☆ムラサキ先生のゲーム歴史講義☆
【スーパーTVゲーム機大戦その2】
ネタをネタと見抜けぬ方はお帰り下さい。このページの内容に関して謝罪や賠償を要求されてもいっさい応じません。
そんなことをしたらネタにするのでよろしく(笑)


 

 

 

 

 「なにこれ・・・」

 「前回のあらすじをスパロボ風にしてみました」

 「こんなんでわかるかしら」

 「はい、と言うことで第3次スーパーロボット大戦TVゲーム機大戦からお話したいと思います」

 「前回はスーパーファミコンが発売されたところだったわね」

 「ほら!わかってるじゃないですか」

 「そりゃ前回見てる人はわかるでしょう」

 「スーパーファミコンが発売されましたが、

 ゲームの大容量化に伴い価格が高騰すると言う話をしましたが、

 これを解決する簡単な方法があったのです」

 「なに?」

 「CD−ROMを使うのです。

 ROMカセットが8〜32メガバイトしか使えないのに対してCD−ROMならば640メガバイトも使えます。

 さらに生産日数もROMカセットが1〜3ヶ月もかかるのに対してCD−ROMならば1日〜1週間、

 原価もROMカセットが800円前後かかったのに対して、CD−ROMならば100円前後で出来ます」

 「いいことづくめじゃん」

 「NECやSEGAがCD−ROMドライブを発売する訳よね」

 「しかし当時CD−ROMドライブはまだ高かったんです。

 PCエンジンDuoは59800円、拡張ユニットのスーパーCDロムロムでも39800円します

 セガのメガCDに至っては拡張ユニットにも関わらず49800円もしました」

 「それはちょっとお子ちゃまには手が出せないわね」

 「またCD−ROMは比較的簡単にコピーが出来るという問題がありました」

 「コピーなんてできるの?」

 「コピーするだけなら普通のパソコンであっさり出来ます。

 もちろんゲーム機の方でチェックするので遊ぶことはできませんが・・・」

 「ならばゲーム機を改(ごもごも)」

 「そこまでにしておいた方がいいわよ」

 「ROMカセットの場合はそう簡単ではありませんでした。まあ、方法はあってデータだけ抜くという・・・」

 「エミュレーターの走りみたいなものですね。今は・・・」

 「その話しも、そこまでにしておいた方がいいわよ」

 「任天堂がROMを採用した一番大きな理由と言われているのが、ソフトに特殊チップを乗せられることでしょうか?」

 「特殊チップ?」

 「ファミコンやスーパーファミコンの末期になると複雑化していくゲームの中、ハードの限界を超えるソフトが発売。

 この場合、カセットの方に特殊チップを乗せて対応したんです」

 「ふーん・・・ソフトがハードの限界をフォローしていたのね」

 「とはいえさすがに限界が来ました。

 大容量化していくゲームに対応するためCD−ROMをメディアとしたハードが求められ1994年〜

 第3次TVゲーム機大戦が勃発します

 

 「1994年3月20日、次世代ゲーム機としてまず先陣を切ったのは3DO REALです」

 「なにそれ?」

 「松下電器から発売されたゲーム機ですよ。クソも売れませんでしたけど」

 「酷い言われようだな・・・」

 「発売価格が54,800円。ソフトもこれと言って目玉になるようなものは無し・・・これでは売れようがありません」

 「よく発売する気になったわね」

 「出せば売れると思った。今は反省している」

 「3DOは売れませんでしたがこの年の年末商戦でいよいよ次世代ゲーム大戦が本格化、

 『セガサターン』『プレイステーション』『PC−FX』

 が発売されます」

 

 

