魁!碧塾!第壱話
 ☆知識は前もって装備しないと
意味がありません☆

 「それじゃーみんな、第1回の授業を始めるけど、その前に一つ問題を出します。」

 「問題ですか?」

 「まあそんなに難しいもんじゃないから、気楽に考えてくれればいいけどな。」

 「じゃあ問題。はじめてアメリカに到着したヨーロッパ人は誰でしょう。

 「はーい」

 「じゃあ智ちゃん」

 「そりゃーいくらあたしだってわかるよ〜コロンブスと愉快な仲間たちでしょ?」

 「ちがうね」

 「はいいい〜!?

 「じゃあ他にわかる奴」

 「・・・・はい」

 「じゃあよみちゃん」

 「たしか、ヴァイキングだと思いますけど・・・」

 「せいかい〜1492年のコロンブスのアメリカ到達より500年近く前、1000年にグリーンランドを発見した赤毛のエイリークという人の息子、レイフ・エリクソンがグリーンランドのさらに西まで探検に行って、そこで今のアメリカ、カナダの東海岸まで到達したの。

 ヴァイキングは入植をしたけれど、原住民であるインディアンとの関係や気候の問題もあって、彼らは入植を断念したわ。

まあとにかく、レイフ・エリクソンと愉快な仲間たちが本当の意味でのアメリカの発見者であることは事実ね。」

 「でも先生ーその話が今回の授業となんか関係あるんですか〜?」

 「別に、ただ第2次百年戦争ではアメリカも主な舞台だから、一応豆知識として入れておいただけ。

じゃあ、本題に入るわ。今回は北米大陸植民地へのヨーロッパ人の進出と、第2次百年戦争の始まり、ウィリアム戦争の始まる1689年のヨーロッパの状況についてよ。

 まずは北米大陸の状況について、コロンブスがサンサルバドル島に着いた6年後、1498年にジェノバ生まれのヴェネツィア人、ジョン・カボットがイギリス王ヘンリー7世の援助で行った航海でニューファンドランド島、グリーンランドを探検したわ。

 彼は翌年2回目の航海で遭難してしまうけど、1508年息子のセバスチャン・カボットが北アメリカの北部の海峡と湾を発見し、1610にここを探検したヘンリー・ハドソンに因んで、ハドソン海峡とハドソン湾と名づけられたわ。」

 「ああ、ボンバーマンとか桃鉄とか」

 「黙れ」

 「始めに北米に植民地を作ったのはフランスで、1534年にフランス王フランソワ1世の命でセントローレンス川遡上探検をしたジャック・カルティエが1535年、スタダコナ(現ケベックシティ)、ホチェラガ等をまとめてヌーベルフランスと名づけたわ。」

 「ヌーベルフランスってどういう意味ですか?」

 「英訳するとニューフランス、つまり新しいフランスということ。

 一方同時期にイギリスは1584年にエリザベス女王の元でウォーター・ローリーが北アメリカに植民地を築いたわ。

 ここは生涯独身で処女王(ヴァージン・クイーン)と呼ばれたエリザベス女王に因んでヴァージニア(現アメリカ、ヴァージニア州)と名づけられた地に植民地を建設しようとしたけど、こっちは2年で失敗したわ。

 また中央アメリカを支配していたスペインもフロリダにセント・オーガステインを建設して、フロリダ一帯を支配したの。」

 「その後フランスは国内でのカトリックとユグノーの争い・・・・

 ああ、こっちは後で説明する、で17世紀の始めまで植民は進まなかった。

 17世紀になってからはイギリス、フランス、オランダ等の国の北米進出がいっそう進んだ。まずはフランス、国内混乱の収束後、1605年フランス王アンリ4世の命を受けたサミュエル・ド・シャンプランがポールロワイヤル(現カナダ、ナヴァスコシア州アナポリスロワイヤル)に1608年にはケベックシティをヌーベルフランスの首都としたんだ。

 1627年ヌーベルフランス会社が設立されて、毛皮交易や入植を始めたが、あまり儲からなかったので、1663年にルイ14世は会社を解散させ王領としたため、五大湖周辺からミシシッピー川までが領土となって、1671年にはルイジアナも含まれた。

