島(広島湾に浮かぶ島)や習志野(千葉県)、鳴門などの収容所に捕虜となり、以後5年間、捕虜として過ごすことになる。

なお、この青島攻防戦は日本史上初の航空機を兵器として使用したことでも知られている」

 「それのどこが美談なのよ?」

 「聞け。

この頃の多くの日本人は外人など見たことがなく、金髪碧眼ゲルマン民族など話でしか聞いたことがなかった。

テレビがなかったからな。

だから日本人はドイツ兵捕虜を見に毎日のように集まってきた。

「山中に鬼がいた」「子供を取っていくらしい」という話にする者もいたらしく、ドイツ兵たちが精神的に疲れてしまっていたのは無理もない話と言えるだろう。

それを知った収容所の日本人たちは、別の場所に捕虜収容を建替え、ドイツ兵たちの待遇を良くした。

ドイツ兵たちは、自由に出歩く事は出来なかったが、収容所内では比較的自由に過ごせたという」

 「なんで敵国の捕虜のために税金使ってまで別の収容所を作るの?

それも捕虜の待遇をよくするためなんて理由でさ」

 「それが日本人なんだよ。

戦前の日本人はとにかくお人よしだったからな。

戦いが終われば戦時中のことは水に流すってのが、日本の文化なんだ。

逆に中国なんかは絶対に許さない。

子々孫々まで呪ってやるってのが中国文化で、青島に駐留していたドイツ人たちのアジア観もそんな感じだったってわけだな。

だが、日本人は違った。

捕虜だろうと差別せずに扱ってくれたから、ドイツ兵たちは驚いたってわけさ」

 「囚われの身を恥とする日本人とは異なり、ドイツ兵は捕虜であることも勤務の一部であると考える。

したがって、捕虜である以上、多少の拷問や強制労働は戦争の常と考えるわけだ。

同じ頃、ドイツ国内の日本人は敵国人として逮捕されたりしてたわけだから、自分たちが同じことをされても文句は言えないものと思っていた。

だが、日本人はそんなことは知らないから、相手が敵国の捕虜だろうと人間扱いした。

基本的に「人権」という考え方は日本にはない。

というより、必要ない。

人間を笑顔で殺せる残虐な心などは元々持ち合わせてなんかいない民族だからな。

青島(チンタオ)攻防戦において、降伏したドイツ軍の総指揮官ワルデイック大佐に、日本軍の総指揮官 神尾光臣陸軍中将はこう言ったそうだ。

「閣下と兵士達が祖国から遠く離れたアジアの一角で、孤立無援の中で勇敢に戦われたことに深く敬意を表します。いまや戦いも終わりました。これからしばらく日本で静養して下さい。日本国民は必ずや皆さんの勇気と愛国心を称え、敬意を持って迎えることでしょう」