 「発売当初の価格はセガサターン44,800円、プレイステーション39,800円、PC−FX49,800円でした」

 「どれも高いわね」

 「ほほーこれがPC−FXか」

 「し、知ってるの?」

 「忘れたのか?稲葉が白川にプレゼントしたとか言っていただろう」

 「よく覚えてるわねそんなこと・・・」

 「新型爆弾の名前か何かかと思い注意していたのだが・・・」

 「日本の高校生が爆弾なんかプレゼントするわけないでしょ」

 「うーん・・・セガサターンとプレイステーションは聞いたことがあるけどPC−FXというのは聞いたことがないわね」

 「PC−FXといえば『ギャルゲー専用機』ですよ」

 「なにそれ?」

 「PC−FXはPCエンジンの後継機としてハドソンの協力の下

 NECから発売されたゲーム機ですが、サターンとプレステの勢いに勝てず失速、

 その後『同級生2』『ドラゴンナイト4』などパソコンで人気だったゲームを移植して

 客層限定商売を展開します」

 「パソコンで人気って・・・」

 「ぶっちゃけエロゲーですね」

 「残念ながらTVゲーム機の歴史の中で18禁ゲームがきっかけでハードが大成した例はありません」

 「そういう人はパソコン買うわよね」

 「PC−FXの失敗は発売日から始まりました。

 発売4日前にいきなり発売日を変更するというミスをします」

 「これはわかりやすいボケですね」

 「ボケるつもりは無かったと思うわよ」

 「なんでまたそんな時期に発売日の変更なんかしたのよ」

 「パンフレット中で、ボードに対応しているパソコンの機種に誤りがあった為だとか・・・」

 「そんなの後で訂正すればいいじゃないの」

 「出来なかったんでしょうね。そもそもちゃんと発売日に発売しても売れたかどうか怪しいです」

 「なんで?」

 「3DOと同じです。

 本体を買ってでもやりたいと思えるソフト・・・  キラーソフトと言えるソフトがなかったんです。

 同時発売のソフトは
 『卒業II Neo Generation』
 『TEAM INNOCENT -The Point of No Return-』
 『バトルヒート』
  でしたが・・・」

 「ごめん、全部聞いたことがないわ」

 「これに対してセガサターンには『バーチャファイター』『デイトナUSA』

 プレイステーションには『鉄拳』『リッジレーサー』など

 当時アーケードで人気のあったゲームが移植され販売数を延ばします」

 「セガサターンもこの時は人気あったのよね」

 「はっきり言ってセガサターンの方が勢いがありました。

 能力的にも3D描写が得意なプレイステーションですが2Dの描写は苦手でした。

 対して2Dも3Dも大丈夫だったセガサターンは優位に立ちます」

 「3D?」

 「3次元描写ことでしょ?平面でしか表現できなかったのに奥行きが表現できるようになったということよ」

 「格闘ゲームで言えばストリートファイターが2D、バーチャファイターが3Dですね」

 

 

 「セガサターンは翌年の年末商戦に

 『バーチャファイター2』『セガラリー・チャンピオンシップ』

 を発売して一歩リード、いよいよセガの天下か?と思われました。」

 「あれ?任天堂は?」

 「この時はまだ次世代機の発売はされていません。

 っとはいえ任天堂の次世代機への取り組みは早くて、スーパーファミコンが発売された翌年の1991年・・・

 スーパーファミコンの拡張ユニットとしてSONYとCD−ROMドライブの共同開発が発表されました。

 その名も『プレイステーション』

 「え?それって・・・」

 「今のプレイステーションとは何の関係もない・・・とのことですが、

 この後共同開発が立ち消えになったため、

 SONYの子会社としてSCE(Sony Computer Entertainment)を立ち上げ

 現在のプレイステーションを独自で開発しました」

 「それがここまで有名になるとはね〜」

 「任天堂はCD−ROMメディアに魅力を感じなかったようで、

 この後ROMカセットのゲーム機を開発していきます。

 そうしてプレイステーションやセガサターンとは別な路線を狙って登場したのが・・・」

 

 

 「1995年7月21日発売バーチャルボーイです」

 「なにこれ」

 「暗視ゴーグルか?」

 「ゴーグル型のディスプレイ覗き込むようにしてプレイすると3Dに見えるそうです」

 「なんか目が悪くなりそうね」

 「実際は目が良くなるという研究結果が出ているそうです。

 医療分野での開発も計画されているそうですが・・・

 任天堂にとって商業的に稀に見る程の大失敗に終わりました」

 「やっぱソフトが無かったから?」

 「そうですね。任天堂は

 『マリオズテニス』  『マリオクラッシュ』

 など発売しましたが、後続するソフトがなかったのが痛かったようです」

 「マリオだけではもうだめっぽ(;つД`) 」

 「まあ、次世代機が発売された1994年〜1995年はまだまだスーパーファミコンが現役で 

 『第4次スーパーロボット大戦』
 『不思議のダンジョン2 風来のシレン』
 『ドラゴンクエストVI 幻の大地』
 『テイルズオブファンタジア』
など

 人気ソフトが次から次へと発売されてスーパーファミコンの寿命を延命していたので、まったく痛くなかったでしょうが」

 「ファミコンからスーパーファミコンに移った時と似てるわね」

 「そうですね。任天堂は今回も大丈夫だろうと思っていたのではないでしょうか?

 1995年11月24日プレステとサターンが激戦を演じていた年末にようやく次世代機の本命として

 ニンテンドウ64を公開します」

 「まだ発売してないのね」

 「他ハードへのけん制のつもりだったんでしょうか?

