☆マンガ嫌日流の嘘を暴け4@テスト版☆
○隣の国でマンガ嫌日流という本が発売されました。面白すぎるのでネタにしています。
このページの内容に関して謝罪や賠償を要求されてもいっさい応じません、そんなことをしたらネタにするのでよろしく(笑)




Q.36年も植民地として被害を受けた。
A.むしろ日本から援助をしている。
日本の朝鮮統治について(2) 杉本幹夫
(http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/shitugi/chousen%20touchi%202.html)
■命題
当時の朝鮮は大変貧しかった。だから日本はまず彼らの生活の安定を図りました。 併合時の総督府の予算(1911年)は52百万円で、その内12百万円は日本政府の補助金で、10百万円は日本で調達した公債でした。 この補助金は終戦まで続けられました。
■質問
この補助金が何に使用されたかが問題ですよね。
土地調査事業により日本人地主が増加、会社令により日本人資本家が増加、この結果日本人の為の補助金になったのではないですか?
■回答
1911年の歳出47百万円の内、最も比率の高いのは鉄道と通信設備の建設費で16.6百万円です。次いで一般行政費8.7百万、治安費6.4百万、産業振興費4.5百万、地方費3.9百万、土木費3.2百万、の順です。教育費はその前年3.5百万使い、小学校を大量に作りましたが、この年は1.3百万に減っています。日本からの補助金がなければ、役人の給料を払うのが精一杯で、とても国土の建設に回すお金が無かったのではないでしょうか。
貴方は土地調査事業は日本人地主のためと思っておられるようですが、国土の建設には土地の使用状況を調べることが、何よりも大切なことです。どのような改善計画を立てるにも、まず現状調査、改善計画の立案と進むわけであり、現状調査である土地調査こそ、朝鮮内政改善の第一歩ではないでしょうか。 会社令は日本人の進出を阻害しているとして、渋沢栄一などは非難しています。
しかし、韓国で勉強しているごく普通の韓国人は「併合時代はあらゆる韓国人が奴隷として生きた暗黒の時代だった」と認識するようになる
親日派のための弁明 金完燮(キム・ワンソプ)草思社日本語版への序文より
(http://www.books-ruhe.co.jp/recommends/2002/07/shinnnichihanotamenobennmei.htm)
歴史とは現代の問題の反映でもある
韓国で生まれ育った私にはかつて強い反日感情がありました。
日本が嫌いで、日本語をまったく学びませんでしたし、日本語を使う人をみると不愉快になりました。
「気分が悪いから」日本を旅行したいとも思いませんでした。
パソコン通信(いまのインターネット)の掲示板に「日本の没落」と題したシリーズを載せたこともあります。
(中略)
私は、戦後アメリカの東アジア政策は、さまざまな点で私たちに友好的とはいえなかったと考えています。
反日感情を意図的につくりだすうえで基本となったのが、歪曲された、まちがった歴史認識です。
韓国人は幼いときから、学校や家庭で、あるいは社会をつうじて、さまざまなやり方で捏造された歴史を学びます。
これによって、ごくふつうの韓国人は「総督府時代とは、あらゆる朝鮮人が日本人の奴隷として生き、搾取されて死に、追い出された時代だった」という認識をもつにいたります。
(本文P1〜4から引用)
しかし、併合時代には多くの恩恵があった。たとえば人口が増加している。
さらに、併合時代の朝鮮はGDPの成長率で年間約4%と高い成長率を記録している
「1920〜30年代の成長率4.1%」
(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/03/03/20040303000075.html)
日帝時代、朝鮮は1937年の中日戦争勃発前まで国内生産及び支出が年間約4%の高い成長率を記録していたことがわかった。朝鮮の経済状況についての精密かつ総合的な統計が出たのは今回が初めてだ。
(以下略)
データのみまとめ
落星垈(ナクソンデ)経済研究所の調べ
1912〜1937年までの朝鮮国内総生産(GDP)成長率
年平均実質GDPは4.10%、実質GDEは4.24%
※同時期の日本・米国は、3%台 欧州は、1%台
| 植民地朝鮮の経済構造変化 |
| 1910年代 | 1930年代 |
| 一次産業 | 75% | 45% |
| 二次産業 | 7% | 22% |
| 三次産業 | 19% | 33% |
朝鮮に住んでる全ての人がよい暮らしをしていたというつもりはないが、併合前に比べて生活の水準が上がったのではないだろうか?
