☆日露コンテンツ ソフィア先生の日露戦争その8☆


 

 「神は仰られました!!

 「オブイェークト!!

パコッ

 「痛いです」

 「何やってるの、大体、上のはカリーさんの所から丸々パクったものじゃない」

 「ばれたなら仕方ないですね。せっかくT72神教を布教するチャンスでしたのに」

 「元々作者に戦車萌えの属性はないでしょうが」

 「今回のテーマならこうですね」

 「これで沙河会戦の講義は終了です。次回をお楽しみ…」

パカッ

 「なわけないでしょうが! 大体何なのよ!? この出だしは」

 「マリみてのパクリですが( ゚Д゚)ナニカ?

 「(開き直りやがった)なんでそんなもんパクってるのよ」

 「リリアン女学園は日露戦争と深いかかわりがあるのですよ。おわかり?」

 「わかんねえよ。だいたいマリみては小説でしょうが」

 「むっ、これは私とした事が。説明が足りませんでした。現実世界にもリリアン並のお嬢様培養学校があるのですよ。皇族が通うくらいですから」

 「…ひょっとして学習院?」

 「知ってるじゃないですか」

 「(学習院に対して物凄い誤解があるような……)あそこは女子校じゃないわよ?」

 「細かいことはケンチャナヨ」

 「だいたい学習院と日露戦争にどんな関係があるってのよ」

 「ミスコンをご存知ですか?」

 「ああ、あの一般的に容姿がアレだと思われる元妙齢のお嬢さんが反対運動を起こして縮小していった、審査員の独断と偏見及び裏取引で賞が決まる、建前上『最も美しい女性を決める』コンテストのことでしょう?」

 「(いつも人気投票で票が集まらないせいでしょうか)悪意に満ちた回答をありがとうございます。では、日本初のミスコンはご存知ですか?」

 「いつの話よ?」

 「明治41年3月に時事新報社がヘラルド・トリビューンの依頼で『世界美人コンクール』の日本予選として行った『全国美人写真審査』が日本初のミスコンとされています。優勝したのは当時、16歳で学習院女子部中等科3年生の末弘ヒロ子さんでした」

 「明治41年なら日露戦争終わってるじゃない」

 「慌てない慌てない。見事優勝したヒロ子さんでしたが、とんだとばっちりを受けます」

 「何?」

 「『こんなコンテストに出場したのはけしからん』と、学習院から諭旨退学処分を受けてしまいました。なお、世界美人コンクールでは6位に入賞したという説もありますが、詳細は不明です」

 「実際美人だったの?」

 「ネットで拾った写真によると以下の通りです」

 「・・・微妙ね」

 「作者の手元にある資料だと、もうちょっと美人な写真もあるのですが、いかんせん作者がスキャナを持っていないのでお見せする事が出来ません」

 「無様ね」

 「キャラ違ってますよ。ヒロ子さん本人の知らないところで義兄が写真を応募したそうです。それを知ったヒロ子さんは『そんなことをしてはいやです。是非はやく取り戻して下さい』と泣いて頼んだといいます」

 「それで退学ならまさしくとばっちりね」

 「もっとも、1位の賞品である指輪を見たときは『大きなダイヤモンド!』と目を輝かせたといいます。退学処分の前のささやかな幸せといえましょう」

 「話の流れから察するに、退学処分を下した人間が日露戦争と関わっていそうね」

 「ご名答。当時の学習院長は乃木希典です」

 「ヴォルフが?」

 「それは6時間目でやって下さい。もっとも、乃木はこの処分を下した後に、自身が仲人をしてヒロ子さんを第4軍司令官だった野津道貫元帥の長男である野津鎮之介(陸軍少佐、侯爵、貴族院議員)と結婚させています」

 「ふうん」

 「野津元帥は明治41年10月18日に亡くなりましたが、最期を看取ったのは奥さんとヒロ子さんといいます。ミス日本に看取ってもらったというのは幸せな最期といえるのではないでしょうか」