日本はドイツ兵たちを捕虜ではなく、客人として向かい入れた。

やがてドイツ兵たちは収容所近くの日本人とは仲良しになり、いくつかの収容所ではドイツ兵たちが本国に帰る際に、お別れ会まで開いたという。

たとえ志は違っても、国のために戦った兵士たちを称えた日本人の行為はドイツやオーストリアの捕虜たちに大きく喜ばれた。

おそらくドイツ兵たちは騎士道精神に似たものを武士道に感じたのだろう。

21世紀現在、ドイツ人がやたらと武士道を勘違いしているのは、こーいう極端な例が日本人だと教えているせいだと思われることは想像に難くない」

 「噂には尾ひれが付き物だからね。

忍者とかサムライとか・・・」

 「ドイツ人が知っている日本語は「ハラキリ」と「ゲイシャ」だけって本当ですか?」

 「うーん、ある意味 それは正しい」

 「このような日独友好は坂東収容所のみならず、各地の収容所でも行われた。

この結果、日本に第九が伝わったのだ」

 「はい?」

 「知らんのか? あの名曲を?」

 「えーと、どの名曲? ひょっとして・・・」

 「♪ ふんふんふんふんふんふんふんふん♪ ふんふんふんふんふ〜んふふん ♪

 「これかい・・・・」

 「歌はいいねぇ、リリンが残した文化の極みだよ」

 「ということで、ヴェートーベン作曲 『歓喜の歌』はドイツ兵によって日本に伝わったのだ。

なお、『第九』は映画「ダイハード」のエンドクレジットにも使われているが、これは覚えんでもよろしい」

 「ダイハードはともかく・・・第九が伝わったのってホントなの?」

 「うむ。

それはそうと出演どうもありがとう。貴公の好意に感謝する」

 「このくらい構わないさ。ではまた会おう」

 「また?」

 「そして伝わったものはこれだけではない。

ソーセージも伝わったのだ」

 「ほえ?」

 「・・・・」

 「何見てんのよ」

 「別に」

 「さらに言えば、第一次世界大戦によってドーナッツが世界中に広まったのだ」

 「ジュリィ ドォゥナッツ!?」

 「フルメタ繋がり・・・って、誰もそんなんわからないって」

続けてよろしゅうございますか?byハートマン軍曹

↑ フルメタル・ジャケット(1987/米国)
監督  スタンリー・キューブリック

 「あと第一次世界大戦中に日本に伝わったものとしてはインドカレーですね」

 「カレー・・・」

 「ルクスさん。

ひょっとして、インド人はカレーしか食べないと思ってるでしょう?」

 「いやそのネタはさっきやったから・・・」

 「そもそもカレーライスを日本に普及させたのはインド人であって、インドと日本の友情は帝国主義的搾取階級の知ることでは――――」

 「そりゃ違うぜ、リューシ―さん。

日本にカレーライスを普及させたのは、『青年よ、大志を抱け』で有名なクラーク博士だ。

あの有名な台詞と同時に、『青年よ、カレーを食せ』の名言を残したんだ。

その証拠に、札幌農学校の寮規則に「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」って文章で残ってる。

おかげで北海道こそカレーライスの起源とか言ってる連中がいるが、あながち嘘じゃねぇな」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「うう・・・白人が虐めるよぉ・・・しくしく・・・」

 「なぜそうなる!?」

 「あーあ、泣ーかせた」

 「なんでこーなるかなぁ・・・やれやれ」

 「・・・なんかあたしのときとえらく反応が違うわね」

 「気のせいだろ」

 「えーん、えーん・・・」

 「おー、よちよち。お兄さんの胸でたっぷり泣きなさいな。

寂しければ夜のお供でも・・・」

 「それはお断りします」

 「やっぱり嘘泣きかい」

 「嘘とは人聞きが悪い。 心理作戦と呼んでください」

 「それは詐欺だと思うが・・・」

 「それより、さっきからいろんなものが伝わってるって言ってるけど、それって本当なの?」

 「まだまだあるぞ。

ワイン、パン、バター、チーズ、バナナ、アイスクリームなどドイツ料理。

印刷技法、園芸栽培、土木建設技術、ドイツ式の牧場経営。

ダンス、サッカー、テニス、レスリング、ヨット、ホッケー、ボーリング、重量挙げ、器械体操(鉄棒や鞍馬はドイツから持参した)などのドイツ式スポーツ。

蒸気機関車、モーターなどのドイツ式科学技術などなど。

当時、世界最先端のドイツ技術が無料で手に入ったのだ。

さらに言えば、明治政府の政治形態や、悪名高き教育勅語もドイツを参考にしている。

日本オリジナルと思われている皇民化政策でさえ、元ネタはプロイセン、すなわちドイツだ」

 「教育勅語って何?」

 「知らんのか? 説明してやれ、ヴォルフ」

 「押忍! 不肖ヴォルフ=フォン=シュナイダ―、朗読させていただきます」

 「押忍って、をい・・・」

 「この人は一体どこの国の人なのでしょうか?」

 「騎士道大原則ひと―――つ!

プロイセンの騎士は敵に背を向けない! 敵前逃亡は士道不覚――――」

ゴン!

 「ごっ!  な、何を・・・」

 「・・・誰がリュ―ナ●トをやれを言った・・!」

 「リュ―●イトって何のことですか! 

これは俺のじっちゃんが教えてくれた日本の武士道精神をドイツ風にアレンジした―――――」

 「お前の爺様はアホだろ」

 「ふっ まあな。 伊達に近所から変人呼ばわりされちゃいないぜ」

 「そんなことで威張るなよ・・・」

 「・・・もういい。これを見ろ」

 参考資料: みつめて☆新撰組 (行殺新撰組OPより)
一つ 士道不覚悟、切腹よ
一つ 局を抜けたら切腹よ
一つ 無断の金策、切腹よ
一つ 訴訟(そしょう)を受けても切腹よ
一つ ケンカをしても切腹よ
一つ 宿題やらないと切腹よ
一つ 寝る前に歯を磨かないと切腹よ
一つ 燃えるゴミと燃えないゴミを一緒に捨てても切腹よ
一つ お風呂で身体を洗うとき髪から洗わないと切腹よ
一つ 卵のからざを残すと切腹よ
一つ ブルマー絶滅したら切腹よ
一つ Xn+Yn=Znはnが2より大きいとき自然数解を持たないと切腹よ
一つ モザイク消したら切腹よ
一つ 二階から目薬さしたら切腹よ
一つ パップラドンカルメで切腹よ
一つ お兄ちゃんって呼んでくれないと切腹よ

 

 「・・・・・何これ」

 「む? いかん、資料を間違った」

 「これが悪名高き教育勅語か・・・・。

たしかに、お兄ちゃんって呼んでくれないと切腹とは恐るべし日本文化・・・」

 「ブルマー絶滅したら切腹・・・凄い文化ですね」

 「違うでしょうが・・・! ソフィアさん!ちゃんと説明しないと日本が誤解されちゃうでしょ! しっかりしてよ、もぉ!」

 「これが名高いハラキリか・・・アフガンの兵士たちが日露戦争の日本兵のことを話してくれたが・・・現実とはかくも厳しいものなのか・・・」

 「をい・・・」

 「すまんな。本物はこっちだ」

 参考資料: 教育勅語 〜国民道徳協会による現代語訳〜
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸 襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会 公共のために貢献し、また、法律や,秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。

そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔 も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱 いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

 

 

 「えーと、これは毎朝の朝礼で行う社訓みたいなものですか?」

 「そういうことだ。

ようするに、日本以外の外国では、当たり前のようにやっている宣誓だ。

なぜか戦後の日本では歪曲されて、ファシズムの代名詞になっているが、みての通りそれほど危険ではない。

特に韓国のなんて、「国家の栄光のために身も心も捧げます」などという危険極まりないものをやっているのだから、それに比べれば全然問題ない。

もしこれが危険思想ならば、会社の朝礼でやっている社訓は全部ファシズムということになる。

だが、日本人は知りもせずに嫌悪するから、教育勅語が何なのか知らないんだ」

 「しゃーねーよ。

紹介するだけで韓国から抗議が来るんだからさ」

 「そんなものは無視すればいいのに、保身しか頭にない官僚連中はコリアン団体の圧力を恐れて何もしようとしない。

困った連中だな。

さて、日本文化におけるドイツ文化だが、明治時代の有名な日本人音楽家 瀧廉太郎(たきれんたろう)もドイツ帰りだ。

バイオリンの「スズキ・メソード」を生んだ鈴木鎮一(1898〜1998)もドイツ帰りだ。

明治維新によって近代登山が日本に紹介されて以来、ドイツの登山技術は常に日本登山界の先達であり、登山用語にもその影響が色濃く残っている。

ヤッケ、ピッケル、ザイル、ザック、アイゼン、ピトン、ツエルト等々まさに登山においてその技術や用具はドイツを以って最上となす、という神話にも近い信仰が生きているのはいうまでもない。

日本のオリジナルだと思っている文化は、驚くほどドイツが元ネタのモノが多い」

 「ビックリね」

 「その「ビックリ」も、元ネタはドイツ語のWirklich (ヴィアクリヒ!)という驚きをあわらす感嘆詞を日本風にアレンジしたものだ」

 「マジで?」

 「ドイツ兵の捕虜収容所では、クリスマスに日本人が初めて聴くベートーベンの第九を、皆で演奏出来る程色々な便宜を計っていた。

どこが捕虜だ?と思うだろうが、それはそれ。

そんなある日、食事や身の回りの世話で出入りしていた地元の日本人から、ドイツが降伏したというニュースを聞いて、Wirklich(えっ、本当か!)と、一斉に立ち上がって驚いた。

そんなドイツ人の声を聞いた日本人が、村に帰って真似して「ビックリした」と言ったのがことの始まりで、村中に伝わり、やがて四国全域へ日本全国へと広まったということだな」

 「・・・・・・ホントかよ」

 「信じるものは救われる」

 「なぜセガール?」

 「キッチンでは負けたことはないからな」

 「関係ねぇだろ、ジェリ(=ドイツ野郎)

ったく、それはテッサがやったネタじゃないのよ」

 「テッサさん  もドイツ民族ですから。

正確にはオーストリア・スイス系ですけど・・・」

 「ドイツ民族って一体・・・」

 「さて、一人でも多くのドイツ好きを増やすために有名どころだけ説明しよう。

まずはこの『第九』に関してのエピソードだ。

第一次世界大戦中、1915年(大正4年)から1919(大正9年)年まで中国の青島にいたドイツ兵俘虜(ふりょ)約4672人は日本の12ヶ所の収容所に入れられた。

そのうち、四国には3ヶ所。すなわち丸亀・松山・徳島俘虜収容所があった」

 「俘虜って何?」

 「俘虜(ふりょ)というのは、収容所に入れられた捕虜のことだ。

四国の収容所のうち、松山収容所は日本初の海外俘虜収容所であり、日清戦争で92人、日露戦争では多いときで4000人、延べ6019人の俘虜を収容したという実績がある。