親日派のための弁明 金完燮(キム・ワンソプ)草思社より
・現代韓国人が知らない日本統治以前の奴隷社会
死亡当時、すべての朝鮮人にとって呪いの対象だった閔妃が、今になって自主独立の殉教者として華麗に復活した現象は、韓国人が直面しているアイデンティティーの混乱を端的に示すものだ。
韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら、もっと今日の暮らしが良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。
特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビの歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば、静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。
しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。
⌒) ) | ̄ ̄| ( ⌒) ) ( ) ) (⌒ )
( ( ) |∧∧| ((⌒( ) (( ⌒)) ( ( ) )
(⌒ ) __<;゚Д゚>__ ( ) ) (⌒ ) ) ( )⌒)
( (⌒) | ⊂l_ 親 _l⊃ | (⌒ )) ( ) ) (⌒( )
( ) )  ̄ ̄|.|日 || ̄ ̄ (( )) (( ) ) ( ) )
( ノ火 |.| || ノ火 ) ノ火 ノ火 ,、
γノ)::), |∪∪| γノ)::) γノ)::) γノ)::) //\
ゝ∧ノ. | | ゝ∧ノ ゝ∧ノ ゝ∧ノ //\ |
∧_∧ || | | || ∧_∧ || ∧_∧ || ∧_∧ . // レ
< `∀´>|| ~~~~~~~~ ||<`∀´ > ||< `∀´ > ||< `∀´ >// +
⊂ つ ⊂、 つ ⊂、 つ ⊂、 つ
人 Y Y 人 Y 人 Y 人
し(_) (_)'J (_)'J (_)'J
Q.南北分断しているのは日本のせい
A.日本は関係ない
| 西暦 | 日付 | できごと |
| 1945年 |
9月2日 |
日本が降伏文書に調印し大戦終結。米国がヤルタ協定に基づいて進駐し、38度線をはさんで南北に分割し軍政を敷いた。 |
| 1946年 |
2月 |
金日成を中心とした共産勢力が「朝鮮臨時人民委員会」を樹立。 |
| 1947年 |
6月 |
李承晩を中心に「南朝鮮過渡政府」を樹立。 |
| 1948年 |
8月13日 |
李承晩が北半部を無視して大韓民国の成立を宣言。 |
| 9月9日 |
金日成が朝鮮民主主義人民共和国を成立。 |
| 12月 |
ソ連軍撤退。 |
| 1949年 |
6月 |
米軍撤退。 |
| 1950年 |
1月 |
米韓軍事協定。 |
| 6月25日 |
朝鮮人民軍が38度線を越境、南半部へ侵攻。 |
もともと日本併合時代に南北分断統治などしていないのに、どこに日本が関係しているのやらわからないが、こう思ってる韓国人は少なからずいるようだ・・・
韓国民の53%「米国に分断の責任」
与党「開かれたウリ党」(ウリ党=「わが党」との意)の張永達(チァン・ヨダル)議員は12日、北朝鮮に対する認識を調べたアンケート調査の結果を伝えた。それによると、回答者の53%が、周辺諸国のうち、南北(韓国・北朝鮮)分断への責任が最も大きい国として、米国を選んだ。その次は、日本(15.8%)、ロシア(13.7%)、中国(8.8%)の順だった。
また、「韓半島の統一に最も反対する国」と思われる国家に、米国(35.3%)と日本(35.2%)を選んだ。米国が北朝鮮への先制攻撃を行う場合は「米国を支持する」が42%、「北朝鮮を支持する」が40.9%だった。調査はグローバルリサーチが、分析は韓国社会世論研究所が、それぞれ行った。
この程度の歴史認識しかない韓国人が、日本の歴史認識が間違ってると非難しているのを日本人は知らなければならないのではないだろうか?