 「そうかもね」

 「なお、野津元帥は大勲位菊花大綬章を亡くなる数日前に受けています」

 「大勲位ねぇ…」

 「誤解があるようなので、大勲位菊花大綬章およびその上の大勲位菊花章頸飾を受賞した方のリストがあるサイトを参照してください。この受賞者を見るとやはり凄い勲章なのではないでしょうか。」

 「こう見ると凄い顔ぶれね。・・・・・あら?朝鮮王族や李完用の名前もあるじゃない?」

 「当然です。ウリは日本一ニダ!」

 「(思い切りツッコミどころがあるセリフね……)これじゃあ、韓国で制定されそうな、近代法の概念を無視した事後法だと、李完用はともかくとして朝鮮王族も法律の対象になっちゃいそうね」

 「ムキーーーーー!!大勲位を剥奪しる!」

 「ジョークになってないわよ、それ。……ツッコミどころといえば、戦後の受賞者もツッコミどころがありそうだけど」

 「(元に戻って)そんな事を言い出したらきりがないのでやめます。まあ大平以降の首相は中曽根を除いて死んだから貰ったんだともみえますが。筆者が思ったのは『黒木閣下はやはり貰えなかったんだな。上原勇作まで貰ってるのに』と」

 「上原っていうと、第2次西園寺内閣を潰した張本人よね」

 「それに関しては流石に範囲外なので触れません。作者は当初日本海海戦で終了させ、ポーツマス条約は簡単に触れるつもりでしたが5月27日の締め切りに間に合わない。ポーツマス条約締結は秋。、とても簡単には終わらないのでポーツマスもある程度は詳しくやるようです。この上原という人物も ネ タ 要 員 としては中々です」

 「ネタ要員って」

 「野津元帥の女婿である上原は、その立場も含めて第4軍の参謀長を務めました。大正時代の薩閥(上原)VS長閥(山県)の構図もなかなか面白いのですが、一番目を引くのは上原の孫です」

 「孫?」

 「日露戦争から過ぎる事40年。アカに被れた某自称自由の国の大統領の陰謀で世界中から袋叩きにあった極東の某島国に秘密兵器が誕生しました。その名は超人機メタルダー。普段は人間の姿をしていますが一度戦闘体制になると光る腕を駆使して敵をバッタバッタと薙ぎ倒します。この超人機の生みの親である古賀博士。彼こそが上原勇作の実の孫です」

 「待てよ」

 「惜しむらくはこの超人機が一体しか作られなかったこと、これが量産した暁には連邦のアカの機甲師団などものともせずに……当時は神ことT72はありませんでしたので」

 「待てったら。メタルダーは飛べないのよ、B29の爆撃にはどうするつもり?」

 「そのあたりは空想科学大戦で検証して頂ければ……って突っ込みはそこですか?」

 「勿論違うわよ。アンタが言っているのは古賀博士役をやった俳優の上原謙のことでしょう?」

 「そうですよ」

 「何ワケのわからない電波飛ばしているのよ」

 「これが世界史コンテンツのお約束です」

 「そんな事言ったらそれこそ他の作者の方々から袋叩きにあうわよ」

 「(無視)しかし、あのくらいの大物が特撮番組に出たのは放映当時としてはすごいことでした。もっとも、当時の作者は上原謙の事なんか知らないんですけどね」

 「上原謙って、加山雄三のお父さんよね」

 「そうですね。若大将の曽祖父といえば500円札の中の人が有名ですが、同じ大勲位菊花大綬章受賞なので、曽祖父の名前として上原元帥、高祖父の名前として野津元帥の名前も出てきて欲しいと思います」

 「まずありえないと思うけど。……なんで野津上原親子のことをここまで触れるのよ」

 「野津上原コンビは面白いので出したかったんです。しかし、いかんせん坂の上の雲では第4軍の影が薄いので野津と上原が日露戦争で何やったか今ひとつわかりません。遼陽会戦の日本軍主力は第2軍と第4軍だったといいますが」