 ミズーリ州のセントルイスやルイジアナ州のニューオリンズはヌーベルフランス時代にできた都市だ。」

 「セントルイスはフランス王ルイ9世に因んでの名で、ニューオリンズの意味は新しいオルレアンだからな。」

 「一方イギリスは1607年にヴァージニアに再び植民を築き、国王ジェームズ1世に因んでジェームズタウンと名づけたわ。

 植民に来た人たち1600人のうち生き残ったのは僅350人、そんな中で彼らはタバコの栽培に成功したこと、インディアンと和解したことで生き延びたわ。

 この時入植人とインディアンの和解として入植人ジョン・ロルフと結婚したのがインディアンの酋長の娘、ポカホンタスよ。」


↑ポカホンタス

 「ああ、あのディズニー映画のですか〜?」

 「筆者にとってポカホンタスといって思い出すのはそれよりアダムス・ファミリー2ね。

アダムス・ファミリー 2ADDAMS FAMILY VALUES
 ↑アダムス一家

 「アダムス家の財産を狙うベビーシッターのデビーが長女のウェンズデーと長男のバグズリーをサマーキャンプに行かせて、そこでポカポンタスの劇をやらされるんだけど・・・・」

 「先生、それ以上はネタバレなので・・・・」

 「それもそうね、彼女は植民地の新入植者を誘うためにヴァージニア植民地の出資者にイギリスに連れられて、ジャームズ1世に謁見したわ。彼女はそこで「インディアンの姫」と紹介され、アメリカ初の国際的有名人となったわ。彼女はアメリカに戻る途中で病気で亡くなったけど。

 また1620年にイギリスで弾圧されていた清教徒のグループ、『ピルグリム・ファーザーズ』の102人が今のマサチュ−セッツ州に上陸して、出発の町の名前からプリマスと名づけた町を建設したわ。」

 「「清教徒」って言うのはなんですか〜?」

 「『清教徒』は宗教改革後誕生したプロテスタントの事で、英語では『ピューリタン』と呼ばれているわ。もともとは蔑称だったの。イギリス国教会とは対立していて、後に説明する国教会支持だったジェームズ1世からは弾圧されたわ。

 でも国教会内部でもピューリタンは増加して行って、ピューリタン内部でも国教会を中から変えていくことを主張する改革派と国教会から分離する分離派がいて、分離派の中にはアメリカに移住した人たちもいるの。

 さっきの『ピルグリム・ファーザーズ』と言われる人たちね。


↑ニューヨークのセントラルパークにあるピルグリム・ファーザーズの像

 「話をアメリカに戻すと、別の清教徒達もマサチューセッツ植民地を建設したわ。

 だけどその中でも分裂が起きて、インディアンからの土地の強奪の批判をしたためにマサチューセッツから追放されたロジャー・ウィリアムズ達かプロヴィデンス市を作ったわ。」

 「ドラグーンシステムを搭載した変体仮面の機体だな!


↑変体仮面の機体

 「いや〜それは関係ない・・・・

 ともかく、後にそこはアン・ハッチンソンのロードアイランド等と合併して、1663年に『ロードアイランド及びプロヴィデンス植民地』となったわ。今のロードアイランド州の元ね。

 デイビット・トンプソンは1623年にライ市を建設したわ、ここは後のニューハンプシャーの元になった。」

 「また1639年にトマス・フッガーはコネティカットを、1638年にジョン・ダヴェンボード一行はニューヘヴン市を作った。

 ちなみにジョン・ダヴェンボード一行の子孫、エリフ・イェールはマサチューセッツのアメリカ初の大学、ハーバード大学に対抗してイェール大学を創立した。

 ここはブッシュ大統領親子やクリントン元大統領等5人の大統領を初めとした著名人を生み出した大学で、ハーバード大学、プリンストン大学、イェール大学はアメリカを代表する名門大学としてBIG3と呼ばれている。


↑イェール大学

 「ここら辺は1637年に「ニューイングランド植民地」を結成して、フランスやオランダに対抗した。」

 「ところでさ、えーと、清教徒と対立していた連中・・・・なんていってたっけ?」

 「カトリックのことか?」

 「そうそう、そいつらはアメリカに来なかったのか?」

 「カトリックはメリーランドに植民を開始したわ。

 ジェームズ1世の国務大臣、ジョン・カルヴァートをボルティモア卿に任命して1633年、その息子のセシルが植民を開始したけど、メリーランドは環境がニューイングランドより厳しく多くの犠牲者を出したけど、生き残った人たちは大地主となったわ。