Q.閔妃殺害事件は日本人が行った蛮行?
A.NO
実際には、多くの朝鮮人が関与している。
マンガ嫌日流のソースはロシア参謀本部中佐カルネイェフの記述によるものと考えられるが・・・
朝鮮旅行記 ゲ・デ・チャガイ編 井上紘一訳 平凡社東洋文庫
『1895―1896年の南朝鮮旅行』の章 カルネイェフ(ロシア参謀本部中佐)
1895年11月26日に実行された王妃暗殺では、間違いなく大院君(国王高宗の父)がかなりの役割を演じていた。
(中略)
午前3時、王宮を日本軍が包囲し始めた。日本軍の一部隊は北西門に配備され、北東門に集結したのは、日本人によって教育された朝鮮兵約300人である。
(中略)
彼らは中庭を走り回って、王妃の所在を聞き出せると判断される人々を捕まえては打擲するも、誰一人として彼らの求める情報を与えた者はいなかった。王妃が女官の間に身を隠しているに違いないと考えた日本人たちは、か弱い宮廷婦人を手当たり次第に殺しだした。日本人らは婦人たちに襲いかかり、王妃の引渡しを要求するのだった。王妃と全ての女官たちは口裏を合わせて、王妃はここにいないと答えていた。しかし、哀れなる王妃の神経がもはや耐え切れなくなって、彼女が廊下へ逃げ出すと、一人の日本人が脱兎のごとくその後を追い、王妃を捕まえ刺し殺した。しばらく経って、日本人らは殺害した王妃を近くの林に運び出し、灯油を振り撒いた上に火を放って焼却した。1895年11月26日の流血劇は、こうして幕を閉じた。
日本人らが自らの虐殺を実行していた頃、南門からは日本軍兵士とともに大院君が、そして彼とほぼ同時に三浦公使も王宮に入った。彼らは直ちに王の許に赴き、王妃からその称号を剥奪し、平民の身分に降格させることを宣する布告に署名するよう迫った。
<同書解説から>
特に印象に残ったのは、カルネイェフが伝える閔妃暗殺の現場報告である。これは恐らく、現場に居合わせて一部始終を見届けたロシアの建築家セレドニン・ソバチンに直接取材した聴書であろう。
それにも、ちゃんと朝鮮兵が参加していることが書かれている。
しかし韓国では教科書などでも、朝鮮兵が参加していたことは全く書かれていない。
なぜ朝鮮人の参加していたかというと閔妃は、民衆に恨まれていたようだ。
「外国新聞に見る日本4」より
ニューヨーク・タイムズ 1908年4月5日号
(アメリカにおける朝鮮についての最高権威であるジョージ・トランブル・ラッド博士の記事)
故王妃暗殺の下手人は日本兵だという説については、三浦将軍(公使)が暗殺計画に荷担し、一部の日本人壮士たちが韓国兵を援助したことは、どうも事実のようだ。しかしこの王妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ。
韓国 堕落の2000年史 崔基鎬 詳伝社
閔妃は王子拓を世子として冊封するために莫大な資金を費やした。そのうえ、閔妃は世子の健康と王室の安寧を祈るために、「巫堂ノリ」を毎日行なわせた。「巫堂ノリ」は巫女たちが狂ったように踊り、祈る呪術である。そのかたわら、金剛山の1万2000の峰ごとに、一峰あたり1000両の現金と、1石の米と1疋の織物を寄進した。つまり、合計して1200万両の現金と、1万2000石の白米、織物1万2000疋を布施した。当時の国家の財政状態は、150万両、米20万石、織布2000疋を備蓄していたにすぎなかったから、閔妃が金剛山に供養した額は、国庫の6倍以上に当たるもので、とうてい耐えうるものでなかった。これは法外な浪費だった。宮廷の要路の顕官たちは、民衆から搾取して、競って閔妃に賄賂を贈り、王妃に媚びて「巫堂ノリ」に積極的に参加し、巫女たちとともに踊った。閔妃は、狂気の宮廷に君臨する女王だった。また、閔妃は音楽を好んだので、毎夜、俳優や歌手を宮中に招いて演奏させ、歌わせた。そして自分も歌った。俳優や歌手たちに惜しみなく金銭を撒いて、遊興した。