 内容は、価格25000円。プレイステーションやセガサターンを上回る64ビットの性能。

 当時話題だった3Dの描写も対応していました。

 さらにコントローラを4つ指すところが付いてあり最初から多人数プレイができるなど

 当時の次世代機としては最高のものでした」

 「へー凄いんじゃないの?なんでまたプレイステーションに負けちゃったの?」

 「機体の性能差が戦力の決定的な差でないことを教えてやろう

 「ニンテンドウ64は致命的な弱点を抱えていたのです」

 「容量とやらだな」

 「おや?よくわかりましたね」

 「話を聞いていればわかる」

 「どういうこと?」

 「ニンテンドウ64はROMカセットだったためCD−ROMメディアを使った他のハードより容量が少なかったんです」

 「ああ、なるほどね」

 「この結果、1996年1月31日、当時のスクウェアが『ファイナルファンタジーVII』をプレイステーションで発売することを発表したんです

 「我々には三千年間一度も負けたことのない味方を手に入れたのだ

 「っと思ったかどうかわかりませんが、プレイステーションは力強い味方をつけることに成功しました」

 「どうしてプレイステーションだったのかしらね」

 「ライセンスの条件が他のハードより良かったようです。

 また大容量に対応するためにはROMカセットでは無理だったんです。

 実際にPSソフトのファイナルファンタジー7はCD−ROMにも関わらず3枚組という大容量のものでした」

 「ふーん・・・でもたかがソフト1本でしょ?」

 「任天堂もセガもそう思っていたようです。しかしこの影響は意外に大きかったんです。

 同じ年の6月23日、度重なる延期をしていたニンテンドウ64がとうとう発売します」

 

 

 「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

 「同時発売だった『スーパーマリオ64』が好調で

 一週間で30万台を完売、2ヶ月で70万台を売り上げ

 一気に販売数を延ばすかに見えましたが・・・この後失速します」

 「なんで?」

 「マリオだけじゃ駄目なんです。エロい人にはそれがわからないのです」

 「そのセリフは聞き飽きたわ」

 「ソフトが圧倒的に少なかったのです。

 発売した年には10タイトル、翌年の1997年でも43タイトル・・・

 任天堂は少数精鋭を狙ってライセンス厳しくしていたようですが、これが災いしました」

 「プレステは?」

 「1997年だけで478タイトルが出てますね」

 「43vs478ですか」

 「む・・・10倍か・・・少数精鋭にもほどがあるぞ」

 「とにかく発売後4年間のプレイステーションの攻勢は凄かったのです。

 がんがんCMを投下。メーカーには他より好条件のライセンスを提示。

 販売店には試遊機&ソフトを提供。ユーザーには体験版をばらまきました。

 この体験版からビックヒットするソフトも登場します」

 「なに?」

 「ゲーム好きならかならず聞いたことがあるタイトルですよ。映画化もされました」

 「うーん・・・なにかしらね?」

 「ゾンビゲームですね」

 「あ!バイオハザードか」

 

 

 「はい、カプコンから1996年に発売されたバイオハザードは、前評判はそれほど高くなかったのですが、口コミでおもしろさが広がり大ヒットします。

 体験版がきっかけでヒットしたゲームではその他にもマリーのアトリエなどがありますね」

 「ソフトに新作の体験版が付き出始めたのはこの頃だったかしらね」

 「SCEはその他にも一般層向けのプレイステーション開発キットである”ネットやろうぜ!”を発売したり、新規クリエイタを一般から募集したりなどなど・・・」

 「いろいろやってるのね」

 「中でも大きかったと言われてるのが流通の変化ですね。今まで・・・」

 「これを・・・」

 「っと問屋に卸さず、直接小売店に流通する仕組みにしたんです」

 「問屋?間の店か?」

 「普通は何万店もあるお店に商品届けるの大変でしょ?