 「でも主役は第1軍だったわね」

 「何故か日の当たる活躍が描写されないんですよ。だから日露戦争での戦闘状況でなかなか触れられません」

 「単に作者の調査不足でしょ」

 「そうとも言います」

 「大体前回の講義からどれだけ間が空いたと思っているのよ」

 「作者がマリみて読んでから頭の中を日露戦争に戻すのにえらく時間がかかったからのようです」

 「ダメダメね」

 「それが作者クオリティです」

 「……私たちは完全に置き捨てられてるな」

 「ところで大尉はどこへ行ったんだ?」

 「そういえば姿が見えないな」

どこぞからこれが流れてくる
※読み込みにちょっと時間がかかります。音楽が鳴り出してから↓どうぞ いや、別にすぐに見てもいいけどw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「リュ〜シィ〜

 「うわっ! 出た!!(って何でこの曲なのよ?)」

 「(誰が出ただ)よくもやってくれたな」

 「何のことですか?」

 「とぼけてもムダだ。私を箱に閉じ込めて拉致ろうとした命知らずの推理小説同好会の4名を拷問にかけたら、貴様の名前が出てきたぞ」

 「コアな読者じゃないとわからないネタが散りばめられているぞ」

 「スルーしたほうがいい」

 「というか、何故推理小説同好会?」

 「ここは一応学校だから同好会があってもおかしくない」

 「あったなそんな設定」

 「何故、私がソフィアさんを拉致らなきゃならないんですか?」

 「私じゃない」

 「ハァ!?

 「私ではなく、ヴォルフを拉致ろうとしたんだ」

 「何故俺を」

 「決まっている。二人きりで……」

 「二人きりで、何ですか?(ニヤニヤ)」

 「二人きりで…あの、その(ボソボソ)」

 「二人きりで○○○○や××××をするとでも? それは貴方の願望じゃないですか? だいたい、拷問で得た自白は証拠にならないんですよ? そんな事も知らないんですか?(クスクス)」

 「貴様ッ、今度こそヴァルハラに送ってくれる!」

 「バルムンクの折れた貴方が私の召喚するバハムートと対等に戦えるとでも? それとも折れたバルムンクを修復するためにヴォルフさんと○○○○や××××をするつもりだったんですか?」

 「(○○○○や××××ってなんだ? だいたい、どうやったら俺と大尉を間違えるんだよ)

 「何だ?」

 「そこまでや。これ以上やると収拾がつかなくて話が進まへん」

 「異議、じゃないでしょ。なんでティルさんがこっちに来てるのよ」

 「作者権限、や。ジョーカーのつもりらしいで」

 「またいい加減な…」

 「一瞬空気が止まったな、よし。ほな、いくで。あ、そうそう。ヴォルフと○○○○や××××をするのはウチやからな」

 「な、なんだってー!!

 「きっちりかき回していきやがった」

 「(だから、○○○○や××××って何なんだよ?)

 「……そろそろ読者が引いてるぞ、講義を始めたらどうだ?」

 「む、そうだな。まず前回のおさらいだ。日本軍が遼陽でロシア軍を逃したのは覚えているな?」

 「砲弾不足で追撃がかけられなかったからでしょ?」

 「そうだ。ロシア軍総司令官のクロパトキンは当然日本軍が追撃をかけてくるものだと思っていた。ところがこない」

 「必然妙に思いますね」

 「おまけにクロパトキンが開戦以来退却に次ぐ退却を続けているから本国での評判が悪くなった。

 という声もあがったが、さすがに戦争中にそれはまずいことは本国でもわかっていた。それより、

 という意見が大勢を占めた」

 「組織が悪いってどういうこと?」

 「日本軍の場合は満州軍総司令官大山巌の下に黒木、奥、乃木、野津の4人の軍司令官がいる。さらに軍司令官の下に師団長が数人いるわけだ。対してロシア軍はクロパトキンの直下に属する軍団長が日本軍でいう師団長くらいの権限しか持っていない」