(中略)
日本のおろかな女性作家が、閔妃に同情的な本を書いたことがあるが、閔妃は義父に背恩したうえに、民衆を塗炭の苦しみにあわせ、国費を浪費して国を滅ぼしたおぞましい女である。このような韓国史に対する無知が、かえって日韓関係を歪めてきたことを知るべきである。
閔妃が明成皇后として救国の国母のように語られるようになったのは、ミュージカルや小説の影響である。
それ以前は”亡国の女帝”と言われていた。

Q.日本人が国母を残虐に殺害して燃やした
A.朝鮮人
日本側の資料によると、「国母を残虐に殺害して燃やした」のは朝鮮人である
閔妃(明成皇后)殺害後の「石塚書簡」の現代訳

王妃ヲ引キ出シ二三カ所刃傷ニ及ヒ且ツ裸体トシ局部検査(可笑可怒)ヲ為シ最後ニ油ヲ注キ焼失セル等誠ニ之ヲ筆ニスルニ忍ヒサルナリ其他宮内大臣ハ頗ル惨酷ナル方法ヲ以テ殺害シタリト云フ右ハ仕官モ手伝ヘタレ共主トシテ兵士外日本人ノ所為ニ係ルモノノ如シ
原文(現代字訳)
入城し実行の任に当して
守備隊の将校兵卒の四門警衛止またず門内に侵入せり
殊に弥次馬達は深く内部に入込み王妃を引き出し二三ヶ所刀傷に及び且つ裸体とし
局部検査(可笑可怒)を篤し最後に油を注ぎ焼失せる等誠に之
訳文(意訳)
入城して実行の任務に当たった守備隊将校兵卒の四つの門の警護の制止を聞かず、門内に侵入し更に野次馬達は深く内部(建物内)に入り込み王妃を引きずり出し2,3箇所刀傷を負わせ、かつ裸にし局部検査をして(笑いをくわえ、怒りをくわえながら)気絶(危篤?)させ、最後に油をかけて焼き殺すなど、誠にこれ…
この一件、朝鮮人が自白したため韓国の裁判で死刑になっている。
そのためどの政府もこの件に関して抗議した国はない
日韓共鳴二千年史 名越二荒之助 平成14年 明成社
全責任を負って処刑された李周會将軍
閔妃殺害事件をめぐってロシア公使ウェーベルは動き始めました。そのこともあってか、外国の政府代表は大院君政権の承認を拒否し、直接、高宗国王との交渉を主張しました。しかし、どの政府も国益を重視して、この暗殺問題で日本に抗議した国はありませんでした。日本政府としては欧米諸国との不平等条約(関税自主権や外国人を裁判する権利が日本に認められていなかった)を改正するという悲願もあり、対外的な配慮もあって三浦公使以下四十余名を広島の獄に送り、裁判にかけました。それを知った李周會は悩みました。彼はかつて国王に対して「閔妃と奸臣を宮廷から遠ざけ、国王親政を実現するよりほか、国家の滅亡を救う道はない。それができなければ、自分の首を斬って貰いたい」と死をもって諌言したことがあります。その時国王は聞き容れず、李周會を宮廷外に追い出してしまいました。それ以来彼は官を辞し、野に下って日朝の志士と往来し、八方画策しておりました。そしてこのたび閔妃事件が突発し、三浦公使以下は獄に繋がれました。彼は「日本が我国のために尽してくれたことは数えきれない。このたび公使以下多数の志士が拘留せられた。朝鮮人として見るに忍びない」として閔妃暗殺の全責任を負い、自分が閔妃を殺害したと供述し、他の二人(尹錫禹、朴鉄)と共に処刑されました。時に明治二十八年十月十九日、五十三歳。
三浦梧楼公使は広島の獄中でこのことを知って痛哭し、次のような七言絶句の詩を作りました。
廃沢荒山玉尚存 銀難国歩哀王孫
無由一束供青草 涙向西天灑義魂