 その大変な作業をしてくれるところが問屋さんよ」

 「任天堂がやったことと同じです。

 任天堂は工場の仕事を自分のところでやることにしました。

 SCEは問屋の仕事を自分のところでやることにしたわけです

 「そのうちメーカーが自分で配ると言い出しかねないわね」

 「ネット販売がそれですよ。

 お店を通さず売った方が儲けが出ますからね。

 今のところ成功してないですけど、そのうちゲームはネットで買う・・・

 そんな時代が来るかもしれませんね」

 「10年はかかりそうね(2006年現在)」

 「直営することになったSCEは小売店に定価売りとフライング販売の禁止を要求、

 中古ショップには流通を制限したりと独占禁止法に引っかかるような手法も取ってます」

 「裁判になってたわよね」

 「たしかに問題はありましたがメーカーには喜ばれました」

 「そなの?」

 「中古商売は、店側にとって美味しい商売なんですが、メーカー側にとっては目障りなんです」

 「そう?中古ショップがなければここまでゲーム市場は大きくならなかったと思うけどね」

 「メーカー側は『店の事情など知るか!ウリからゲームを買えばいいんだ』と思ってるのですよ」

 「中古商売というのは店側だけ儲かる商売なんですよ。

 メーカー側は儲かりません。

 新しいソフトを作るにもお金がかかりますから新品のソフトを買ってもらわなくては困る。

 しかし新品ソフトだけでは店側は儲からない・・・難しい問題ですね」

 「新品ソフトで儲からないの?」

 「今は儲けがほとんどないそうですよ。

 昔のようなゲームショップというのは見えなくなって、あっても中古販売をしているお店です

 DVDやCD、本、レンタルショップなどの複合形態の量販店しか見なくなったのは

 ゲームだけでは商売にならないからですね」

 「困ったものね・・・」

 「中古商売の問題は、マンガ本などでもありますね。

 とにかくプレイステーションの手法はメーカー側を喜ばせサードパーティの充実に繋がりました。

 このプレイステーションの攻勢に遅れて参戦したニンテンドウ64はソフトの質で対抗しようとしますが、そのソフトの価格が足を引っ張ります」

 「前回最後で言ってた価格高騰ね」

 「はい、それはニンテンドウ64でも変わりませんでした。

 プレステやサターンが5800円前後でソフトを発売している時代に

 64ソフトは9800円前後だったのは致命的でしたね」

 「それは高いわね」

 「さらにプレイステーションはハードの値下げをしていきます。

 発売時の39,800円を、29,800円→24,800円→19,800円→15,000円・・・と段階的に値下げしていきます。

 最終的には9,980円となりました。

 この値下げ攻勢にセガサターンはアップアップになります」

 「なんでまた?」

 「サターンは設計上コストダウンが難しかったんです。

 もともとセガサターンは2D用に開発された本体に3Dの機能を積み込んだわけです」

 「だから両方得意なわけね」

 「しかし、それはとても贅沢な仕様になってしまったわけです。

 プレイステーションが順調にコストダウンに成功して値段を下げたのに対抗して、

 セガサターンも値段を下げざるおえず、その結果、売れば売るほど赤字になるという悪循環・・・

 結局セガサターンも戦場から去ることになります」

 「赤字を出しつつ戦い続けたセガサターンに敬礼」

 「・・・」

 

 

 「発売から2年で国内200万台販売したプレイステーションは、

 スクウェアの発表後1年で国内500万台まで増加。

 さらに翌年にはエニックスも『ドラゴンクエスト7をプレイステーションで発売する』と発表します」

 「完全に勝ちが決まったわね」

 「ドラクエをプレステで発売するのにも紆余曲折があったそうです。

 サターンで発売しようか?と言う計画もあったそうですが、

 結局『一番売れてるハードで出そう』と決まったそうです」

 「セガサターンでドラゴンクエストが発売になってたら・・・」

 「もしかしたらセガが天下を取っていたかもね〜」

 「結果1997年12月31日に日本国内1000万台を達成

 第3次ゲーム機大戦はプレイステーションに軍配が上がりました

 「そして第4次ゲーム機大戦が幕をあけるのです」

 「はい、ちなみにニンテンドウ64で失敗した任天堂は意外なところで反撃をします」

 「ん?

 「それは一本のゲームソフトでした。

 発売当初はあまり知られていませんでしたが、口コミで話題になり次第に大ヒット。

 今や任天堂の顔と呼ばれるソフトにまで成長しました」

 「マリオやゼルダじゃないでしょ?」

 「あ、わかった!ポケットモンスターね」

 「そうです。ポケットモンスターです」

 

ポケットモンスター 緑

 

 「1989年4月21日に発売したゲームボーイは好調に売り上げを上げましたが、

 1990年代半ばに入りプレステやサターンなどの次世代機の波に押されて

 携帯ゲーム市場も徐々に衰退、もはや消える寸前まで行きました。

 そんな中、1996年2月27日ゲームボーイで発売されたポケットモンスターは

 携帯ゲーム復活の原動力になりました」

 「今考えるとゲームボーイが消えそうだったなんて信じられないわね」

 「湾岸戦争の時活躍していたな」

 「はぁ?湾岸戦争?」

 「湾岸戦争の際にアメリカ軍の兵士が暇つぶしにゲームボーイでよく遊んでいたぞ」

 「マジ?

 「どうやらホントの話らしいですね。どうやら任天堂が提供したそうです」

 「嘘を言ってどうする・・・」

 「このゲームボーイは全盛期に100を越えるタイトルが発売になっていましたが、

 1996年は38タイトルしか発売されませんでしたが、

 その中の一つポケットモンスターが大ヒットし市場は活性化されました。

 黄色の電気ネズミを主役としたアニメも作られ携帯ゲーム市場は復活しました。

 この後、任天堂は携帯ゲームで覇権を握ることになりますが、それはまた別の機会にしたいと思います」

 「別の機会が有ればいいんだけどね」

 「次回携帯ゲーム大戦でお会いいたしましょう」

 「まだゲーム機大戦の話が終わってませんよ」

 「まだあるの?」

 「まだまだ行くよーーー

 

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