 「クロパトキンが忙しいということか」

 「そうだ。これを改善しようとし、ロシア本国は満州軍を第1軍と第2軍に分けた。クロパトキンを第1軍司令官とし、第2軍司令官には本国からグリッペンベルグ大将を派遣した」

 「クロパトキンは格下げですか?」

 「当然面白くないクロパトキンはグリッペンベルグが来ないうちに日本軍を叩こうとした。それが沙河会戦勃発の大きな理由だ」

 「日本軍は何してるの?」

 「何もしていない」

 「何もしていない、って」

 「あえて言えば・・・『砲弾が溜まるのを待っている』だな」

 「うわっ、しょぼっ

 「しょぼいと言えば次のようなエピソードがある。遼陽陥落直後の話だ」

 「大山巌の大きさを示すエピソードのつもりだったが、当時の日本のしょぼさのほうが目立ってしまうな」

 「悲惨ですね」

 「悲惨といえば当時の日本軍を苦しめていた病気に『脚気』がある」

 「ビタミンB1不足で起こる病気の事?」

 「そうだ、栄養失調の一つだが手足のしびれ、動機、足のむくみ、食欲不振という症状で、進行すると歩行困難になり最悪の場合、心不全になり死亡するというものだが、現在ではほとんど見られなくなったな」

 「当時にビタミンという概念はなかった。またほとんど日本でしかなかった病気だったので風土病とも思われていた」

 「何故日本でしか発生しなかったのだろうな?」

 「それは現在の知識で考えればわかることだが、麦食の他国と違い、日本は米食だったことによる」

 「なるほど、そうか」

 「つまりビール飲んでUSA(うさ)USA(うさ)USA(うさ)言ってればならないって事ね〜」

 「(それはなにか間違ってると思うぞ・・・)」

 「日露戦争での脚気による死者は陸軍で27800名。総患者数は30万を超えると推定されている」

 「凄い数ですね」

 「特に兵の数が戦況に直結する陸軍にとっては死活問題だ。だが、海軍での患者は87名に過ぎず、死者も3名で収まった」

 「なんで陸軍と海軍でそんなに違いがあるのよ? ひょっとして陸軍では麦を食べさせなかったわけ?」

 「ひらたくいえばそうなるな」

 「はぁ?

 「海軍は日清戦争で大量の脚気患者を出していた。これに苦慮した海軍病院院長の高木兼寛は、自身が勉強していたイギリス海軍では脚気がないことに着目して、日本海軍にもイギリス海軍と同様麦飯を食べさせた」

 「よく食事に目が行きましたね」

 「イギリス海軍は以前、やはりビタミン不足から発症する壊血病患者を食事療法で治した実績がある。食事の改善に取り組んだ海軍では脚気を最小限に抑えられたというわけだ」

 「何故陸軍ではそれが取り入られなかったのだ?」

 「それを説明するのに、一人のヤブ医者文豪を取り上げねばならない」

 「誰よ?」

 「森鴎外だ」

 「あー、あの留学先のドイツで女性といちゃいちゃした挙句に捨てて、でも日本にまで追っ掛けられてきて、しかも図々しくそのネタを小説として発表して、わけのわからん文体で書かれたその小説が何故か現代文の枠に組み込まれて後世の学生を苦労させた作家の事?」

 「偏見以前の問題だぞ、その説明では」

 「作者が如何に森鴎外が嫌いかよくわかりますね」

 「まあ作者だけじゃないみたいよ」

 「というより教科書で読まされた舞姫で懲りて他の作品を全く読んでないだけなんだけどな」

 「話を戻すぞ。第2軍軍医部長として従軍した森だが、彼はドイツで医学を学んでいた。当時のドイツはコッホを輩出したこともあり、細菌学が進んでいた。ドイツで学んだ森は細菌が脚気の要因だと考えていたのだ」