〈荒廃した朝鮮にも玉のような心があった。朝鮮国の前途を思えば気の毒に堪えない。自分は獄中にいるため献花することもできず、西の空に向かって李周會の義魂に涙を注ぐのみである。)
アジア歴史資料センター
レファレンスコード: B03030222700
※閲覧にはDjVuプラグインが必要
http://www.lizardtech.co.jp/download/index.htmlにてDL
〔明治36年〕9月16日から〔明治36年〕12月2日
(在本邦韓国亡命者禹範善同国人高永根魯允明等ニ於テ殺害一件)

禹ハ旧年王妃ヲ弑セシハ自己ナリトノ意ヲ漏セリ
現代訳:旧年王妃を弑せしは自己なり
「日韓共鳴ニ千年史」 名越二荒之助 平成14年 明成社
それどころか閔妃の罪悪を挙げる詔書を、国王に出させました。日本は列国との修復を図るべく、井上馨を特命全権公使としてソウルに派遣しました。彼は大院君に対して、「死ねば皆仏になる。過去を水に流して王妃の菩提を弔って、民心の安定をはかること」を勧めました。しかし閔妃を復位させ、「明成皇后」の諡号を贈り、国葬を行なったのは、大韓帝国が誕生した後の明治三十年十一月のことでした。
Q.1905年外交権を剥奪されたのは閔妃事件の影響である。
A.???
1895年10月に起こったことと同一視することがおかしいのでは?
むしろその後の親露派を
日露戦争時に密使外交を行っていたことが原因である
露館播遷
(直接の実行犯は未だ不明。李周會、尹錫禹、朴鉄が、犯人として死刑になることで決着)
朝鮮半島の歴史 年表
1894年 東学党の乱勃発。日本と清が軍事介入し、鎮圧。
1894年08月 日清戦争勃発。
1895年04月 伊藤博文と李鴻章が出席して下関条約締結。清からの独立を果たす。←コレ
1895年10月 朝鮮で閔妃殺害事件。
1897年02月 高宗が国号を大韓帝国と改称。
1904年 日露戦争勃発。
1905年 ソウルに統監府、初代統監に伊藤博文就任。
日清戦争の下関条約で独立させてもらった恩を忘れて、ロシアに事大したことが原因なのだが、韓国では日露戦争もまともに教えていないため、このような結論になるものと思われる。
日本が韓国の独立のためにねばり強い努力をしてきたことは、伊藤が初代統監として韓国の新任大臣に語った以下のような訓話からしても、その事は明らかである。
韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する 勝岡寛治 著より
伊藤が初代統監として韓国の新任大臣に語った訓話
1907年(明治40年)5月30日(朝鮮総督府『朝鮮の保護及び併合』)
「日清の役から、日露の役にいたる10年間、韓国は奮って、独立の要素を涵養しなければならなかった。
そうだったのにも拘わらず、これを顧みず、或いは右に傾き、或いは左に傾いて、そのため遂に、日本が韓国のために、ロシアと戦わなければならなくした。
故に、今日、日本が韓国の外交権を手中に収めたのは、当然の事である。何故ならば、これを依然として、韓人の手中に収めておくとするならば、韓国はいつまでも、列強の競争場となり、日本の為に極めて危険だからである。
然るに韓人は、今日に至っても尚、外交権を回復するだけの実力を養う努力をしようとしないで、しきりに他国の援助によって、これを日本から取り去ろうとしているようである。
けれども、どんな国にせよ、他国のために、自国の財力と国民の生命医を犠牲に供するものはない・・・・
およそ国家は、自ら独立する要素が無くて、単に他国に寄りかかっているだけで、立っていけるものではない。
今日のままで進むとすれば、韓国を滅ぼすものは、他国ではなく、韓国自身では無かろうか?