後に説明する清教徒革命後に宗教寛容法を発令して宗教自由を認めさせたわ。」

 「それにカロライナ植民地だな。

 イギリスの西インド諸島植民地のバルバドスが人口過密となったため、1629年8人の領主が土地の権利を得たカロライナに彼らが土地を提供して、バルバドスやヴァージニア、ニューイングランドなどから入植者を募集した。

 ここに来たバルバドス人が奴隷制を持ち込んだため、カロライナにほかの新生植民地には見られない独特の社会的、政治的、そして文化的な性格を与えた。」

 「あとはペンシルバニアね。

 ここはクェーカー教徒のウィリアム・ベンが国王チャールズ2世が彼の父から借りていた借金の肩代わりとしてもらった土地で、ペンシルバニアはラテン語で「ベンの森」という意味よ。」

 「クェーカー教徒?」

 「クェーカーっていうのはキリスト教の中でフレンド教会とも呼ばれるキリスト教の一派で、日本人では新渡戸稲造なんかがそうだな。」

 「新渡戸稲造?」

 「前の5000円札の人だ・・・・・そのぐらい知っておけ。」


↑前の5000円札の人

 「ベンはクェーカー等ヨーロッパで迫害されている宗派のために理想郷を作ろうと考えた。

ここにはクェーカーだけでなくバルバドス、ジャマイカ、ニューヨーク、そしてニュージャージーから来た住民もいる。

ドイツのラインランド出身者はジャーマノポリスと称する町を作った。ここの中心地であるフィラデルフィアがまさにそれだな。」

 「どういうこと?」

 「『フィラデルフィア』の意味は「友愛の市」だからな」

 「ペンシルバニアは土地が肥えていたため貧乏な農民も十分暮らせて、「パンの植民地」と呼ばれるようになり、穀物だけでなく家畜や果物でも多くの余剰農産物を輸出したわ。

ここの中心地であるフィラデルフィアが後のアメリカ独立の時、文化的、政治的首都となったのは自然と言えば自然なことね。」

 「ところでオランダは、東インド会社に前にも出てきたヘンリー・ハドソンを雇わせてハドソン川を遡らせ探検させた。

 そして流域の今のニューヨーク、ニュージャージー州をニューネーデルラントとして、オランダ西インド会社に経営させた。

中心地となったのがマンハッタン島にあったニューアムステルダムだ。」

 「あー知ってる!25ドルのガラス玉でインディアンから買い取ったって奴だろ?」

 「それは都市伝説らしいけどねー。

まあここは1665年から1667年の第2次英蘭戦争でイギリスに奪われ、後のジェームズ2世であるヨーク公に因んでニューヨークなったわ。」

 「イギリスの植民地で最後に作られたのがジョージアだ。」

 「ジョージア缶コーヒー?」

 「・・・それは販売しているコカ・コーラの本社がジョージアにあるだけで、アメリカでは売っていないわよ。

まあ、1689年時点ではジョージアへの植民は始まっていないからおいておくわね。

 「それじゃあ、北米の植民地についてはここまで。
次は当時のヨーロッパの強国について。主な国は5つ、イギリスフランスオーストリアプロイセンスペインよ。」

 「まずはイギリスですか?」

 「そこでまた問題だ。そこの外ハネねーちゃん」

 「あたし?」

 「そう、お前。じゃあ問題だ。1689年はイギリスである革命が起こった年でもあるが、その革命は何だ?」

 「簡単だよ〜T.M.Revolutionでしょ?」

 「こわれあうからうーごけない♪ってバカ!!」

 「ノリツッコミかよ」

 「見事なまでのボケを有難う。でも正解は名誉革命よ。これについては1603年、テューダー朝の終わりから話すわ。

テューダー朝最後の王であったエリザベス女王は子供がいなかった。

そのためテューダー朝初代の王であるヘンリー7世の血をひくスコットランド王、ジェームズ6世がイングランド、アイルランド王ジェ−ムズ1世となって、スチュアート朝を開いたの。