 「でも海軍は脚気を亡くしたんだからそれを真似したっていいじゃない」

 「イギリスはドイツの敵、海軍は陸軍の敵、ですよ」

 「まぁそういう事だな。森は死ぬまで脚気細菌説を換えなかった。こんなヤブ医者でも軍医のトップになれるのだからな」

 「森鴎外ヤブ医者説は医学界の中で口を噤まれているという噂を聞きましたけど?」

 「それ本当?」

 「さあ。あくまで噂のレベルですから。もっとも学界で口を噤んだところでヤブ医者である事は白日の下に晒されているわけですから意味ないと思いますけどね」

 「ところで、日本軍も仕方ないとはいえ、砲弾が溜まるのを待っているだけにはいかないだろう。7時間目で解説されていたとおり、日本軍はロシア軍を殲滅する必要があったのだから」

 「そうだ。満州軍参謀の井口省吾は『遼陽では土地を得たに過ぎない。敵軍を叩き、殲滅しないと意味がない』という趣旨の意見書を書いている。しかしロシアは受けて立つ側だから防御陣地に篭っている。これを落すには並の戦力では不可能だ」

 「だから砲弾が溜まるのを待ってるわけ?」

 「そうだ。しかもこの時期は旅順でも激闘が続いているわけだから中々砲弾は溜まらない。さらに日本軍はロシア軍がこの時期攻めてくるとは思っていなかった」

 「どうしてですか?」

 「クロパトキンは『ハルピンに引き付けて壊滅する』と公言していたからだ。実際それは妥当な戦略だったし、それが実現する事を日本軍は恐れていたのだからな」

 「でもロシア軍が南下してきたというわけか」

 「そうだ。上記の理由でクロパトキンは攻勢をとる。日本軍を15万とみていた」

 「まだ過大に見積もっているんじゃないの?」

 「実際、沙河会戦のロシア軍は、シベリア鉄道を生かした本国からの補給を受け25万6千人の大軍。日本軍は遼陽での損害が充分回復せず、12万1千人でしかない。クロパトキンが見積もった15万でもロシア軍が圧倒的に優勢だ」

 「具体的にはどのように進んだのです?」

 「10月1日、クロパトキンは各部隊に、 『10月5日に前進する』  と暗号命令を発進した」

 「まあ暗号命令は妥当よね」

 「ところが翌日、主な指揮官、幕僚の前でクロパトキンは、燃え燃えな演説をする」

 「なんだよ、その燃え燃えな演説って」

 「感動的な演説と置き換えてもいい。この演説を聞いた各指揮官は感動し、それを従軍記者に伝える。記者はすかさず本国に打電した」

 「当然、ロシア各紙に報道され、ヨーロッパ各紙にも転載され、日本にも伝わった。

 「暗号の意味無いですね」

 「ダメじゃない」

 「ところがそれをダメにできないのが当時の日本軍のまずさだ。前記のとおり、ロシア軍が攻めてくるとは思っていなかった日本軍はロシア軍南下の報に困った

 「困ってるだけじゃ何にもなりませんよ」

 「その通りだ。敵の準備が整わないうちに先に攻撃を仕掛けるか、陣地を堅固にし、向かってくる敵を十分に叩いてから逆襲するか、この2つの策に日本軍が取る策は絞られた。前策を松川敏胤が主張し、後策を井口省吾が主張した」