収容所というと、ソ連や北朝鮮のあれを思い浮かべるだろうが、日本の収容所はそれらとは全くの別物だった。

例えば1904年、日露戦争の結果、ロシア軍捕虜として22名の傷病水兵が松山捕虜収容所へ送られてきた。

この出迎えには地元の名士や関係者が多数出迎え、坊っちゃん列車の一等車に捕虜、市長以下は三等車だったという記録が残っている。

なんと、敵国の捕虜の方が日本の市長よりも待遇が良かったのだ。

怪我人とはいえ、敵国の兵士にこれだけの恩情をかける日本の収容所の待遇がよかったのは想像に難くない。

ロシア軍捕虜は雲祥寺や来迎寺、大林寺、正宗寺、松山公会堂、城北練兵場などに収容されていた。

この松山収容所の場合、捕虜たちは松山公会堂から半径一里(=約4キロ)以内は自由行動。

将校は市内居住まで許され、梅津寺の海水浴や芝居見物、道後温泉への入浴等が認められていた。

バーグ条約による博愛処遇で将校の妻子呼び寄せも16組もあったという。

当然、これだけ待遇がいいと、ロシア兵たちも入れられるのならば、この収容所のほうがいいと考える。

だから日露戦争でロシア軍兵士が投降する時に「マツヤマ」と叫ぶことが多かったのだ」

 「えーと、日本人って一体・・・」

 「とにかく日本の名誉を汚さないこと。

これが当時の日本人の共通の意識だった。

戦前の日本人は、強烈なナショナリズムを持ちながら、なおかつ敵兵に情けをかける優しさを持っていた。

このような武士道は、支那や韓国には死んでも真似できん

あいつらに敵を称えるという思考回路は存在しないからな。

日露戦争当時、ロシア兵は豊かな軍資金を持っており、「捕虜景気」と呼ばれるほど市内は繁昌した。

当時の松山市の人口の六分の一にあたるからな。

いい顧客になったのだろう。

この松山収容所では、ワシリ−ボイスマン海軍大佐をはじめとする98人のロシア兵士が松山で亡くなっている。

現在でも、御幸町の来迎寺の境内には彼らの墓地があり、ロシアの方向、北向きに建てられている。

敵兵の墓を祭るのは、日本独自の文化だ。

中国や韓国は敵の墓を暴いて死体をさらし者にするからな」

 「それホントなの?」

 「ホントだよ。

中国と韓国は世界でもっとも残虐な民族だからな。

あそこまで残虐なことが平気でできる民族はあいつらだけだ。

朝鮮戦争でも同族殺しは有名だしな」

 「そして第一次世界大戦が勃発し、ロシア兵の代わりにドイツ兵たちが入ってきた。

当時の記録には、ロシア兵はおおらかだが、ドイツ兵は細かいという記述が残っているそうだ」

 「そのまんまね」

 「松山収容所でも、ドイツ人たちは寛容な態度で受け入れられたが、彼らは精神的に餓えていた。

祖国の音楽が聞きたい・・・

この願いを聞き届けた松山収容所は、特別に許可し、ドイツ人たちはアマチュアながらも楽器を製作し始めた」

 「自分で楽器を作ったの?」

 「時代が時代だからな。

それに全てが手作りというわけではなく、チェコから青島までチェロやバイオリンを持ってきた連中もいた」

 「頑張るわけねぇ」

 「捕虜生活の心の平安は、一に信仰、二に友情、三に音楽から得られたと本人たちが言っているほど、音楽はドイツ兵たちにとってなくてはならぬものだった。

ドイツの生んだ国民的詩人、ゲーテやシラーの力強い言葉を歌詞にしたドイツの歌を演奏することは許可されたことは、ドイツ兵たちにとって至上の喜びだっただろう。

これは松山だけでなく、丸亀や徳島にも言えることだ。

丸亀では六郷村塩屋別院(現丸亀市塩屋町)と船頭町看護婦養成所跡(現丸亀市西本町)が収容所となっていた。

驚くべきことに、パウル・エンゲル少尉を中心としたドイツ兵たちは、捕虜の身分であるのに、手づくり楽器を使用しながら、寺院楽団を編成し、当地で20数回ものコンサートを開催したことだ。

また、彼らは当時の丸亀高等女学校(現県立丸亀高校)で試験的に演奏もしている。

仮にも戦争中の敵国捕虜がコンサートを主宰しているのだ。

これは第一次大戦戦後、欧米にも誉められた日本の優れた歴史の一つなのだが、残念ながら現在の教科書には載っていない」

 「なんで? いい話なのに。

こーいう歴史を学ぶから、「先祖の名誉を汚すわけにはいかない」って思うようになるんじゃない?」

 「自虐史観中毒の末期患者どもがうるさいからだよ。

日本がカッコいい歴史は載せちゃいかんらしいんだわ、これが。

ったく、そこまで日本が嫌いなら日本人やめろよ、うざってぇ」

 「こーいう誇れる歴史を載せないで、なぜ自虐史にはしる歴史しか載せないのか欧米人には理解できんそうだ。

日本の教科書は日本人が読むべき本じゃないからな」

 「自虐史観中毒というのは性質の悪いウイルスみたいなものだ。

一度染まったら、もう元には戻らない。

できることと言えば、まだ完全に染まりきっていない一般人に抗体を作ることだけだ」

 「ウイルスねぇ・・・」

 「さて、このパウル・エンゲル少尉は、ドイツ国内でも有数の音楽家でもあり、「ベートーベンにかけてはドイツで5本の指に入る」と言われていたほどの世界的なバイオリニストだ。