 この王は王権神授説を主張し議会と対立したり、イギリス国教会を重視して清教徒を弾圧したりして、国民から反感を得たわ。

もっとも、欽定訳聖書の出版を進めるという良い面もあるにはあったけど。」

 「王権神授説?欽定訳聖書?」

 「すみません、このバカにもわかるように説明してやってください。もっともあたしも欽定訳聖書って言うのがわからないですけど。」

 「おっけー、順に説明していくわ。

まずは『王権神授説』、これは王は神から絶対的な権力を与えられたと言う考えで、代表的な支持者には「リヴァイアサン」を書いたホッブスがいるわ。」

 「『鋼鉄のリヴァイアサン』?」

 「別に仮想戦記界1、2を争うソ連の最強の戦艦は関係ないわよ。

 この本を要約すると『バラバラの人間は自然のままじゃケンカしてばっかだからめちゃんこつおい権力を持つ政府に権利を渡すべき』ってことね。

ちなみにリヴァイアサンっていうのは旧約聖書に出てくる怪物のこと。」

 「『欽定訳聖書』は?」

 「それは国教会の儀式で使われる聖書で、初めて王により定められた英語の聖書よ、19世紀末まで国教会ではこれのみが使われていたわ。それまでの聖書はギリシャ語だったの。


↑欽定訳聖書

 「もっともこの前にはウィクリフやティンダルって人が英訳をしていたけど、カトリック教会は聖書の英訳を認めてなかったから、二人とも火刑にされたわ。
まあウィクリフは異端宣告された時すでに死んでいたから、遺体を掘り返して燃やして川に流したけど。」

 「死体を掘り起こして焼いて流したのか!?野蛮だな〜」

 「あえて批判を承知で言うとキリスト教の残酷性はヘルシングのような作品で見られるとおりかなりのものだな。

まあ他のコンテンツで言われているからいまさらここで言うことは無いけど。」

 「ええっと、話がそれちゃったわね。

とにかくジェームズ1世の政治は大きな反感を呼んだけど、息子のチャールズ1世はそれ以上だったわ。彼は常識も柔軟性も現実的思考も無い狡猾な人物だったわ。

 彼も王権神授説の主張者であったから、議会は『権利の請願』を可決したわ。これは不当な逮捕、投獄を禁止し、課税に議会の承認を必要とするものだったの。

 またこのころは財政も大赤字で、王の領地を売却していくことも限界に達したため増税を行ったけど、議会の承認は無かったため、大きな反発を招いたわ。そして反発したものはMBS土曜6時台の刑。」

 「どういう刑なんですか〜?」

 「つまりグロってことだよ」

 「さらに1639年、スコットランドでイギリス国教会の強制に反対する主教戦争が起こったの。

 これに対して1640年に召集された短期議会は戦費のための課税に反対して3週間で解散になったわ。

そして主教戦争は1640年にスコットランドの勝利で終わり、賠償金を払うことになった、そしてその賠償金抽出のための長期議会が同じ年に開かれたけど、ついにそこで王の権限を狭めるための「大抗議文」が可決されたわ。
これは賛成する反国王派の議会派がわずかに有利で可決されて、これに焦った王が議会派中心人物の逮捕を命令したわ。

 これに怒ったロンドン市民は議会派につき、王はロンドンを脱出、そして1642年に内乱が勃発したわ。これが清教徒革命よ。

この戦争は最初は貴族、聖職者を中心とする王党派が有利だったけど、議会派は鉄騎隊を率いるクロムウェルらの活躍で最終的に勝利して、1647年に内乱は終結、49年にチャールズ1世は処刑されたわ。」

           


↑クロムウェル

 「拘束制御術式(クロムウェル)!?」

 「議会派はアーカードを味方につけたのか・・・・そりゃ勝てるわ。」

 「そういうボケはよろしい。」

 「その間に共和制を主張した独立派が立憲君主制を主張する長老派を追放し、1653年にクロムウェルが独裁者である護国卿に就任、1649年にスコットランドを併合し、オランダと第1次英蘭戦争を行ったわ。

でもその跡を継いだ息子のリチャードは父のような才能も器量も無かった。

そのため1659年に護国卿を辞任し、内部混乱にうんざりした議員や国民はフランスに亡命していたチャールズ1世の息子チャールズ2世を王に復帰させたの。いわゆる王政復古ね。

この王のは1670年にフランスとドーバー密約を結んで、カトリックへの改宗を約束し、フランスと協力して第3次英蘭戦争を起こしたわ。

また彼の息子を追うとして認めるか否かで議会が2つのグループに分かれたわ。認めるグループはトーリー党、認めないグループはホイッグ党となったわ。これは後に保守党と自由党となったの。」

 「碧ちゃん!

 「何?」

 「碧ちゃんは世界史コンテンツの先生としてはネタの交え方が下手だと思います!」

 「衝撃のおおディバインバスタアアア!!!

 「ひでぶ!