故に諸君は、反復・表裏もなく、専心一意、韓国のために謀らなければならない。
自分は諸君を助けて、韓国を独立させるよう人力しつつある。
然るに韓人は、日露戦争のような大激戦を目撃していながら、尚、覚醒しないのは何事であろうか?」
人の努力を無にするそれが韓国クオリティ



Q.日韓保護条約(乙巳条約)は脅迫されたから無効
A.そんなわけあるわけない
そんなこと言ったら、全ての条約が無効になってしまう
Q.荒井信一日本駿河台大教授もそう言っている
A.荒井信一はこんな人物
日韓協約交渉、日本軍が韓国側の行動制約か 米公使指摘
(http://www.asahi.com/national/update/1110/TKY200511100220.html)
日本による朝鮮半島の植民地化につながった1905年の第2次日韓協約の締結交渉で、韓国の閣僚らの行動を日本軍が制約していた可能性を、駐韓米国公使が本国への報告書に明記していたことが荒井信一・駿河台大名誉教授(国際関係史)の研究で分かった。国の代表者に強制して結ばせた条約は無効との説が当時からあり、同協約の正当性をめぐる議論に影響を与えそうだ。
報告書は05年11月20日付でエドウィン・モーガン公使からルート国務長官あて。米外交官と本国がやりとりした公式文書を集めた米国の研究書「コリアン アメリカン リレーションズ」の第3巻(89年)の中で荒井名誉教授が見つけた。
報告書によると、交渉が最終段階に入った11月17日、日本の特派大使・伊藤博文が韓国駐留軍の長谷川好道司令官らとともに、米公使館から低い壁を挟んで20メートル余の位置にある交渉会場に入った。内部の様子は正確には分からないが、日本の憲兵らが会議室のベランダや一つしかない裏口への通路を固めているのが見えたと記した。
韓国内では条約への反対論が根強かった。文書は「憲兵らは表向き伊藤らの警護のために配置されたが、韓国皇帝に日本の要求を拒むことは不適当だと思わせるためにも使われた」と記した。
ソウル市内で日本軍が繰り広げた示威行動にも触れ「物理的な暴力が行使されたとは考えにくいが、閣僚らが条約調印を承認する際、まったく自由に行動できたとも思えない」とも書いている。
荒井名誉教授は12日午前9時から東京都千代田区神田駿河台の中央大駿河台記念館で報告書について発表する。問い合わせは朝鮮人強制連行真相調査団(03・3262・7111)へ。
在日本朝鮮人総聯合会中央本部国際局
(http://www.peace-forum.com/korea/kcna/050404KCNA%20Digest%20No.11.htm)
〒102-8138千代田区富士見2-14-15
Tel 03-3262-7111 Fax 03-3262-7110
さて、”武力を用いて脅された”と言っている新井教授が発表した「全域陸軍情事」とは「明治三十七八年戦役陸軍政史」の事だと思われるが、これは”満密受第2368号”を参照しており、これはネットでも普通に見る事ができる。
アジア歴史資料センター
レファレンスコード: C03020423900
※閲覧にはDjVuプラグインが必要
http://www.lizardtech.co.jp/download/index.htmlにてDL
〔明治38年〕満密大日記11月12日
(韓国保護条約締結に関する軍司令官の報告書送付の件 )

以為ラク我ニシテ断然保護条約ヲ提出セハ縦トヘ
群小ノ囂々タルモノアルモ其通過スヘキハ毫モ疑ヲ容レス