彼が組織した楽団は「エンゲル楽団」と呼ばれ、45名のドイツ兵から成り立っていた」

↑ エンゲル楽団の一部

 「丸亀と同様、徳島俘虜収容所でも楽団が作られていた。

その名は『ドイツ帝国青島沿岸砲兵隊オーケストラ』

なんとも勇ましい名前だが、ようするにドイツの軍楽隊が作った楽団だ。

軍楽隊長ヘルマン・ハンゼンが中心となって作られた楽団によって、1916年(大正5年)にはハイドンの「交響曲103番 太鼓連打」がはじめて日本で演奏されたわけだ」

 「ハイドンって誰?」

 「18世紀に活躍した音楽家だ。同時代の音楽家にはモーツァルトがいる」

 「ふーん」

 「当初、第一次世界大戦はあっさり片がつくと思われていた。

ところが、予想外の長期戦となり、ドイツ兵たちの待遇をもっとよくするようにという話になった。

そこで、ドイツ兵たちがもっと自由に動けるように新しい収容所が作られた。

それが徳島県 鳴門(なると)市に作られた坂東(ばんどう)俘虜収容所だった。

この鳴門市は、四国の東部、徳島県の東北に位置し、四国の本島部と三つの大きな島からなっている。

坂東収容所は、1917年4月4日に運営がはじまり、2日後にはまず徳島収容所から206名のドイツ兵が移住された。

板東収容所では、日本側、というより収容所 所長の松江豊寿(まつえ とよひさ)の寛容な態度によって、ドイツ兵に俘虜としては破格の自由行動が許されていた」

 「あ! (ひげ)」

 「ほっほ〜 こりゃ見事なだねぇ〜」

 「たしかに凄いよね」

 「うむ、だ」

 「ですね」

 「だな」

 「しかないんかい・・・」

 「この・・・・もとい、この松江という人物、もともと会津藩(=幕末戊辰戦争では幕府側について敗北)の出身で、敗者の気持ちがわかっていたのか、口癖として「武士の情け」を繰り返し、上層部と口論になることもしばしばあったという。

「捕虜は愛国者であって犯罪者ではないので人道に扱うべきだ」

しばらくすると、すっかり仲良しになったドイツ兵と日本人との間には心温まる交流がはぐくまれ、当時のドイツ文化の一端が鳴門市全体に伝わった。

坂東にいたドイツ俘虜(ふりょ)は自らを「バンドー人」と名乗り、日本人たちは「ドイツさん」と呼んでいたと言われている」

 「ドイツさんねぇ・・・」

 「徳島収容所でのヘルマン軍楽隊長らの活躍を聞いていた松江所長はヘルマンらに坂東収容所でも音楽隊を作るように言った。

少しでもドイツ兵らが精神的に楽になるようにとの配慮というわけだ。

そして、徳島収容所のドイツ兵らが移送された2日後の1917年4月8日。

ヘルマン・ハンゼン軍楽隊長主催の「徳島オーケストラ」によるプロイセン行進曲で、徳島のドイツ兵たちは坂東収容所入口で演奏して、丸亀収容所から合流した戦友たち333名を迎えた。

翌日の1917年4月9日には、松山から414名のドイツ兵が移送され、計953名のドイツ兵がこの坂東収容所で生活することになったわけだ。

当時、ベルサイユ条約に基づいて俘虜解放がなされるまでは、ドイツ兵たちは「ハーグ協定」に基づいて日本政府から支払われる給付金で生活することになっていた。

将校クラスには月額40円から100円、一方、下士官には一日40銭(月額12円)、兵卒には一日30銭(同9円)の生活費が支給されていた。

もちろん無料配付ではなく、しっかり強制労働はあったがな。

しかし、食事だけとってみても、共同炊事による食費は一人一日約30銭を要したと報告書に書かれており、多くの俘虜たちは、「ゆとり」どころかギリギリの耐久生活を余儀なくされていた。

だが、この収容所はドイツ兵たちから「ムスター・ラーガー(模範収容所)」とまで言われるほど居心地のよい収容所だったようだな。

たとえば、当時のドイツ人がボウリングで楽しんでいたということで、このようなものが残っている」

 

 

 参考資料: 「第九」の里 ドイツ村(林 啓介著 井上書房)より
 「いわゆるドイツ式の九柱戯(ナイ ンピンズ 木柱が9本)で、固い木を丸く削ってボールを作り、数十メートル離れた九柱への命中度を競った。 ピンが現在のように十本ではなく、賭博性の強 いものといわれる。料金は時間帯により異なり、1時間30〜50銭で1日中利用できた。 いずれにしても、板東収容所ボーリング場は、江戸時代長崎の出島 でオランダ人が行ったのに次いで、日本で二番目に古いとされる」

↑ 日本で二番目に古いボウリングのボール

 「木でボウリングなんてできるわけ?」

 「そりゃそうだろ。ボウリングなんて半万年以上前からあるスポーツだし」

 「半万年って、をい・・・」

 「ボウリングは人類最古のスポーツの一つだ。

半万年前という数字の根拠はエジプト文明の遺跡から紀元前3000年〜5000年前のものと思われるボウリングのボールとピンがロンドンの博物館にあることがそれに当たる」