 「満州軍の頭脳ともいうべき児玉はどうしたのだ?」

 「旅順に行っていて、ロシア軍南下の報が入った時には総司令部にいなかった。戻ってきたのは10月6日だ」

 「戦場を離れていた参謀長で大丈夫ですか?」

 「良いわけがない。この時の児玉閣下を坂の上の雲では『旅順ぼけ』と表現している」

 「旅順ぼけねぇ」

 「おまけに砲弾不足の悩みが加わり、普段なら即断即決の児玉閣下が悩み抜いている・・・しかし10月7日、ロシア軍の南下が止まったという報が入る」

 「なぜロシア軍は止まったのでしょう」

 「クロパトキンは東部戦線と西部戦線を一気に押し出して日本軍を潰すつもりだったが、東部戦線の部隊の南下が遅れたため、西部戦線部隊が停止し、陣地を作り出した」

 「クロパトキンらしいといえばらしいな」

 「ロシア軍に従軍していたドイツ観戦武官のフォン・テフタウはのちに、

 と語ったそうだが、クロパトキンの完全主義は日本軍にとっては助かった」

 「児玉閣下は井口松川両参謀及び第1軍参謀長の藤井茂太、第4軍参謀長の上原勇作ともに相談し、結果、松川の攻勢策を取る事に決めた」

 「どんな作戦だったの?」

 「全軍一直線になってひた押しに押す」

 「また簡単な表現だけど、そんな事ができるの? 足並みを完璧に揃えて大軍が進むって事でしょう?」

 「積極論者の松川は

 と言った、と坂の上の雲にある」

 「将官から下士官兵に至るまで能力が高くないと不可能だな」

 「それを実現させたところに明治日本軍の能力の高さがある。ただ、日本軍にも弱点があった。第1軍に属する梅沢旅団だ。7時間目で説明した通り、この旅団は寄せ集めで戦闘能力が低かった。しかも梅沢旅団は日本軍で一番ロシア軍側に突出していたのだ」

 「突出していたらまずいじゃないですか」

 「そのとおり。クロパトキンも梅沢旅団が弱点だと気づいていた。急いで退却せねばならない」

 「敵前退却は極めて難しいぞ」

 「そうだ。だがこの戊辰戦争経験者の少将の口癖は、

 で、見事その匂いをかぎ当てていた。10月7日夜、見事敵前退却に成功した。1日遅れていたら壊滅の憂き目に遭っていただろう」

 「しかしロシア軍も馬鹿ではない、退却したとはいえ、梅沢旅団が弱点である事は間違いない。翌8日、梅沢旅団に総攻撃をかけてきた」

 「まあ当然よね」

 「対して黒木閣下は梅沢旅団が壊滅すると全軍の危機である事を理解しており、第1軍の全力を尽くして救援に当たった。・・・が、いかんせん戦力が違う。9日、第1軍は壊滅の危機に瀕した」

 「大ピンチですね」

 「しかし『ピンチはチャンス』ともいう。ここが戦機と見た児玉閣下は、敵の主力が東部にのしかかっている隙に、西部を担当している第2軍第4軍を一気に前進させ、ロシア軍を包囲してしまおうとした」

 「小兵力が大軍を包囲するなんて無謀だぞ」

 「そのとおりだが、それ以外に方法がない」

 「第1軍では閑院宮戴仁親王が旅団長を務める騎兵第2旅団が奮戦し、危機を乗り越えた」

 「日本軍の最西端にいる秋山好古率いる騎兵第1旅団も敵コサック騎兵を薙ぎ倒している」

 「兵も馬も劣る日本騎兵がどうして活躍できたのでしょうか?」

 「まず機関銃を装備していた事。敵騎兵の突撃に対して突撃で応ぜず馬から下り、銃を斉射して薙ぎ倒した事だな。長篠の戦を連想すればいい」

 「騎兵はわかったけど、それだけじゃないでしょ?」

 「沙河会戦が遼陽などと違って、真の意味での野戦だった事が大きい。ロシア軍が陣地から出てきてくれているからな。しかし兵力の差から日本軍に辛い戦いであった事は間違いない。不眠不休の戦いを強いられたからな」

 「しかし、この不眠不休の戦いを強いられたことが幸いする」

 「というと?」

 「戦術の常識として不眠不休の戦いをやるなら予備隊の存在が不可欠だ。だが日本軍には予備隊などない」

 「まぁそうだろうな」

 「しかし『戦術の常識』を重視したクロパトキンは日本軍の不眠不休の戦いぶりにびびって、


と判断し、13日夜退却を開始した。沙河会戦の峠は13日で越えた」

 「おいおい、それじゃあ遼陽のときと全く同じじゃないか」

 「日本軍は追撃したの?」

 「前進を続けたが、14日に振った大雨で文字通り水入りとなった。両軍とも、

と思っていたわけだ」

 「追撃は終わりですか?」

 「終わらせざるを得なかった。兵力も砲弾も足りない」

 「日本軍も遼陽と同じだったわけね」

 「なお16日、突出していた日本軍の一部が優勢なロシア軍の攻撃を受け、壊滅するという事件があった。ロシア戦史に『万宝山の理想的戦勝』とかかれているものだ。しかし全体的には日本軍が優勢でロシア軍もこれ以上攻勢はとらなかった。以降、沙河を挟んで両軍が対峙する事になる」