唯タ韓廷ノ慣用スル遷延ノ手段ニ依リ数日ヲ遅緩セシメラルルコトアラハ
由来当面ノ責任ヲ避クルヲ以テ保身ノ秘訣トスル各大臣等ハ辞職逃遁等ヲ企テ、
若シ尚ホ少シク警戒ヲ怠ランカ外館遷幸ノ旧劇モ亦再演セラルルコトアルヘク、
漢城ノ秩序ハ益ゝ紊乱シ暗闘殺戮ノ悲劇ヲ現ルコトナキヲ期セス、
事此ニ至ラハ縦トヘ調印ヲ了セシムルコトヲ得タリトスルモ、甚タシク外人ノ視聴ヲ驚カスノミラス、
事後永ク韓人ヲシテ不快ノ念ヲ抱カシムルノ不利アリ
(以て為らく我にして断然保護条約を提出すれば、
たとえ群小のかしましいことがあっても、
其の通過すべきはみじんも疑いを容れない。
ただ、韓廷の慣用する遷延の手段によって、数日を遅延せしめるこしがあれば、
本来、当面の責任を避けることによって保身の秘訣とする各大臣達は辞職して
だからこそ報告の最後に逃げ出すことを企てて、
もし尚、少し警戒を怠ると、外の館へ行ってしまい、過去の劇を再演することがあるかもしれない。
漢城の秩序はますます紊乱し、暗闘・殺戮の悲劇が起きるかもしれない。
事、ここに至れば、たとえ調印を締結完了したとしても、甚だしく外人の視聴を驚かすだけである。
事後も永く韓人に不快の気持ちを抱かせるのは不利である。)
この文章を読んで、脅して条約を結んだと読める人はかなり変わった人だろう
この史料には「一滴ノ血ヲ見ルコトナク、一人ノ犯罪者ヲ出スコトナクシテ」(一滴の血を見ることなく、一人の犯罪者を出すことなくして)と書かれており、むしろ暴力的に訴えたものではないことが伺える。
事実を歪曲してまで、他人を非難する韓国人は人間なのか?


卍←マンジ
←ハーケンクロイツ

Q.ユダヤ人虐殺現場を資料館にしてる?
A.アウシュヴィッツ収容所?あの捏造資料館のことか?
くわしくは・・・
こちらどうぞ
Q.ドイツは紛争地帯の所有権をあきらめた
A.何の話だ?
<財産返還要求>居住区追われたドイツ人ら提訴へ
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040810-00000002-mai-int)
【ベルリン斎藤義彦】第二次世界大戦をきっかけに、それまで住んでいたポーランドやリトアニアの居住区を追われたドイツ人やポーランド人が、ポーランドやリトアニア政府を相手取り、残してきた財産の返還を求める訴訟を準備している。独・ポーランド両国は、「追放」を受けた国民への金銭的補償を既に行っているが、一部の強硬派はあくまで財産返還を求める構えだ。こうした動きは、中東欧10カ国を加えた新生EU(欧州連合)内部に、戦争に関する感情的なしこりがいまだに残っていることを示すと言えそうだ。地元の報道などによると、ナチスドイツの敗戦にともない、ポーランド西部の旧独領から現在の独領に追われた約1000人のドイツ人で組織する「プロイセン信託基金」がこのほど、今秋にもポーランド政府を相手取り、ポーランド国内の裁判所と、欧州人権裁判所(仏ストラスブール)に、残してきた財産の返還を求める訴訟を起こすことを明らかにした。 また、ナチス占領中のリトアニア南部から現在のポーランド領に強制退去させられた1500人のポーランド人のうち、一部の住民グループも、リトアニア国内の裁判所に同様の訴訟を起こす意向を明らかにした。 シュレーダー独首相は1日、訪問中のワルシャワで、訴訟の動きに「反対する」と明言し、独政府も「基金」を「怪しげな組織」と非難した。しかし、チモシェビッチ・ポーランド外相は、戦後60年近くを経て、EU統合が進んでもなお、補償請求の動きがあることに「(独国内で)問題が十分解決されていない」と不満を表明。