 「はーい、質問です。

エジプト文明の遺産がなぜイギリスにあるんですか?」

 「ホラ、伝統だから」

 「そうですね。伝統だからしょうがないですね」

 「それらの遺物はおそらく宗教儀式で使われたのではないかと推測されるが、その辺は趣味の世界だからどうでもいいだろう。

それはそれとして、遠い異国の地とはいえ、ドイツ兵の中には、日本の事情に詳しいドイツ人が何人もいた。

東京帝国大学法学部の外国人教師ドクトル・ベリーナや、日本で貿易商をしていた人々だ。

そして、板東収容所副所長の高木繁大尉は、ドイツ語が話せたため、通訳には不自由しなかった。

またこの板東には四国霊場の一番札所霊山寺があり、そこに根付く接待の風習は違和感なく俘虜達を受け入れられた。

さて、ここで面白いのがドイツ兵たちの対立感情だ。

人間は本来ポリス的な動物であるというのは、ソクラテスの言葉だが――――」

 「大尉、それはソクラテスではなく、アリストテレスの言葉です」

 「細かいことは気にするな

 「ホント、アメリカ人は適当ですね」

 「わたしはアメリカ人ではない。

アメリカ人とは、弱くて、物質主義者で、自己中心的で、訴訟をおこすことぐらいしかやらない人種のことを言うのだ。

わたしはそんなことはしない。

普仏戦争以来続いたパンタブルグ家の、誇り高きプロイセン軍人の名誉に掛けて全面否定する。

わたしはアメ公ではない」

 「酷い言われようね・・・」

 「この人かなり偏見持ってますね」

 「つーか、プロイセンの貴族連中は反ナチが多いんだが・・・それはどーでもいいらしいな」

 「とにかく、1000人近くも人間がいれば、当然集団はいくつかに分かれるわけだ。

この坂東俘虜収容所のドイツ人たちも例外ではなく、確認されているだけで8つの楽団が存在し、352人が音楽活動に携わっていたことがわかっている。

1つの楽団が40人くらいだから、おそらくこの数字は信用できるだろう」

 「だからなんでそんなに数字がいい加減なんだよ」

 「仕方がない。

資料はほとんどがネットで調べたものなんだが、この資料がいい加減で「約」とか「およそ」とか正確な数がかかれていないのだ。

ここまで書いた数字を挙げるだけでもかなり苦労しなんだぞ。

これが限界と思ってくれ」

 「やれやれ」

 「もう慣れましたけどね」

 「そしてときは1918年(大正7年)6月1日。

ドイツ兵たちは日本で初めてベートーベンの「第九」交響曲を合唱付きで全曲演奏した。

ハンゼン軍楽隊長を指揮者として、80人の合唱団と共に所内でベートーヴェンの第九を第4楽章まで演奏。

ソロも合唱も全て男性のこの演奏会が日本における「第九」初演となった。

以来、6月1日は、第九の日と呼ばれ、今日に続いている。

その後、市民合唱団の参加による「第九」交響曲演奏会を開催。

クリスマスに日本人が歓喜の歌を歌ったのは、公式記録ではこれがはじめてとなっている。

こうして鳴門市は日独の友好が刻まれ、以来、鳴門市では6月1日を「第九」の日と定め、毎年この日に一番近い日曜日に演奏会を開いている。

5月3日〜6月3日の1ヵ月間を「ドイチェ・ヴォッヘン(ドイツ月間)」と名付け、毎年ドイツから演奏家たちがやってくるなどの友好イベントが起きている。

なお、この鳴門市は1975年以来、ドイツのリューネブルク市と姉妹都市でもあることは説明するまでもない」

 「(ヒソヒソ)説明不要なのか?」

 「(ヒソヒソ)ううん。一般の日本人は知らないと思うわ」

 「鳴門市が日本の第九愛好者たちから「鳴門は第九のふるさと」と呼ばれるのはこのような理由からだ。

そして、鳴門市は秋になるとリューネブルク市から贈られた「ドイツコスモス」と地元のコスモスが咲き誇る」

 「ドイツコスモス!?

 「知っているのか雷電!」

 「なんで男塾?」

 「いや、なんとなくドイツコスモスって呼び方が、秘密兵器っぽい響きがしてよ。

なんかロボットアニメにありそうじゃねえか?」

 「んなわけないじゃない」

 「さて、この第九は名曲ゆえにあっという間に日本全国へと広まった。

ときは太平洋戦争の真っ最中の1943(昭和18)年

東京音楽大学(現・東京芸術大学音楽学部)における学徒出陣者を送る壮行会では「第9」が演奏され、終戦後、今や帰らぬ人となった学友のために、「第9」が鎮魂歌として彼らに捧げられた。

現在、全国いたる所で行われている「年末・第9まつり」は、これをきっかけとすることはあまりに有名だな」

 「(ヒソヒソ)有名なのか?」

 「(ヒソヒソ)ううん。一般の日本人は知らないと思うわ」

 「おいおい、ちょっと待ってくれよ。

じゃあ何か?