 「沙河会戦での両軍の損害は以下のとおりだ」

 「ロシア軍は日本軍と比較して3倍の被害が出ていますね」

 「だが国力が違うからな」

 「そうだ。この時期、砲弾がない事をぼやきまくっている」

 「冬期になり、お互い冬営せざるを得なかったことが日本軍に幸いしたな。以降互いに陣や壕を作り、持久戦に入った。沙河の対陣と言われるものだ」

 「この対陣はのちの第一次世界大戦での塹壕線のモデルとも言われている」

 「ロシアは本国からグリッペンベルグが援軍をつれてくるんでしょう? 日本に増援はないの?」

 「第3軍が旅順を早く落す以外にない」

 「冬が終わるまでがタイムリミットというわけか」

 「待って下さい」

 「何だ?」

 「ロシアといえば冬を利用してナポレオンもヒトラーも倒したんですよ? 冬に強いという利点を日本との戦いでも生かさないわけがないと思いますが」

 「ほう、いいところに目をつけた。それは次回で解説しよう」

 「これ元ネタは?」

 「ない。だからこの程度」

 「あらあら」

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おまけ

 「さて、ついでに対陣中の大山巌に関するエピソードを紹介しよう」

 

 

 

エピソードその1

 

 

 

 「戦中の楽しみといえば食事だが……」

 「終戦後の大山邸に風間が来た。巌は留守で捨松夫人が応対する。風間は上記の出来事を伝え、その時の鍋を捨松夫人に渡し『どうか閣下を大切にして下さい』と言い残して去る」

 「大山は無論鍋の事に気づいているが、
『軍人が戦場で粗食に耐える事など当たり前である。イタリア軍はその辺がわかってない と、何も言わなかったのだ」

 「こんなところでイタリアの悪口に走ることはないだろう」

 「第二次大戦のアメリカ軍は『前線に温かいスープが届くかどうか』を補給が巧くいっているかどうかの物差しにしたっていうけどね」

 「物量があって羨ましい話だ」

 「対して日本軍は機械油で天ぷらを作ったって言いますけど?」

 「それ、某半島出身の兵でしょ? ハン板に類似ネタが山のように転がっていたわよ」

 「細かい事はケンチャナヨ」

 「なお、捨松夫人による次のような話もある。新聞記者が、

と聞くと、

一同爆笑

当時、ステーキを好む日本人は珍しかったそうだ」

 

 

 

エピソードその2

 

 

 

 「これは対陣中の話というより対陣中での部下との談笑で出てきたエピソードだが」

大山 「あるとき、信吾どん(西郷従道)と二人で漁に出かけてな、大漁だったから茶屋でいっぱいやる事にしたんじゃ。犬をつないでおいたんじゃが、通りかかった巡査に噛み付いてな、巡査は怒る怒る」

 「当時、大山は大警視(現在の警視総監)を務めていた」

 「巡査がえらく驚いた。とにかく巡査というのはよく威張るもんでごわす」

部下一同大爆笑

 「大山は冗談の名手で、ぴりぴりしがちな司令部を冗談で和やかにしていた。薩摩弁で冗談の事を『チャリ』というが、大山がチャリを言う、を略して『オヤマカ・チャンリン』という造語まで出来た」

 

 

 

エピソードその3

 

 

 

 「日本軍司令部に袁世凱の使いとして軍事秘書長の段芝貴が来た」

 「段は生涯大山に傾倒し、袁世凱もひどく感心したという。しかし、勿論知らないわけではない。

が大山の統率の秘訣だった。このあたりを勘違いしてホントに知らない司令官が参謀に引きずられたのが後世の不幸だがな」

 

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