


Q.朝鮮人と呼ぶと差別?
A.そんなことはないが・・・
朝鮮はもともと蔑称であった。
(中略)
そういう尊大さを華夷弁別(自分が生まれたところを、世界の中心と考えること)という。中央に中国があって周りはすべて夷狄の国々。その夷狄にも序列があって朝鮮、ベトナムなど近い順に序列が高く、海の向こうの日本は最下位だったらしい。
それで朝鮮は「朝」に「鮮やか」。いい国名が与えられたのかと思ったら、渡部昇一氏が大阪での講演で「あれは朝貢(朝)が少ないという意味」で、鮮は「巧言令色鮮(すくな)し仁」の鮮と話された。
朝貢国は中国皇帝に拝謁するさいに貢物をもっていく。皇帝はそれに倍するお返しを下賜する習わしだが、 「朝鮮」は貢物が少ないくせにお返しだけはたっぷり持って帰る、そういう気持ちを込めた命名だというのだ。


Q.1618年日本の幕府から鬱陵島と独島の渡海免許を得ていた。すなわち外国の領土である。
A.NO
渡海免許を得ていたが、これを根拠に許可が必要なのだから外国の領土であったとするのは妄言である。
なぜなら、その後、韓国側からの抗議で鬱陵島の渡航を禁止している。この時、竹島を領土として認識していれば、竹島の領土を主張しているはずである
その後も竹島は漁民が漁などの中継地として利用していたが、韓国側からの抗議はなかった。
その後、竹島へ行くといって鬱陵島に渡ったために処刑された人がいる。つまり竹島に渡ること国内の問題であったため問題にならなかったのである
(イ) 日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文献、地図等により明白である。
(注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年)では現在の竹島を位置関係を正しく記載している。その他にも明治に至るまで多数の資料あり。)
(ロ) 江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。
(ハ) 1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。
(ニ) 日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。その後、竹島は官有地台帳に掲載され、また、竹島でのアシカ漁は許可制となり、第二次大戦によって1941年(昭和16年)に中止されるまで続けられていた。

Q.三国史記に独島支配の記述がある
A.NO
あるのは鬱陵島の記録である。竹島は作物を育てることも出来ないばかりか人が住むことすら困難である。
これにわかるように韓国では鬱陵島の記録と竹島の記録を同一視して見ている。


Q.1905年に日本の領土となった
A.NO
もともと日本の領土であったのを再確認しただけである。
日本側がこれを根拠にしている理由は国際法に則り明確に日本の領土としているのを確認出来るためである。
(イ) 日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文献、地図等により明白である。
(注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年)では現在の竹島を位置関係を正しく記載している。その他にも明治に至るまで多数の資料あり。)
(ロ) 江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。
(ハ) 1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。
(ニ) 日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。その後、竹島は官有地台帳に掲載され、また、竹島でのアシカ漁は許可制となり、第二次大戦によって1941年(昭和16年)に中止されるまで続けられていた。
A.倭寇の多くは朝鮮人
現代日本語では、「(本物の)日本人は10〜20%に過ぎなくて、我が国の民衆が、日本人の姿に仮装して集団になりすまして、 治安を乱した」となる。
更に易しく読める形にすると、
「韓国人が、日本人に化けて集団で虐殺、強奪する。本物の日本人は、10〜20%だけ」となる。
また、『大宗実録』の大宗十六(1416年)九月庚寅条には、
「或時、倭を仮りて、寇を為す」
と、記されているように、
過去に鬱陵島の島民が倭寇を装って、
対岸の江原道や慶尚道を襲い、略奪行為を働いたことがあった。

Q.独島に空島政策を実行していた
A.実行していたのは鬱陵島であり竹島ではない
先ほども説明したように竹島には人が住むような環境にない
鬱陵島を使っていたのは事実だが、無人島とし使っていたのを強奪と考える神経が考えられない
その後の抗議で鬱陵島の領土を放棄しているのも事実である


Q.サンフランシスコ条約には「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と書かれている。これは独島も含まれていると見るべき
A.NO
以前から領土であった竹島を含める方がおかしい。
また、韓国側が「草案の段階で独島が含まれている」と主張しているのを知らないらしいが、草案の段階で含まれていたのを正式な文章で外したのであるから、日本側の領土としたのは間違いないのである
韓国大使は、本日午後二時、事前の面会約束によってダレス氏を訪問した。ヤン博士は、会談の開始に際し、韓国政府が対日平和条約に組み入れることを考慮して欲しいと希望するいくつかの点を掲げる国務長官あての公文(添付資料)をダレス氏に提出した。
(中略)
ダレス氏は韓国大使の伝達文第一項が対馬島に言及していないことを指摘し、韓国大使はこれが落とされたことに同意した。次いでダレス氏はドク島、パラン島二島の位置について尋ねた。
ハン氏は、「これらは日本海にある小島であり、大体鬱陵島の近くだと思う」と述べた。
ダレス氏はこれらの島が日本の朝鮮併合前に朝鮮のものであったかどうかを尋ね、大使は肯定した。ダレス氏は、もしそうであれば条約中の日本による韓国領土の領土権放棄に関する適当な箇所に、これらの島を入れることについて、特に問題はないとした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・米国は上記要求を却下
国務次官補(ラスク)から韓国大使への書簡より
書簡をもって啓上いたします。
本官は、対日平和条約草案に関し若干の点について合衆国政府の検討を要請する1951年7月19日付け及び8月2日付けの閣下の書簡を受領したことを確認する光栄を有します。
草案第2条(a)を日本が「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、ドク島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を、1945年8月9日に放棄したことを確認する」と改訂するという韓国政府の要望に関しては、合衆国政府は、遺憾ながら当該提案にかかる修正に賛同することができません。
合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する、日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を、条約がとるべきだとは思いません。
ドク島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。
この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。
(中略)
本官は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かって敬意を表します。