 「・・・バカ・・・」

 「さてチャールズ2世の息子ジェームズ2世はフランスにいる間カトリックに染まっていました!

そこで神楽ちゃんに質問!そんな人が王になったらイギリスのプロテスタントはどうなると思いますか!」

 「ええっと・・・・・政治から遠ざけられる?」

 「正解!ジェームズ2世はカトリックで側近を固め、議会にはこれを抑える法律がありませんでした。

 そしてジェームズ2世に息子が生まれたことをきっかけにして議会は彼の娘で、プロテスタント国家オランダのオラニエ公ウィレムに嫁いでいるメアリーに即位を依頼し、ウィレムはオランダ軍を率いてイングランドに上陸、イングランド軍も王を裏切って次々とオランダ軍に投降、ジェームズ2世はつかまったわ。」

 「で、処刑されたんですか?」

 「いや、さすがに新しい王の父にあたる人を殺すことはまずいから、フランスへの亡命を許して、メアリーはメアリー2世、オラニエ公ウィレムはウィリアム3世として共同の統治をすることになったわ。

これが名誉革命よ。」


↑オラニエ工ウィレム、またの名をウィリアム3世

 「これでジェームズ2世は歴史の表舞台からは退場ですか?」

 「今はね。じゃあ次に
さて、イギリスはこんなところ。次はフランスをやるから、智ちゃんを起こして。」

 「わかりました。おーい智、起きろ」

 「う〜ん・・・・ピンクの電波があぁぁぁ・・・」

 「永遠に寝かしておきましょう

 「・・・まあいいけど。

さて、当時のフランスはカトリックとユグノー(フランスでのプロテスタントの呼び名)の戦争が続いていたけど、1598年にナントの勅令を出してユグノーの信仰の自由と個人の宗教選択を認めたアンリ4世がブルボン朝を開いたわ。」

 「ブルボンっていえばチョコあんぱんやな。あれって一度食べ始めるととまらないんや」

 

 

 「そのブルボンはおいといて、2代目のルイ13世は30年戦争に参加し、ロレーヌ、アルザス地方を得たわ。

そして1643年に即位したのが3代目が太陽王ことルイ14世。ブルボン朝最盛期の王で、朕は国家なり(L'etat, c'est moi)で有名よ。」


↑ルイ14世

 「ただ彼も初期は初期はフロンドの乱でパリを追われて、53年になってやっとパリに帰ってきたわ。

これがトラウマになって彼はパリから離れた所にヴェルサイユ宮殿を造ったと言われているわ。」

 「フランスでもっとも有名な建築の一つが少年期のトラウマですか。なんだかなー」


↑トラウマ

 「また彼は財務大臣にコルベールを起用し、重商主義政策を行ったわ。

これは貴金属のみを国富として、その取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富である貴金属を蓄積させようとする政策で、フランス東インド会社の復活などを行ったわ。」

 「お金の扱い方がうまいんやね〜」

 「そうでもない。1665年にフォンテーヌブローの勅令でナントの勅令を廃止して、ユグノーを弾圧したため、20万人近いユグノーがイギリスやオランダに亡命して、フランスでは産業革命が大幅に遅れることになった」

 「自爆や」

 「・・・まあ、フランスらしいといえばフランスらしいけどな」

 「次はオーストリアね。当時オーストリア皇帝は神聖ローマ帝国の王を兼任していた。」

 「質問!神聖ローマ帝国ってローマ帝国と何か関係があるんですか?

 「ない!

 「ないんかい

 「もともと神聖ローマ帝国は初代皇帝がローマ教皇に戴冠してもらったことから始まったんだが、それも16世紀には行われなくなって、さらに30年戦争の講和条約であるウェストファリア条約で帝国内部の領主の独立主権が認められた。

 これで神聖ローマ帝国は事実上分裂したため、ウェストファリア条約は「帝国の死亡診断書」とも呼ばれた。

 ヴォルテールは「神聖ではないし、ローマ的でもない。それどころか帝国ですらない」と言ったんだ。」

 「ヴォルテールといえばデス種のジュール隊の旗艦だったな!