太平洋戦争中は、『第九』に合わせて日本軍が出撃したってこか?」

 「そういうことだな。

したがって、旧日本軍を扱った映画のエンディングテーマが第九でも全然問題ない。

むしろ、そのほうが自然ということになる。

まさに鎮魂歌。

エヴァンゲリオンの半世紀前に似たようなことを日本はやっていたのだな」

 「・・・旧日本軍がヴェートーベンをねぇ・・・

似合わねぇと思った俺は不謹慎かい?」

 「すみません。

私も似合わないと思ってしまいました」

 「つーか、似合わないわよね」

 「うむ。私も思った。

だが、考えてみろ。

旧日本軍と言えば軍歌と演歌のイメージしかないのが普通だ。

それが歴史を紐解いてみればヴェートーベンだと?

むぅ・・・・。

信じられないが本当だ

なお、この坂東収容所では、ドイツ兵たちが手作りの新聞を作っていた。

その名も、板東俘虜収容所内新聞『バラッケ』

このバラッケは、1917年9月30日から2年間発行された新聞で発行部数は毎回300部、すべて手づくり。

ロウを塗った紙の表面に針で描いてインクを乗せる、いわゆる「 ガリ版 」で印刷されたもので、内容はおもに戦争の経過や収容所内の行事報告、周辺地域の紹介などが掲載されていた」

 

  参考資料: バラッケ 1918 6月2日 第36号
「好天に恵まれ、鉄棒 平行棒、あん馬、跳び箱など、競技は順調に進行した。
ここ極東の地でもスポーツの分野では、野球やサッカーなどイギリスの色濃い影響がみられる。
われわれは、ドイツ流の体操を披露して、ドイツ人の物の考え方はこうだ、ということをわからせよう。
6月1日には、日本人教員ら50人が見学したいと言っている。いまこそわれらの勇姿を見せてやろう

 「ほっほー、こりゃ熱いねぇ」

 「うむ。完全に捕虜の立場を忘れているな」

 「いや、これこそゲルマン魂

思い込んだら一直線だ」

 「うーん、なんかこの文章を読むとイギリスをライバル視してるわね。

イギリス風味の日本人が気にいらないみたい。

そこまで英国が嫌いなのね」

 「この文章は本物ですね。

こんな文章を書くのはドイツ人だけです」

 「ドイツ流の体操ねぇ・・・。

つまりあれ?

ゲルマン体操

 「・・・・・」

 「どったの?」

 「いや、思わずどこぞのゲルマン忍者  を思い浮かべちゃった・・・」

 「・・・すまん。俺も思い浮かべた。

で、写真は残ってないのか?」

 「残念ながら手元にはない。だが、習志野俘虜収容所で行われた体操の写真ならば残っている。

ゲルマン体操の参考までにこれを載せておく」

 

 「とまあ、人間ピラミッドだが、とりあえずこれも体操の一種だろう。

今回の授業では、習志野俘虜収容所は省くが、こっちも調べてみればなかなか面白いかもしれん。

興味があったら調べてみるといい。

さて、坂東俘虜収容所のほうだが、ドイツ兵俘虜新聞バラックには第九に対してこのようなコメントがされている」

 

  参考資料: バラッケ 1918 6月2日 第36号
「第九交響曲、それは人類の共有財産であり、無限の時を貫いて人類の行く手に明星の輝きを投ずるであろう」

第九交響曲合唱(An Die Freude )
詩 フリードリヒフォンシラー     

「神の力は 引き離されたものを再び結びつけ神のやさしい翼のとどまるところ人々はみな兄弟である。

 

 「人種差別もない、敵味方の区別もない。

第一次世界大戦という時代を考えると、この坂東捕虜収容所は、人類の理想郷だったのかもしれん。

なにせ同じ頃のロシアでは革命の嵐によって数百万人という罪なき人々が殺されていたのだからな。

それがドイツ兵たちにこのような文章を書かせたのはかもしれん。

現在、この坂東収容所は観光名所にもなっており、国際交流の第一歩として世界的にも高い評価をされている。

これほど世界に誇る歴史があるのに、日本人はそれを知らない

そして、日本がドイツについて語るときは、ナチスくらいしか紹介しない連中があまりに多すぎる。

馬鹿馬鹿しい。

そんなもの、両国の友好に何の役にもならない。

なぜドイツのいいところを紹介しないのだ?

日本の識者は軍事オタクだからドイツが好きなのではない。

このように、友好の歴史があるからドイツが好きなのだ。

それを知りもせずに否定するなど・・・」

 「たぶん、コミケとかでナチのコスプレしてる連中がイメージダウンさせてると思うんだけど・・・」

 「そうよね。あーいうのが親ドイツ派だと思ってるから」

 「たしかにそれが一番痛いかもね。ハタから見てるとヤバイもんね」

 「ようするに、ドイツの評判が悪いのはドイツ軍ファンの人たちが悪いということですか」

 「・・・・・

困った。どうすればいいのだ」

 「大尉、俺に考えがあります」

 「なんだ?」

 「ドイツの素晴らしさを語った最近の新聞を載せればいいのではないでしょうか?」

 「ほぉ? たとえば?」

 「これです」

 