Q.カイロ宣言に1895年以降に収得した地を返還するよう書かれている
A.NO
カイロ宣言にそんなことは書かれていない。
〈日本側の反論〉
(i)同告示は、政府の閣議決定に基づいて島根県知事が発したもので、日本が領土編入の慣行とする告示方法である。告示は新聞にも報道され、アシカ漁業権の許可申請も行われている。外国通告を要する国際法の原則はなく、まして古来より日本の領土であった竹島に関してはその義務もない。
(ii)総司令部の同覚書は、日本が竹島に対して行政上の権力行使を停止するよう指令したが、これは占領下の暫定的措置であり、また、同覚書6項で「この指令の中の条項は、いずれも日本国領土の帰属の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈しなければならない」と断っている。さらに、マッカーサーラインもこれと同様に、日本の統治権、漁業権の最終決定に関する連合国の政策を表明しない、との覚書がある。
(iii)対日平和条約において日本は朝鮮の独立を認めたが、日韓併合以前からの日本の領土である竹島を朝鮮に割譲するとの意味あいはない。まして、竹島は日本が他国から暴力や貪欲により略取したものではない。

Q.1900年の大韓帝国勅令で韓国領として内外に宣言されている
A.NO
宣言されたのは謎の島”石島”
”石島=竹島”ということを立証しなければならないが、その史料は見つかっていない。
また、石島=竹島だったとしても、1905年に島根県に編入した際に抗議してない。つまり気が付いていないのである。これは韓国が竹島を実効支配していなかったことの証明である。
さらに言うならば、
1907年に発刊した張志淵の『大韓新地志』では「鬱島(1900年に鬱陵島から鬱島に名称変更)の位置を130度45分から35分に至る」と認識していた
(以下略)


Q.各国が領海を引くとき国外領土を中心に卵円形に引くのが普通
A.自国と外国との領海は中間線にするのが普通
A.そんなことはない




Q.日本は独島問題を大きくしようと躍起になっている。
A.竹島を韓国の領土と宣伝しているのは韓国人

韓国で2002年に発行された竹島(独島)切手


韓国で1954年(昭和29)に発行された竹島(独島)切手





日本・島根県議会の「竹島(独島の日本名称)の日」条例案可決以降、国内業界では“独島マーケティング”ブームが巻き起こっている。国民の間で独島守護運動が拡散するにつれ、企業が独島電話料金制、独島通帳、独島ゲーム、独島合コンなどの商品を次々と出している。
しかし一角では「反日感情を利用した商法」という批判も持ち上がっている。
業界を最も熱くしているのは「一般人の独島観光を許可する」という政府の発表だ。結婚情報会社「ソヌ」は今月26日から毎週土曜日1回ずつ、独島で合コンイベントを行うことにした。4月末まで計5回、別途の参加費なしで行う予定だ。
(以下略)
Q.独島は韓国の領土で間違いない。泥棒国家のいうことを聞く必要はない
A.間違いないなら国際法廷で決着をつけましょう
意外に思うかも知れないが韓国人はこう思っている人は少なくないようだ。
つまり、彼らの中ではしてもいない裁判をしかたのように感じており、世界的には竹島は自分たちの国の領土と認められているから親権も自分たちにあり、したがって、親権を持っている自分たちがわざわざ再度裁判に出向く必要はないという論理なのだ。 (以下略)
まさか国家を上げて捏造しているとは考えられないらしい(笑)


Q.対馬を国際司法裁判所に持って行かれれば日本は困るだろう
A.別にいいけど
その場合、竹島問題も一緒に解決しましょうね(⌒-⌒)ニコニコ
韓国人はサンフランシスコ講和条約のときに竹島と同じように対馬の領有権を主張して断られたことを知らないらしい
聯合ニュースが米国立公文書館・記録管理庁(NARA)から入手した米国務省の外交文書によると、韓国は第2次世界大戦の戦勝国が日本との平和条約草案を作成していた1951年4月27日、米国務省に送った文書で対馬の領有権を主張した。
同文書によると、韓国はサンフランシスコ講和条約草案の「領土」部分に言及し、「韓国は正義が恒久的平和の唯一の基盤という断固たる信念で対馬の領土的地位について完全なる検討を要請する」とし、「歴史的にこの島は韓国の領土であり、日本によって強制的、不法に占領された」と述べた。
しかし、米国側は「対馬は日本が長期間にわたり完全に統治しており、平和条約は対馬の現在の地位に影響を及ぼさない」と答え、韓国の要求を拒否した。


Q.なぜそこまで日本の領土だと断言出来るのか?
A.朝鮮の昔の地図で竹島を示しているものがまったくない
地図にも載っていない島のことを知っていたと強弁しているのはおかしい
参考リンク:
偽・嫌日流翻訳まとめサイト
マンガ嫌韓流
マンガ嫌韓流2
別冊宝島『嫌韓流の真実! 場外乱闘編』別冊宝島
95.韓国による「侵略」 ── 竹島問題
竹島問題に及び腰の日本メディア
竹島問題
サンフランシスコ平和条約
竹島と尖閣諸島問題について
倭寇について