 「ちなみに僚艦はルソーだ。」


↑ヴォルテール、ルソーの同型艦であるナスカ級戦艦

 「ところで先生、さっきも出てきたけど30年戦争ってなんですか〜?」

 「30年戦争はドイツ国内でのオーストリアによるプロテスタント弾圧に端を発した戦争よ。
神聖ローマ帝国とスペインはカトリック側で、オランダ、デンマーク、スウェーデンがプロテスタント側で、またカトリックであるフランスがプロテスタント側に付いたわ。事実上プロテスタント側の勝利でウェストファリア条約が結ばれたの。
そしてこの戦争でオーストリアは弱体化した。1689年当時の王はレオポルド1性だったわ。彼自身は平和を愛する人だったけど、古くからの宿敵、オスマン・トルコに2度も侵攻をされたわ。しかも2度目は1682年にウィーンを包囲されたの。」

 「たしか前にもウィーンを包囲されましたよね?」

 「1529年のスレイマン1世率いるオスマン・トルコの第1次ウィーン包囲ね。ただ当時と違うのはオスマンが大幅に衰退していたこと。そしてこの戦いで神聖ローマ帝国は勝利したものの、それはポーランドの軍事支援があったからで、1国では撃退できないほど弱体化していたこと。もっとも、その後のカルロヴィッツ条約でハンガリーの大部分を得ることは出来たけど。」

 「ちなみにこの時の勝利を祝い、トルコの国旗である三日月を食べてしまえと言う意味でクロワッサンが作られた」

 「というのはガセだ。みんなはガゼビアに注意しろよ。」

 「・・・・・・・・・次!プロイセン!プロイセンといえば!?」

 「ドイツの化学は世界一イイイイイ!!!!

 「それはともかく、プロイセンの元は当方殖民を進めていたドイツ騎士団で、1525年にホーエンツォレルン家の総長アルプレヒト・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハが領内の騎士団を解散しプロイセン公国を始めたことから始まり、彼の死後ブランデンブルク辺境伯ヨハヒム2世が彼の息子とともに相続を認められ、1618年に2国はプロイセン・ブランデンブルク同君連合となったの。

その後ブランデンブルク選帝侯、フリードリヒ・ヴィルヘルムがポーランドやスウェーデンに勝ち領土を得て、またフランスでの弾圧から逃れてきたユグノーを保護して、後のプロイセン公国の基礎を作ったわ。」


↑フリードリヒ・ヴィルヘルム

 「優れた君主だったんだな。ところでまだ『プロイセン王国』ではないんですか?」

 「それはまた後で。それでは最後にスペインよ。この国はオーストリアと同じハプスブルグ家が王家の国よ。

 かつては『日の沈まない国』と言われていたけど、アルマダの海戦でイギリスに負けて、30年戦争で負けたスペインはその後もフランスと戦って、1659年のピレネー条約でピレネー山脈より東のカタルーニャ地方の一部を奪われたわ。

 つまり弱体化したって事ね。」

 「あんまりたいしたこと無いよね、あの国って。昔は強かったって奴?

 「・・・・と、まあ今日はこんなところね。」

 「先生、なんかイギリスが異常に多いような気がするんですけど・・・・」

 「まあ、2つの革命を経験してるから、必然的に書くことが多くなっちゃうのよ。それでは今日はこの辺で。
次回をお楽しみにね♪

次回
☆イギリスよ!私は帰ってきたあああああっっっ!!!☆

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お借りしましたありがとうございます<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

☆今回の小ネタ☆

 「ここは五式天城が前回と今回使ったネタを開設するコーナーだ。・・・世界史コンテンツの小ネタを解説しなければいけないなんて終わっているよな」

>はい、えーと貴方は・・・ラクスさん?
暦の中の人が種のラクス・クラインであることから。

>17歳
ほんとに本編のアニメでも言っているんだって!!

>デス種じゃそう言っていた本人が終盤でヒーローごっこしてたけどな
デス種のアスランのこと。詳しくは書かないが、ぶっちゃけ個人的に続投キャラの中では一番評価の株が大暴落した人。

>スタート何だあああああっっっっ!?
君のぞらじおのオープニングで出演者の谷山紀章が叫ぶ言葉から。

>ドラグーンシステムを搭載した変体仮面の機体だな!
種のラスボス、ラウ・ル・クルーゼの機体、プロヴィデンスガンダムのこと。

>こわれあうからうーごけない♪ってバカ!!
種死の第1期OP,Ignitedから。

>MBS土曜6時台の刑
この時間帯のアニメの死亡シーンで、グロが多いことから。
種とか種とか種とか、ときどきハガレンとか。

>あんまりたいしたこと無いよね、あの国って。昔は強かったって奴?
デス種でのシン増長時のセリフの改変。・・・・気持ちはわからんでもない。

 


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