 参考資料: 2003/4/26 CNN.co.jp より
 ベルリン(ロイター) ドイツのヴォルフガング・クレメント経済・労働大臣が24日、ドイツ西部のケルン市で催されたビール関連行事で、早飲み競争に飛び入り参加し、見事優勝する飲みっぷりを見せた。地元名産のビール、ケルシュ1杯(200ミリリットル)を「1.5秒」で飲み干した。

 「・・・・・」

 「どうですか?」

 「帰れ」

 「なぜ!? ビールの本場 ドイツを紹介するのにこの記事は必要では?」

 「1.5秒っていうのは飲むというレベルではないと思うのですが・・・」

 「ドイツ人ってこんなんばっかね」

 「・・・ホラ見ろ。お前のせいでドイツ人が誤解されてしまったではないか」

 「大丈夫ですよ。もう誤解されてますから」

 「それはそうとソーセージとかバームクーヘンとかの話は?」

キ〜ン コ〜ン カ〜ン コ〜ン

 「あ、休み時間だ」

 「くっ、無駄話ばっかりしてたから全然授業が進まないではないか。

ええぃ、仕方ないから簡単に説明する

神戸のドイツ菓子の老舗「ユーハイム」創始者のカール・ユーハイムはドイツ兵だった。

彼は第一次世界大戦中に捕虜として広島湾に浮かぶ島・似島に収容され、そこで伝わったのがドイツ語で「木のお菓子」を意味するバームクーヘンだ。

同じく、ドイツ兵だったローマイヤ、ヘルマンウォルシュケ、ブティングハウス、バン・ホーテン、ケテルなどのハム職人が日本人にドイツ式ハムの製造法を伝えた。

これがソーセージだ。

もともとソーセージの技法は秘伝中の秘伝だった。

しかし、習志野収容所長である西郷寅太郎大佐の必死の頼みで何とか技術を譲り渡してもらったのだ。

この西郷大佐は西南戦争で敗れた西郷隆盛の息子であり、ドイツの士官学校に留学した経験もあったりしてドイツ兵たちに寛大な処置を施していた。

だからこそドイツ兵たちも秘伝の技術を東洋人に明渡すことを了解したという。

もっと知りたければ検索エンジンで調べろ。

簡単に見つかる。

というわけで休み時間だ」

 「あのぉ・・・カレーはどうなってしまったのでしょうか?」

 「カレー? カレーはドイツとは関係あるまい」

 「なんという罰当たりな発言を・・・」

 「罰当たりか?」

 「ねえ」

 「どうやらあなた達にはカレーの素晴らしさがわかってないみたいですね。

カレーこそ、まさに世界を征服したインド文化なのですよ。

英語圏とカレー圏のどっちが広いと思ってるんですか?」

 「さあ?」

 「これだから白人は・・・」

 「肌の色は関係ないと思うが・・・」

 「もぉいいです。

次の授業はわたしがカレーの歴史について講義します」

 「なぜカレーなのだ?」

 「受け継がれる意志、時代のうねり、人の夢。これらは止めることの出来ないものです。

人々が自由の答えを求める限り、それらは決して止まる事は無い」

 「答えになっとらん」

 「(ボソ) ・・・・お漏らしのこと皆にばしちゃいますよ」

 「ぐっ! わかった・・・最初だけ許可する。

おのれ・・・人の弱みにつけ込むなど、なんと卑劣な・・・!」

 「くす 勝てばいいんです、勝てば。

正義は必ず勝つ、勝つのはやっぱり力、力とは暴走するもの。よって・・・・

正義とは暴走するもの

 「なんでスレイヤーズやねん」

 「というわけで次回も―――――」

 「見てくれないと、暴れちゃうぞ!」 

 「だから、なんでスレイヤーズやっちゅーねん」

次回の授業を受ける


おまけ(声の出演)

Sturm und drang !!     
ヴォルフ=F=シュナイダ― /関智一 「何考えてんだ!そんなもん捨てちまえ!」
ルクス=フランクリン /林原めぐみ 「嫌よ!これは大学のコレクションにするんだから!」
リューシアナッサ=アンピトリーテ /水谷優子 「これだから白人は・・・」
ソフィア=パンタブルグ /榊原涼子 「わたしにだって・・・恋人くらい居る!」
ティル=パンタブルグ /小山真美 「ふふふ〜 なら会わせてもらってええか?」

Full metal panic !       
相良宗介 / 関智一 「そ、そういうものなのか・・・?」
テレサ=テスタロッサ / ゆかな
 「なにかにぶつかって転ぶような、そういう間抜けな人は――きゃっ!!」
千鳥かなめ
 / 雪乃五月 「あたしはお荷物なんかじゃない」
クルツ=ウェーバー /
三木眞一郎 「わたし とおいとおい国から来て困ってまーす」
メリッサ=マオ
/根谷美智子 「あたしのカニがぁ!?」

Blue Blue Glass Moon, Under The Crimson Air 
アルクェイド=ブルンスタッド / 柚木涼香  「わたしを殺した責任、ちゃんととってもらうんだから」

 ※ 「Sturm und drang !!」はオリジナル作品です


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