両国間でなお対立の火種がくすぶっていることを示した。 ただ「基金」は一部強硬派の組織で、約200万人が参加するドイツの最大組織「追放民連合」は訴訟を否定。法律を制定したうえで、ポーランドやチェコと協定を結び、財産への補償を行うことを提案している。 また、独政府は、東欧や旧ソ連から追われたドイツ人の財産への補償や年金をこれまで総計746億ユーロ(約9兆7000億円)支払っており「問題は解決済み」との立場を変えていない。 ポーランドも旧ソ連領から追われた国民への補償を行ってきたが、社会主義国家時代に国家財産を補償に使うことを約束したため、現在、補償が滞っており、今年6月、欧州人権裁判所は、住民側の訴えを認め、ポーランド政府に補償を再検討するよう命じている。 第二次世界大戦を契機に、現在のポーランド西部、チェコ北西部などのドイツ人居住区に住んでいた約1650万人が追われ、現在の独領に逃げた。また現在のリトアニア、ベラルーシ、ウクライナから約200万人のポーランド人が追われ、ドイツ人が追われたポーランド西部の旧ドイツ領に移り住んだという。(毎日新聞2004/08/10)

Q.ドイツはユダヤ人に謝罪した!
A.ドイツが謝罪したのはナチスの犯罪だけ
“戦争責任”とは何か―清算されなかったドイツの過去
1993年にブラント生誕80周年を記念して行われた展示「ヴィリー・ブラント ある人生 1913−1992」のカタログに本人の手記が引用されている。
「ワルシャワへ向かう時、600万人の犠牲者への思いが心にのしかかっていた。、、、、ワルシャワ・ゲットーでの死の戦いへの思いが心にあった。ゲットー蜂起は、数ヶ月後にポーランドの首都で起きた英雄的な蜂起に比べ、ヒトラーと戦う各国政府からは、殆ど気に留められなかった。私は、何も計画してはいなかった。だが、ゲットー記念碑への特別な思いを表現しなければならないとの気持ちを胸に、宿舎のヴィラヌフ宮殿をあとにした。
ドイツ史の奈落の淵で、殺された数百万の人々の重圧を受け、私は言葉で言い表せない時に人がする事を行ったのだ。」
(中略)
すでにブラントは1971年3月21日、ケルンで行われた「友愛週間」の開会式で、似た表現により跪きの真意について語っていた。「12月始め、ワルシャワに立った時、私にはドイツ現代史の重荷がのしかかっていました。犯罪的な人種政策の重荷です。....アウシュビッツにもかかわらず、狂信や人権抑圧は終わっていないと考えました。....(跪きに)否定的なコメントをする人もいましたが、それなら私は問います。ドイツ首相にとって、ワルシャワ・ゲットーがあったところ以外のどこで、責任の重荷を感じ、その責任に由来する罪の償いを試みられるというのでしょうか!」
ワルシャワ蜂起で立ち上がったポーランド人ではなく、ユダヤ人への思いを胸に跪いたのは明らかだった。ゲットー蜂起やホロコーストの犠牲者への償いだった。
だいたい、戦争もしていない日本に謝罪を要求すること自体がおかしいの
むしろ韓国の近代国家への礎を築いた日本に感謝して貰いたいモノだ
次があったら→
戻る
参考リンク:
偽・嫌日流翻訳まとめサイト
マンガ嫌韓流
マンガ嫌韓流2
別冊宝島『嫌韓流の真実! 場外乱闘編』別冊宝島
閔妃殺害事件関係
李泰鎮・ソウル大学教授と荒井信一教授の関係
韓国を滅ぼすものは、他国ではなく、韓国自身だった
dreamtale日記
ピンポイント年表「朝鮮半島の南北分断」
おまけ
美味しんぼの嘘を暴け8